第25話
〜第25話〜
生まれてはじめてきるスーツ。とりあえず感想はきつい、早く脱ぎたい。
「やっぱり了承するんじゃなかったかな……」
過ぎてしまった時間が戻ってこないのは自然の摂理であり、覆しようのない事実ではあるが、どうしようもないことを願ってしまうのもまた、人間の本能でありまして。
「本当にうまくいくのかよ……」
高級感漂うホテルのロビーで奈菜を待つ俺。いっとくがやましいことは何もないからな。
なぜこのような不釣合いな場所にいるかというと、奈菜の衝撃の告白まで時間を遡らねばなるまい。
いつになく真剣な様子の奈菜をむげにできるわけもなく、とりあえず話をきくことにしたのだが、
「もう一度言ってくれるか?」
「だから、私の婚約者になって欲しいの!!」
婚約者……、それは結婚の約束を交わした男女のことを指す……。
って、あほか!!
「お願い!!香介君にしか頼めないの!!」
「そんなことお願いされても困るって!!婚約なんて……」
「そこをなんとか!!」
このときは忘れていたのだが、現在俺達がいる場所は喫茶店の中であり、他のお客さんもまわりにはたくさんいるということだ。
そんな中で上のように騒いだらどうなるか?答えは簡単だ、全ての視線がこちらに集まる。
俺達さらし者!!
「とりあえず落ち着け!!そして詳しい事情を話せ!!」
自分が一番落ち着いていないのはこの際置いておくとしよう。というかいきなりプロポーズまがいなことをされて、冷静にいられるやつがいるなら手を挙げろ!!かわってやるから。
「……というわけなの」
物事にはなんにでも理由というものがある。それは今回のお話にも例外なく適用されるわけであり、
「つまり、奈菜のおじさんがお見合い話を持ちかけてきて、断りきれなかったから俺に婚約者のふりをして縁談を破棄してくれと」
「うん……」
いったいどこの昼ドラだ。
こんな話普段なら即刻切り捨てるところだが、今回は相手が奈菜だ。俺とて冷酷な人間なわけじゃない。
親しい相手が困っているのを、はいそうですかと見捨てるわけにもいかない。
「しかしよりにもよって婚約者とは……」
ことがことだ。そう簡単に引き受けるわけにもいかない。奈菜にとってはいやな縁談であってもおじさんもそうだとは限らない。
しかもうまくいったとしても、奈菜の父親には俺たちが恋人関係であるという嘘の事実を認識されるわけで。
「とりあえず会ってみるわけにはいかないのか?」
「絶対無理!!そんなことしたらお父さんのことだもん、すぐにでも結婚とか言い出しかねないもん!!」
会う前から奈菜の父親に対する印象を落としてくれる一言を平気で言うなよ娘。
「それに……」
「ん?」
「そんなことになったら、せっかくのバンドもできなくなっちゃう……。やっとメンバーも集まったのに」
やれやれ。どうやら俺の負けみたいだな。
「わかった、引き受けるよ」
「ほんとに!?」
「ただし、失敗しても俺は責任もたないからな」
お決まりのセリフを吐く自分に思わず苦笑してしまう。
目の前でほっとした表情をしながら飲み物を飲む奈菜を見ながら、今後の不安を打ち消そうとおれも飲み物を一気に飲み干した。
むせただけだったが……
はい、回想終了。できれば回想の世界にずっといたい……
「ほら、ネクタイ曲がってるよ」
「あ〜、気にするほどでもないだろう」
「だめだよ!身だしなみはきちんとしなくちゃ!!」
了承するや否や、奈菜は俺を今いるホテルにつれてくると問答無用でスーツに着替えさせ、自分も淡いピンクのドレスに着替えた。
しかもいつもはしていない化粧までしていて、それを見たときに思わず赤面してしまったのは内緒だ。
というか墓場まで持っていきたい。
「もうすぐお父さんが来るから、打ち合わせ通りにお願いね」
「最善を尽くすよ……」
逃げ出したい気持ちを必死に抑えながら答えてみる。
ここに連れてこられたのは、つまるところお見合いがこれからあるため。いくらなんでも急すぎるだろう奈菜……。
後悔先に立たず。すべては後の祭り。
先人はかくも立派な言葉を残したものだと、このときほど感じたことはなかった。