12 なにもかもが終わりました 後編
そこに現れたのは、老婆だった。
「久しぶり」
二年ぶりだろうか。そうだ、前に実家に帰ったとき以来だ。といっても、本人ではなく遺影に手を合わせただけなんだけど。
私の母の記憶は途中で途切れていた。代わりに入っていたのは、両親双方にいないはずの祖母だ。
私は自然と祖母に引き取られていた。
今思えば、ぼっちじゃないって言いきれた時代は祖母と暮らしていた頃だったと思う。
「お祖母ちゃん」
『ひさしぶり』
その身体に実体はない。そうだ、もう亡くなった。火葬も済ませている。
本当に呼び出せるものか半信半疑だった。
でも、呼び出せた。
これも幸運付与の力かな。
「お祖母ちゃんって元女神?」
『ふふ、やだ、ゴッデスだなんて、ブイブイ言わせたのは昔の話ですよ』
うん、どう考えてもうちのお祖母ちゃんだ。
私が十五のときに引き取ってくれたお祖母ちゃん。出会ったときはまだ若くて四十代くらいに見えたんだけど、私が専門学校に通う頃にはよぼよぼになっていた。
数年で何十年も老いたのだろう。この世界の住人が地球へと渡ったときと同様に。
私はいろいろ話したいことがあったけど、それはあとにしよう。ただ、これだけを伝える。
「赤の他人の私を育ててくれてありがとう」
『……ごめんね、お母さんのかわりになれなくて』
そんなことはなかったけど、今言う事じゃなかった。黙ってそんなことはないよ、と首だけ振った。
『元、女神だと?』
声をあげるのはバッハみたいな髪のおっさんだ。
『ええ、この世界も変わったものね。でも根本は変わっていない』
お祖母ちゃんは底冷えのする笑いを浮かべる。
『私が使えなくなったからって、私を代償に新しい神を召喚した』
昔の女神は召喚など行わなかったと聞いた。しかし、召喚術は存在した。
『力がなくなったら、すぐにポイ捨て。派遣の使い捨てもいいところだわ』
うっ! お祖母ちゃん、それ私に突き刺さる! 突き刺さるよ!
『そして』
お祖母ちゃんは幽霊と思えない滑舌で、母さんを見る。
『言う事が聞けなくなった女神を無理やりしたがえようとする』
私は、母さんを見る。その目はだいぶ落ち着きを取り戻していた。
ゆっくりと手を頭にあげると、その無数のコネクターを引きちぎった。
「そう、その通りね」
息を切らした母さんがおっさんたちを睨む。新旧二人の女神に睨まれた神殿関係者は動かない。
「でも、私にも責任がある」
そう言って母さんは手首を擦る。そこには、銀色の腕輪がはめられていた。私をそっと見ると悲しい笑いを見せた。
うん、独身って本当だったね。父さんとは離婚してたもんね。
「子どもに会いたいために、その能力を神殿に自由にさせた」
結果、女神の仕業だとして大量に異世界人を召喚した。
「新しい技術を手に入れるために、どんどん召喚した」
当初は文化を発展させるために、その技術を得るために。
そして今は。
母さんが腕輪を砕く。
「今度は、資源として有効活用するために」
砕けた腕輪、それは一種の魔力吸収装置なんだろう。
神殿が私に異世界人の寿命について説明しなかった理由。それはそこにある。
異世界人の寿命は長い、魔力が多いほど長い。魔力が寿命と直結しているなら、この世界の住人の何倍もの魔力を有しているに違いない。
過去の異世界人が持ってきた技術によって文明は発展した。でも、そのエネルギーは魔力だ。小さな家電ならともかく大きなものは難しい。
そこで目をつけられたのが、異世界人だった。
大田原くんたちはそれを知ってた。だから、私を北の大地に連れて来たのだ。
ただ何も知らずに消耗品として扱われて死んでいく同胞を見捨てられなかった。
魔王として大田原くんは助けようとした。
何も知らずに神への殉教を行うこの世界の人々を。
そして、わからないまま利用され消耗されていく同胞を。
後者を私に教えてくれなかったのは、彼の優しさなのかもしれない。うん、かっこいいおじいちゃんになったなあ。
『そうねえ。最初に甘やかしてきた私たちがいけないんだわ』
そう言ってお祖母ちゃんは私の頭を撫でる。
『ごめんなさいね。あなたはもうすぐ、私を呼んだ代償を受ける。でもその前に、私の力をあげるわね』
私の中になにかが入ってくる。それがなんなのかよくわからない。
『私にできるのはここまでなの』
「お祖母ちゃん?」
お祖母ちゃんは笑う。その実態のない身体が薄れていく。薄れて残ったあとには何も残らない。
もう一度、呼び出そうと私は床に魔法陣を展開しようとする。
でも、魔法陣は現れない。
腰が痛い。すっごく痛い、もう折れてるこえて砕けてるんじゃねってレベル。
わかってる。私は雑魚だ、レベル2の底辺だ。
分不相応の召喚をやった代償だ。
まだ、これの他に何を失ったのか、私にはわからない。
でも、これからなにかを失う。
その前に、するべきことがある。
「母さん……この世界を元に戻したい?」
私は小声で言った。それが正しいなんてわからない。私なんて専門学校中退して、いろんな会社を転々としているただの派遣社員だ。
政治家だって、学校の先生だっていっぱい間違っている。私が正解を選ぶ可能性は高くない。
でも……。
ごにょごにょと耳打ちをした。
「うん」
母さんは笑う。うん、パルマさんと呼んでいたときから思った懐かしいしょうゆ顔。本当に落ち着く。
母さんは私を小脇に抱えた。そして、片手で近くにあった机を掴むと、そのまま薙ぎ払った。
ごめんね、女神と聞いていたけど、なんか女子プロのリングネームを思い出したよ。
なぎ倒された衛兵たちを飛び越え、母さんは巨大なパイプオルガンの前に立つ。そして、その手を鍵盤にのせた。
なんだろう、これは。
急に身体がぽかぽかしてきた。腰が痛いのが少し弱まった気がする。
「これは巨大な装置だから。これが腕輪から吸収した魔力を音に合わせて送る」
どんな技術かは知らない。でも、電気とは違うエネルギーだから、そんな方法でもできるのだろう。
深く考えている暇はなかった。
「ここに集められた魔力はもう元の持ち主に戻ることはない」
電気が石炭や石油に戻らないのと同じ。
これを使ってしまえば、きっと都市の機能はマヒしてしまうかもしれない。皆混乱してしまうかもしれない。
でも、そのために何も知らずに利用される理由にはならない。
『や、やめろ!』
おっさんが私に向かっていった。
『なにをしようとしているか知らないが、それをいじったらどうなると思ってる』
知らない、そんなこと関係ない。
『君たちには最大限の配慮をしてきたはずだぞ!』
うん、そうだね。ブラックな会社よりずっと居心地は良かったよ。
私は母さんに床に下ろしてもらう。床に手を添えて魔法陣を展開する。
『その恩を忘れたか!』
母さんも魔法陣に手を添える。私と違い、慣れているためか一気に展開していく。光の粒子が周囲を舞い、きらきらと美しい。
私たちの能力は一緒だ。互いに見たことがあるものなら、異世界のものと交換できる。母さんの力は強くて、だから人間も召喚できた。
召喚したということは、その存在に触れたことを示している。
大田原くんが召喚された理由はそこのところだろう。彼は私の母に一度だけ会っていた。母さんが私を召喚しようとしたのなら、間違って彼が転移してきた可能性はある。
母さんの力はすごいけど、その分、精度がひくい。
私の力はしょぼいけど、その分、精度が高い。
そこに、大量に集められた魔力がある。
そうだ、私たちのしようとしていることは……。
きらきらと光の粒が私たちを取り巻く。
眩しくて目が開けられない。
でも開けてなくちゃいけない。
母さんの思考が流れ込んでくる。そこに、千年間ずっと召喚してきた人たちがいる。
中には死んだ人、この世界で骨を埋めることを決意した人たちもいる。そうでない人もいる。
その心の流れを読み取り、私たちは取捨選択する。
本当に帰りたい人を選び出していく。
『やめろーーー!!』
叫ぶおっさんが近づいてくる。その手には赤い火球が見えた。そうだね。神殿関係者なんだからやっぱ魔力が強いのかな。
ちょっとやばいかも。
母さんも私も魔法陣から手が離せない。
ここで離すわけにはいかない。
あれが命中したら大やけどなんてものじゃすまない。もうこんがり炭火焼になってしまう。
あーやだやだ。ほんと、お酒呑みたい。飲んで来ればよかった。
私は身体を移動する。集中して気付かない母さんの前に立つ。
母さんは気づいていない。おっさんが火球をぶつけようとしていることを。
私がいなくても最悪術が完成すればなんとかなる。少なくとも魔法陣は暴走しない。
できれば炭火焼になりたくないんだけど。
はは、ごめんね、母さん。
私が渇いた笑いを浮かべているうちに、おっさんの手から火球が離れた。
できれば、一瞬でウェルダンでお願いします。レアはきつそうなので勘弁。
なんて思っていたけど、それは私に当たることはなかった。
火球は消えた。
最初からなにもなかったかのように消えた。
どう言う事かと思っていると。
「消去」
素敵な和服姿の爺さんが立っていた。
「うむ、悪くない」
そう言ってにやりと笑う大田原くん、かっこよすぎるやろ?
なんて素敵な爺さまに成長したんだ。
私は乾いた笑いをぬぐい、勝気なものへとかえる。
魔王さまがせっかく私にくれた機会を無駄にするわけにいかない。
「いくよーーー」
私はなけなしの魔力を込める。
込めつつ、なにかが抜け落ちるのに気が付いた。
なにが抜け落ちていったかといえば。
そうだ。代償だ。
お祖母ちゃんの幽霊を召喚した。その代償は一体なんだったのか。わからないまま、ただがむしゃらにやった。
腰が痛いのはいつものこと。
倉庫のごみとお祖母ちゃんが等価交換なわけがない。
なにが……。
あれ?
私、いま何考えていたっけ?
うーん、どうしてだろ。なんでこんな場所で跪いているのかな。
おっ、和服のじいさんがこっち見てる。
変なカツラみたいなのかぶったおっさんが睨んでる。
私なんかした?
隣には三十路くらいのおばさんがいて、必死な表情だ。
周りにいる誰が誰だかわからない。でも、私は床から手を離せずにいた。
これだけは絶対手を離してはいけないことがわかった。でも、その手は不思議なことに床を透過していく。ずぶずぶと中に埋まっていくけど離してはいけない。
私はこれだけはやり遂げなくてはいけない。
やらなくちゃいけない。
そして、私はそのまま、魔法陣に飲みこまれた。




