覚悟
父の帰りが遅すぎた。
大剣を担いで、夜の山を駆ける。おらは触れている物の重量を自在に操ることができた。父が言うには普通の魔法とは異なる、持って生まれた固有の魔法らしい。ほかの魔法は一切使えない。
微かに人の息遣いが聞こえて地面の窪みを覗き込むと、七人もの人間が縮こまっていた。全員顔見知りで、ドラゴンから逃れた村人が集まっていたらしい。
「おっ父を見なかったべか?」
訊ねると、恰幅の良い中年の女性が顔を上げた。表情は暗く、憔悴しきっている。
「ああ、マークがあたしらをここに集めたんだ。でも、戻って来ない……」
「エイミー。暗いけど、向こうに崖があるの、わかる?」
「うん……」
「あそこの近くに、おっ父が建てた猟師小屋があるから、その」
「うん、なんだい?」
「おらも戻って来なかったら、みんなだけで小屋を目指して。多分、ドラゴンには見つからない」
「なら今から一緒に行こう、ニンニ。マークを探しに行くのは明るくなってからの方がいいよ」
「おらは夜目が利くから」
「もしこのままあんたを行かせて、あんたが戻って来なかったら、あたしらはマークに顔向けできないよ」
「……ごめん」
制止の声を振り切って、再び夜闇を駆け出す。父はもちろん、戻りたくなくて戻らないわけではないはずだ。戻れなくなっているのだ。
ドラゴンが近くに来て、隠れているのだろうか?
とにかく早く見つけて、どうにかして助けなくてはいけない。
『……クオォォォッ……!』
遠くでドラゴンが鳴いた。それと同時に爆発が起こる。一瞬だけ辺りが明るくなり、破裂音が響いた。
父がドラゴンと戦っているのかもしれないと思い、急いでそちらに向かう。
「……全滅……」
「まだ……」
「……一旦……退……」
現場に近づくにつれて聞こえてくるようになった声はどれも父のものではない。どうやら大勢の人間がドラゴンと戦っているようだ。実際に目にするのは初めてとなるが、騎士団が派遣されてきたのかもしれない。
何にせよ彼らがドラゴンの動きを止めていてくれる限り、父がドラゴンにやられる心配はない。安心した矢先、不意に何かにつまずいて転びかける。
山を、森を知り尽くしたおらが、何だかわからないものにつまずいた? ならばそれは、最近まではこの場に存在しなかったはずの何かで――
足元には、半身を潰された父が転がっていた。
◆◆◆
もう死んで随分と経っていたのだろう。父は別れの言葉すらくれない。大丈夫だと、心配ないと言ったくせに――そんな風に責めようとして、今更ながら気がつく。おらがみんなを助けに行こうとして言うことを聞かなかったから、父が代わりに出かけたのだ。安心させるような態度を装って。
腰を折って嘔吐く。
後悔した。おらが殺したようなものだ。できそうもないことを、感情だけでやろうとしてはいけなかった。父の言うことを聞かないでごねたから、代わりに父が逝ってしまった。父も亡くして、ひとりぼっちになってしまった。
「おっ父」
呼びかけても、答えない。
「おっ父!」
肩を揺すっても、いやに硬くて冷たいだけだ。
「ごめん、なさい……ごめんなさい」
止め処なく涙がこぼれたが、無骨な拳はきつく握られたままで、おらの頬を拭ってはくれない。
夢ならいいのに。夢であってほしい。ひとりで生きていけるほど、父を失った痛みを乗り越えられるほど、強くはない。このまま死んでしまった方が楽だと思う。けれど父は、おらを庇って死んでしまったのだ。なればこそ、おらは生きねばならないし、生きる義務がある。
もう命を懸けるわけにはいかない。
「……撤退――撤退……!」
だけど現実は無情だった。ドラゴンを倒さずに騎士隊は崩壊したらしい。何人かが木々の枝を折りながら逃げている。
おらも早く逃げないと。立ち上がろうとして、固く握られた父の拳から伸びる紐のようなものが目に留まる。
「おらがあげた、守り袋」
何年も前の話だ。村の年寄りに習って作り方を覚えて、父に作って渡した守り袋――未だに持っていたことも知らなかったし、握り締めて死ぬほど大切にしているとも知らなかった。
踏み潰された下半身を、苦痛に歪んだ顔を、守り袋を握る拳を、順番に見やる。
少し離れたところに落ちていた父の弓――おらの半弓の倍の大きさの弓を拾う。
「おっ父、行ってくんべ」
不思議なことに、負ける気はしなかった。