第12話
〜第12話〜
殺気に彩られた午前の授業もようやく終了し、一日の一番の楽しみといえるかもしれない昼休みの到来。俺はと言えば、もちろん4限目の終了とともに教室から逃げていた。この第3音楽室であれば誰も追ってはこないだろう。ようやくひと時の平穏が訪れた気がした。あのままあそこにいてみろ、それこそ首に肉をぶら下げてサバンナの空腹のライオンの群れに突っ込むようなものだ。命がいくつあっても足りやしない。
「憂鬱なことこの上ないな……」
なんだって俺がこんな目に逢わねばならんのか。今日何度目かもわからないため息が、音楽室の中でやたらと大きく聞こえた気がした。
「ふむ、早く食べすぎた」
さして腹が減っていたわけでもないのだが、今日は弁当を食べるスピードがやたらと早かったようだ。いつものあの木陰なら昼寝にしゃれこんでもいいのだが、なんとなく今日は場所が違うからか、そんな気はまったくしない。もちろん教室なんかには戻りたくもない。その後でどういう結果が待っているかは想像に難くないからな。
そうはいっても暇なものは暇だ。何かないかと教室内を見渡してみる。もっとも俺以外の人間が最後に入ったのがいつかもわからないこの部屋に何か暇をつぶせるものを期待するほうが無駄な相談であり、いつものごとくピアノに目がいくことになる。
一曲弾くか?
あまりの暇さにそう思ってもみるが、あまり気は進まない。これが放課後なら間違いなく鍵盤のふたを開けているところだが、忘れてはいけない。今は昼休みなのだ。いかにこの第3音楽室に人が来ないとはいえ、校内に学生があふれているこの時間に弾くのはいかがなものか?物好きなやつが現れて、俺を目撃する可能性がゼロであるとはいいきれない。
別にばれたからどうってわけでもないけどさ……
昨日思ったことと同じことがまた脳内でリフレインする。それでもばれるのはできるなら御免こうむりたい。矛盾している感情。
「む〜、早く弾いてほしいんだけどな〜」
「だけどな〜」
「大丈夫だよ!廊下には誰もいなかったから」
「そう言われてもな……」
……待て、俺は誰と会話している。できるだけさりげなく、それでいて相手にばれないように視線を声の方向へ飛ばす。
「どこから湧いて出た……」
「それ、少しひどいと思うんだけど?」
湧いて出た誰か、もとい声の主は奈菜だった。いつの間に入ってきたのやら、ちゃっかり弁当箱を広げてすでに鑑賞モードに入っている。というかなぜ気付かなかった俺?
「ほら、早く早く!時間は有限なんだよ?」
「なんで弾くことが決定事項になっているのか、そこから聞こうじゃないか」
「ここが音楽室で、そこにピアノと香介君がいるからだよ♪」
ウインナーを食べながら奈菜はニコニコとそう言い切る。なんだその理論は。
「それに昨日約束したじゃない?今度弾いてくれるって」
「だから今度だろ?」
「私の今度はこの時この瞬間なんだよ」
そんなもの知るか、と一喝したいところではあったが、すんでのところで思いとどまる。奈菜に限ってそんなことはしないと思うが、万一脅迫とかされたくないし。というかうそつき呼ばわりされるのも嫌だし。
「どうかした?」
「いや、どうしても今じゃなきゃ嫌か?」
「もちろんだよ♪」
やれやれ、どうやら覚悟を決めるしかないようだ。何度も何度も繰り返すが、別に誰かに聞かれて困ることなど何もない。それにはじめて聞かせる相手が奈菜なら、別に悪いことはない。
ピアノの蓋を開け、椅子に座る。音を確かめるために2つ3つ、鍵盤をはじく。
「一曲だけだからな」
鍵盤の上を指が躍った。
音が止む。ピアノの音が止まると、音楽室の中に再び静けさが戻る。弾き終わった後の達成感。このなんとも言えない感覚は好きだった。俺がピアノを弾く理由のひとつはこれだと言えるくらいに。
ぱちぱちぱち
奈菜の少し遠慮気味な拍手が響く。
「約束通り一曲だからな」
「………」
「奈菜?」
奈菜は拍手をしたまま動かない。どこか放心したような、意識がどこかに飛んでしまっているようなそんな感じだ。ためしに目の前で手を振ってみるが反応はない。
「お〜い、生きてるか?」
むにゅ
いつまでたっても戻ってこないので、ほほをつねってみることにする。自分のと違う、女の子特有のやわらかさをもった頬はよく伸びた。
「いひゃい!いひゃいよ!!」
「お、やっとしゃべれるようになったか?」
「ひゃなしへよ!」
「ん?なんて言ったんだ?」
「ひゃなしへ!!」
これ以上やるとマジで怒りだしそうだったのでとりあえず離す。なんとなくあの柔らかさから離れると、少し名残惜しいような気がした。
そんな俺とは対照的に、奈菜はといえば引っ張られて少し赤くなった頬をさすりながらむくれていた。
「もう!もとに戻らなくなったらどうするのよ!」
「それはそれでいいんじゃないか?」
「よくない!!」
珍しく声を荒げる奈菜に、少しやりすぎたかと感じてみたが、それは態度には出さないようにする。俺はどこかに意識を飛ばしていた奈菜の意識を連れ戻す手伝いをしただけだ。何もやましいことはしていない、はずである。
「せっかく人が感動の余韻に浸ってのに、台無しだよ!!」
どうやら感動していてくれたらしい。趣味でやっているものにそこまで評価を頂けるとは想ってもみなかったので少し、いや、だいぶ驚いた。それに素直にうれしくもあった。今なら頬を引っ張ったことを謝ってもいいかもしれない。
「しれないじゃなくて謝るんでしょう!?」
「なんだよ奈菜。人の考えを読むもんじゃないぞ?」
「言葉に出してたくせに〜」
そう言ってまたむくれる。今度は少し涙目になっての上目遣いのダブルコンボだ。やめてくれ、そのコンボは核兵器並に危険だ。健全な一男子としては刺激が強すぎる。
「もういいよ。心の広い奈菜さんは失礼な香介君の暴挙も許してあげることにします」
それはどうも。しかし許してくれるといいながら、その眼がどこか何かを企んでいるようにみえるのは気にせいなんだろうか?
「それはそうと物は相談なんだけど」
やっぱり来た。
「一つがお願いがあるの」
果てしなく不安しか感じないのだが、この場からのエスケープは許されるのだろうか?許されるのならぜひとも実行したい。そしてそのまま3日くらい学校を休みたい。
「私が軽音部だってことは知ってるよね?」
「耳にタコができるくらいに聞かされたからな」
買いものに一緒に行ったとの帰りなどの話題に上るのはたいていその日に学校であったことなどだ。その会話の中で、奈菜が部活の事を話すのはとても多い。というか8割はそうじゃなかろうか?おぼろげな記憶をたどってみる。実のところ、最初のころこそしっかり聞いていていたのだが、最近では聞き流すことが多くなっていたりする。だってしょうがないだろう?毎回似たような話ばかりじゃ聞きあきるってものだ。
「確か楽器全般ができるとか自慢してたよな?」
なんでも奈菜は好きが講じて一般的な楽器ならほとんど扱えるらしい。ギターやベース、ドラムにキーボードとその他にもいろいろあった気がするがあんまり覚えていない。
「別に自慢はしてないけど…。まぁ、それはおいといて。実はね私がバンドを組んでた人がね、この前部活やめちゃったんだ……」
これもあいまいな記憶だが、確か奈菜は今言った奴と二人でバンドを組んでいたらしい。もっとも二人ではバンドにはならない。ゆえにライブなどのときはいろいろと助っ人を頼んでいたらしい。役割としては基本的に奈菜がヴォーカル、もう一人の子がベースだったそうだ。場言いに応じて、奈菜がギターを兼任したりもしていたらしい。そんな状況ではあったが、それを話すときの奈菜はそれはそれは楽しそうだった。
「してその理由は?」
「なんか飽きちゃったんだって。他にもやりたいことができたとかなんとかで」
そう言ってうつむく奈菜。なんでもやめてしまった子にはちょうど彼氏ができたらしい。それで彼氏との時間を優先したいという理由が主だったものらしいが、今はすでに別れてしまって毎日友達と遊んでいるらしい。別に誰が何を仕様が、俺がとやかく言う権利はない。だけどそれは少しどうかと思った。少なくとも俺が奈菜なら1発と言わず10発くらい殴ってやったところだろう。
「でもそれはもういいの。本人がやりたくないのに押し付けるわけにもいかないから」
「そりゃそうかもしれないが…」
「だからね、香介君が私と組んでくれないかな?」
なぜそうなる。
確かに奈菜の境遇には同情を禁じ得ないが、そこで俺が代わりを務めるというのは話が飛躍しすぎだろう。
「香介君とならきっとやれると思うんだ!!」
頼むから思わないでくれ。そしてそんなに期待を込めた目で俺を見ないでくれ。いきなりの無理難題に俺はと言えば、なぜか昨日あたりから多くなっているため息を吐き、これまた昨日から多くなった気がするが、視線を外に飛ばすのだった。
ああ、午後もいい天気になりそうだ。
最近毎日更新してますね。
いつまで続くことやら…
できる限りがんばりたいと思います!!