第32話
〜第32話〜
さて、戦いというものはとにもかくにも情報だ。敵を知れば百戦危うからず、確かこんなことわざのようなものがあった気がする。正確に覚えてないのは授業をちゃんと聞いてないからだ。そこらへんは悟ってくれ。
というわけで現在、俺はそれを実行に移すことにしてみたのだが、少しばかり自分の計画性のなさにあきれてみたりもした。目の前にそびえるは馬鹿みたいに高いビル。高層ビル群の仲にありながらこのビルは、それでも目立っていた。後で聞いた話によれば、どうやらビルの最上階は展望スペースとなっていて利用者はそこそこ多らしい。
「場違いって、こういうことを言うんだろうな」
小さくつぶやきながらビルの入り口に歩を進める。俺は学校帰りということもあり制服のままなので、スーツ姿の人が多いこの場所ではかなり目立つ。というかさっきから注目の的になっている気がしてならない。
入り口にの横に立っている警備員の視線がさっきから俺に固定されているのも、決して気のせいではないだろう。
衆人環視、っていうのはちょっと言いすぎだが、似たような状況は入り口の自動ドアをくぐった後も続いた。いや、悪化したと言ってもいいくらいだ。右から左からくる視線、視線、視線。
判断ミスったかもしんない……
なんだか胃が痛くなってきた気がする。そうはいってもここまで来たのに、後戻りなどできるはずもない。俺は自分で決めてここに来たのだから。
「すみません。神崎専務に会いたいのですが」
「神崎専務ですね、少々お待ちください」
受付の女性は俺のことをあからさまにいぶかしんでいたが、それでも仕事ということで割り切ったのか、どこかへ連絡を取っている。その間ももちろん周囲からの好奇の視線は絶えることがない。確認が取れるまでの時間はそんなにかかってはいないのだろう。だけど、そのときの俺にはそれが何10分に何時間にも感じられた。
「申し訳ありません。御約束のほうがないようですので、神崎専務に御取次するわけには……」
だろうな。どこの学生かもわからないガキがいきなり現れて、あまつさえその会社の幹部に会いたいと言ってすんなり合わせる会社がどこにある?もちろんそれを予想して何も考えてこなかったわけではない。ちゃんと次に言うべき言葉は用意してある。
「朝倉奈菜について話があると言ってください。きっと通ると思いますから」
受付の女性はその言葉に困惑しているようだったが、とりあえず事情を伝えるためにまた受話器を取る。
まったく、俺自ら敵陣に乗り込んできてるんだからちゃんとあってくれないと困るんだけどなぁ。
なんて、心の中で冗談を言ってみたりもするが、さっきからそのリズムを早くし始めた心臓は一向に収まる気配を見せない。
やれやれ、俺も小心者だな。
それも仕方ないか。なにせこれから会おうとしているのは奈菜のお見合い相手なのだから。
通されたのは応接室と思わしき部屋だった。部屋の中央に向かい合わせに置かれた革張りの黒いソファ。その間にはきれいに磨かれているガラスのテーブル。これぞ応接室と言わんばかりの部屋だった。
「神崎専務は間もなくいらっしゃいますので、しばらくお待ちください」
俺をここまで連れてきてくれた女性はお茶をテーブルの上に置くと、そう言って部屋を出て行った。
さてと。
とりあえずソファに腰掛け、出されたお茶を飲み一服。しかし我ながらうまくいったものだ。あの後の俺への対応はそれはもう迅速だった。受付の女性の態度は一転、今までいぶかしんでいた表情は作り笑いではあるが、それでも完璧な営業スマイルへと変化し、まるで総理大臣を相手にしているかのように俺をこの部屋まで案内してくれた。
電話口でどのようなやりとりがなされたのかは知らないが、少なくとも彼女の今後を左右するだけのことは言われたんじゃないだろうか。
お茶をもう一口飲み干す。待ち人は未だに現れる様子はない。ちょうどいい、もう一回資料に目を通しておくのもいいかもしれない。かばんの中から昨日、百合に見せた資料の入った封筒を取り出す。その中の一番上に入っている紙に張られた一枚の写真。
『神崎佑介』
奈菜のお見合いの相手であり、今日俺が愛に来た人物。写真の中のその顔は最後に見た時同様に、やはり大いなる自信に満ちた目で俺を見つめ返していた。その表情をみるだけでも軽い威圧感を覚えるというのに、これからその本人と会ってしっかり話ができるのだろうか?
思わずそんな風に弱気になってしまう。
ガチャリ――
突然開かれる扉。持っていた資料を急いでかばんの中へと突っ込む。無理に入れたせいでぐしゃりという嫌な音が聞こえた気がしたが、聞かなかったことにする。
「すみません。お待たせしました」
部屋に入ってきた男は写真の中の姿そのままだった。その表情はもちろんのこと、しわひとつないそのスーツまでも写真と同じだったのは何かの偶然なのだろうか?
「いえ、こちらこそいきなり押しかけてすみません」
「気にしなくていいよ。だけど、まさか僕への客が学生だとは思わなかったけどね」
清々しいくらいにさわやかな態度。第一声はビジネス用の話し方だったが、自分への客が学生ということがわかると、次にはすぐに口調が変わる。
だけどそれは俺が学生だからといって、軽く見えているのではなく、あくまで対等に会話をしようとしているように感じられた。
「今まで会議があってね、すぐに来たっかったんだけど僕が席をはずすわけにもいかなくて」
神崎は俺の向かいに腰掛ける。そのタイミングを見計らうかのように歳ほどの女性がお茶を持って現れる。
「ああ、ありがとう」
神崎の前にお茶を置くと、彼女は一礼して部屋を出ていく。部屋の中には少しばかりの沈黙が漂う。
「さてと、僕に用があるみたいだけど?」
沈黙を破ったのは神崎のほうだった。奈菜のことで来たというのはすでに聞いているはずだが、あえてそういう言い回しをするあたり、俺からしっかり話を聞きたいということだろう。
まったく、もう少し嫌な奴ならよかったのにな。
「すでに聞いていると思いますが、今日神崎さんに会いに来たのは朝倉奈菜のことについてです」
これから話すべきことはすでに何度もシュミレーションしてある。さぁ、腹の探り合いのはじまりだ。