8 魔王さまとお会いしました
どこの世界にもなにか争いごとはあるんだね。
女神さまがいるかと思えば、それに反発する組織があったり、それとは別に魔王の軍勢とかあるってさ。
佐々木くんはその中で、スパイをやっていたみたいだ。
彼は魔王側のスパイだったということで……。
こういうときって普通目が覚めると知らない天井が見えるっていうよね?
たしかに知らないかな、合掌造りの天井。お祖母ちゃんちの古民家と似てるけど、知らないわ。なんか肩は寒いけど足はポカポカ、腰もね。いい感じの堀炬燵だ、みかんみかん。
おみかん食べてゆっくり紅白でもみたいところで、私は我に帰る。なに、このみかん、みかんに見えてミカンじゃなかった。バナナ味のみかんによって私はここがまだ異世界だと思い出した。今まで夢で起きたらお祖母ちゃんちにいたってオチはなかったんだ。
そうだね、お祖母ちゃんもういないもんね。うん、私にあるのは帰ってもただ荒れていく誰もいない実家しかないんだ。
私はずっとぼっちだから……。
「おや、お目覚めかい?」
声をかけてきたのは炬燵の反対側にいるおじいさんだった。真っ白な髪を後ろに撫でつけ、和服を着ている。齢をとっているけど、品があるおじいちゃんだ。
ごめんなさい、勝手にみかん食べてしまった。しかも気づかないなんて、私のニブチン。
「あっ、おはようございます」
私はぺこりと頭を下げて、そして、あれっと首を傾げた。
このおじいちゃん、どなただろう。私の寝ぼけた頭はそれ一色になった。おじいちゃんはにこにこして、バナナ味のみかんの皮をむく。あー、落ち着くー、ほんと品のいいおじいちゃんだなあ。
「色々無茶言ってすまないねえ。こうでもしないと、時間がなくてねえ。私に残された時間がないんだよ」
穏やかな目は、東洋人の黒だった。
うん、しょうゆ顔っていいよね、ほんと落ち着くわー。
……ってあれ?
「始めまして、魔王です」
おじいちゃんがそう言うと、襖の向こうから黒髪の一団がやってきた。一人は佐々木くんで、残りは同じく日本人っぽい人たちばかりだ。皆、この世界でいう異世界人だということがわかった。
佐々木くんは混乱する私を後目に、窓を開けた。
「ここは、首都から千キロほど離れた土地だよ。ごめんね、二日ほど眠ってもらったんだ」
外は独特の雰囲気の街並だった。チャイナタウンというか、ジャパニーズタウンというか。海外で見かける妙にカタカナ英語が羅列されたような、癖のある場所だった。
空気は冷たく、元いた場所より明らかに緯度が高いだろう。そうだ、魔王といえば北の大地が定番だ。
「現地人との交雑も進むと、こうも外国人から見た間違った日本の風景になるんだね」
まさにそのとおりだ。洋画にでてくる間違った日本、それがそのまま実現している。
「この世界も悪くないんだ。私たちはそれ相応、もしくはそれ以上の対価を得ている」
おじいちゃんこと魔王さまが言った。なんとなくわかる。私もここに来て不自由だと思う事があるけど、前の生活と比べるとどうだったとか考えると、十分幸せなほうだと思う。恵まれている。
「私たちがこちらに来る。しかし、それはこちらの世界の住人があちらにわたることで成り立つ奇跡だ」
魔王さまは私だけでなく皆に問いかけるように話す。皆、こくりと頷く。
ここにいる人たちは何か決心してこちらの陣営にいるのだろう。
「そんな世界があっていいと思うかい?」
私はなにも反応できない。ただ、周りの目を見る限り肯定するしかない。
ごく簡単な演説めいた話をしたおじいちゃんは、みかんもどきを私にくれるとにこりと笑う。
「君を悪いようにはしない。ただ、静かにここで生活してくれないかい?」
「そんなんでいいんですか?」
私をさらったということは、何かしら目的があってのことではないのか。
「ああ、安心していいよ。神殿に心酔してる異世界人以外は、こちらに誘うのか慣例だから」
えっ? なにそれ?
「結城原さんの場合、事なかれ主義だから連れてこられても変な反抗とかしないでしょ」
佐々木くんが付け加える。
いや、そうだけど。
「ここでは普通に働いて暮らせばいいよ」
あっ、うん、働くのね。できれば、腰使わない仕事がいいかなーって。
「みな、新たな仲間に祝福を!」
魔王さまの言葉に、皆が『オー』と声を揃える。
私は小さく「おー」と合わせながら、そのまま担がれて言った。
ふふ、歓迎会嬉しいよ。
でもね、ぼっちはそれが逆にストレスになるって皆知ってた?
働かざる者、食うべからず。
この世界にもそういう常識があるってな。いや、魔王さま日本人みたいだけどさ。
誰かどっかの石油王、私を養っていいのよ。
ということで、私は、このジャパニーズタウンの運輸会社の倉庫番として採用されましたとさ。あっ、ちょっとうれしかったこと一つ。お酒は飲んでいいみたい。へへへ、寝返りますぜ、旦那。
腰が痛い労働は変わらないけど、おうち帰ったあとのお酒おいしい。なんでまた、この世界の女神はこんなおいしいもの、素敵なものを禁止するんだろう。ほんと、ぼんぼん異世界人召喚するくせにさ。
私はちょっと素敵な居酒屋で日本酒をいただく。へへお酒美味しい、他人のおごりとなるとさらに美味しい。
カウンター席の隣にいるのは佐々木くん。私を二回も誘拐したことの謝罪のつもりか、今夜はおごってくれるらしい。なんて奴だ、そんなんで私が許すと思っているのか! とりあえずアンキモもどきを店主に注文する。
「というわけなんですよ、ひどいでふよねー」
どこの職場に行こうが人間不満というものはどうしてもでる。私は隣に座った佐々木くんの首にからみついていた。ええ、素敵な居酒屋ってお金かかりますよ、おごりじゃないといけません。
「ええっとおごるとは言ったけどさ」
佐々木くんがくだを巻く私に顔を引きつらせる。へへ、酔っ払い舐めるなよ、普段小心者の私だって酔った勢いで勝手なこと言っちゃうんだからね!
新しい職場になって一週間。ふふ、私は派遣、転職なんてお手のものよ。少しは慣れてきたころなんだけど。
「だいたいにほんじんはー、仕事厳しすぎなんですよー」
あー、ねえさんが懐かしい。ちゃんとこちらの世界初心者の私のために丁寧に仕事を教えてくれたのに。こっちはなんだよー、マニュアル渡してこれで倉庫の棚全部覚えろってできるわけねーだろー。お前できるのかよー。
やったけど! やった私偉い!
皆、褒めて!
「飲み過ぎじゃない?」
「飲ませて下しあ! それくらいいいじゃないですか!」
「噛んでる噛んでる」
佐々木くんはロックを揺らしながら、ししゃももどきを食べている。あっ、私も食べたい。大将に追加注文する。
「遠慮ないね、だからぼっちなの?」
それ関係ない!
どうせ私はぼっちですよー。新しい派遣先でも、歓迎会はスルーされ、忘年会は一人だけ参加聞かれませんでしたよー。この間の歓迎会もお雛様席でずっとお酒呑んでましたから。
うー、この若作り高齢者め、彼女がいたらデートに殴りこんで「私を捨てたのね」って足にすがりついてやる。へへ、破局させてやるぜ、そんな勇気ないけど。
新しい職場にはそれなりに不満はありますが、この街はそれなりに居心地いい。同郷が多いためだろうか。ただ気になるのは前の職場のことだ。うーん、誘拐されたから不可抗力なんだけど一応倉庫任されていたからなあ。パルマさんにしわ寄せ言ってないかなあ。
もしゃもしゃとししゃもを食べながら私はふと思った。酔っているためか、思ったことが口にでる。
「それにしても身内に厳しい女神だなー」
だって、召喚するために自分の信者をよその世界に送り込むんだよ、しかも、当人たちに待っているのは速すぎる老化だもん。
私だったら可愛がっているサボテンにそんなことしないよ。可愛い可愛いってお水やって腐らせたことあるけど。
大体、女神って言っても大したことないんじゃないかな。だって、一方的に召喚じゃなくて、交換でしょ。ものが違うけど私と同じ能力じゃない。
……。
って、あれ?
酔いが急に冷めていく。でも、私はぐでっとカウンターに顔を伏せたまま、表情が読まれないようにする。佐々木くんには酔いが回ったって見えるだろう。
「女神ってどれくらい前に召喚はじめたんですっけー?」
ろれつが回ってないように質問する。
あくまで酔っ払いの言葉ということで。
「千年位前だね、この世界では」
ということは、向こうでは十年くらい前。
「それまではどうだったんですかー?」
「ごく普通の女神だったって伝承だけどね」
その時代にいなかったからわからないと佐々木くんは言う。そうだ、佐々木くんはほんの半世紀前に召喚されたんだ。
「ただ、前は違う神が召喚の儀式をやってたみたいだよ」
女神だけの専売特許ではなかったということだ。
それはどういうことか。
そうなると……。
「……」
「どうしたの?」
「……吐く」
うわあ、佐々木くんと店主が息を揃えて私をトイレに運ぶ。
絶対吐くんじゃねえぞ、と店主の目が血走っていた。
みんな、私を汚物のように見ないで。