番外編 家出1
『お前がいるとうっとうしいから、旅に出るわ。探すんじゃねえぞ』
朝起きて珍しくデカブツがベッドにいないと思えば、こんな書き置きがテーブルに載っかっていた。
清々する――とは思わなかった。
くしゃりと、紙切れを握り締める。一筋の涙が頬を濡らした。
◆◆◆
仕事をする気にはなれず、ギルドへ行かずにカフェにやって来た。自分にしては珍しいことに食欲が湧かず、紅茶だけを注文する。
初めて王都にたどり着いた日に、あの愚か者と一緒に入ったオープンカフェだ。あの時と変わらず、広場には多くの人々が集まり賑わっている。あの愚か者だけがいない。
自棄を起こして、広場にいる人間を皆殺しにする自分の姿を妄想した。
「動くな、スプリット・スプラッター」
そんな風に背後から命令されたので、妄想で済ませていたつもりが無意識のうちに実行に移してしまったのだろうかと驚くが――幸いなことに広場は血の海になっていない。
安堵して紅茶のカップを持ち上げると、
「動くなと言っているだろう!」
叱られてしまった。
振り返ると、三人の男――どれも冒険者のようだ――が立っており、真ん中の一人が目立たない小さなナイフをこちらに向けている。
「言うこと聞かない生意気女にはお仕置きしてやらねえとな。死にたくなけりゃ席を立ってついて来い、まだ逆らうならその綺麗な首筋にコイツを突き立てるぜ?」
「ヒートも連れねえで、あの魔剣まで持たねえで外出するなんてな、頭ん中がお花畑になってんのか? お前を恨んでる同業者は多いぜ?」
なるほど。どうやら、私が強いのは剣に秘密があるのだという噂を信じ切っているようだ。
憂さ晴らしに相手をしてやろうかと席を立ちかけるが、そこにまた新たな闖入者が現れる。
「やめないか、みっともない」
流れるような銀髪の貴公子だった。白い毛皮の外套を羽織り、腰には長剣を携えている。
彼が指で弾いた鉛弾が間抜けな冒険者の手の甲を打ち、私を脅しているつもりだったらしいナイフが石畳に落ちる。
「な……銀狼! あんたまでこの生意気女の肩を持つってのか!?」
「君の行為は犯罪だ。僕は彼女の肩を持つわけではない、この状況ならば誰でも君を責めるだろう。それにだ。どんな恨みがあるのかは知らないが、背後から刃物を突きつけるような人間と仲良くしたくはないな」
「くそっ! 男に媚びやがって、この売女が!」
捨て台詞を残して、三匹のゴブリン――じゃなかった、冒険者が雑踏に紛れて逃げて行った。
彼らと入れ替わるようにして、銀狼とやらが近づいてくる。
「大丈夫かい、と僕なんかがあなたに訊くのはおこがましいかな?」
「手間を省いてくれたことにだけ、感謝しておきます」
「相席しても?」
「どうぞ」
目の前の席に座った男は、文句なしの色男だった。姿勢は良いし、体もしっかりと鍛えてあるし、顔は言うまでもない。
あの愚か者も素材は良いが、態度なんて雲泥の差だ。比べること自体がおこがましい。
「銀狼、と呼ばれていましたが同業者ですか?」
「シュバルツ・フォン・スターダストといいます、冒険者です。どうぞお見知りおきください」
柔らかく微笑んで、シュバルツが訊ねてくる。
「よろしければあなたのお名前もお聞かせ願えますか、スプリット・スプラッターさん?」
銀狼――シュバルツの名は聞いたこともないが。私の名前は悪い意味で有名なので、知りたかったならばとっくに知っているはずだ。
もしかしたら彼はすでに知っていたのかもしれないが、だとすれば礼儀として訊ねているのだろう。名乗ってもらうことで初めて名を呼べる。礼儀というのはそういうものだ。
「いいえ。申し訳ありませんが夫以外には呼ばせません、そう決めています」
「ではもしも僕に名を呼ばれてもいいと思ったら、そのときに改めてお教えください」
笑みを消さぬままシュバルツがメニュー表を手に取った瞬間だった。
いくつもの悲鳴が上がり、広場が狂騒に包まれた。




