ターキーに関する考察
※ 短編発表の作品整理です。
さて作者は、なんでも一度は試す主義――特に食品は可能な限り――だったりします。いいオトコに諭されたからでもないですが(笑)
騙されたつもりで口にした蛙――中華料理でした――も、かなり美味しかったりで……そこそこ挑戦からリターンも得てます。
……残念ながら病みつきにはなりませんでしたが。言葉にすると鶏肉の旨みと、脂身に近い歯ごたえ?
ハードルの低いところで言えば、スズメの丸焼きなんかはお薦めです。
あれを食べるだけでジビエの意味だとか、丸焼きの美味しさ、骨髄の旨みと……あまり一般的ではない味覚の概念を、簡単に理解できると思います。
そんな訳で、もちろん作者はターキーを試し済みです。
しかし、残念ながら――
意味不明レベルで美味しくない!
それが素直な感想でした。
ほとんど味がないというか、水で薄めたような鶏肉。料理そのものとしても、極端なまでの薄味。
なにより閉口してしまったのが、強いブロイラーチキン臭。
作者は金持ちでもグルメでもないので、そうとうなジャンクフードや貧乏素材でも気にしない性質ですが……あれは酷かった!
で、止めとばかりに高い!
鶏と比べて数倍はした記憶があります。
何かの折にネットで――
「クリスマスがケンタッキーのチキン? そんなことになったら泣いちゃうかも」
なんて意見を見たことがあります。もちろん本場の人による言です。
しかし、あのターキーを食わされるとか、むしろ作者には罰ゲームとしか感じられませんでした。
(実際にターキーは、食べきれずに廃棄してしまいましたし。なんとも勿体無い!)
これが適当なスーパーで買ったとかなら、反省の余地もあるのですが……そこそこお高い店舗。
男性の読者さんで自炊をされない方は知らないかもしれませんが、実はスーパーにも格があったりするんです!
有名どころだと紀ノ国屋とかでしょうか?
あのレベルになると、どれほど珍しい舶来品だろうと入手できます。味はともかく、本物なのも間違いないですし。
……何もかもがお高いですけど(苦笑)
とにかく並レベルのターキーを食べた感想にはなりそうだ。
そしてアレが美味しいというのも、「まあ好みは人それぞれだしなぁ。ちょっと理解しづらいけど」程度に思っていました。
しかし、別件でターキーを調べる機会があり、その再評価が必要と感じることに。
まずターキーの丸焼きというのは『大きければ大きいほど良い』とされてるそうです。
これは縁起などの問題ではなく、単純に味が良いからだとか。
しかし、この条件……日本で達成できているのか、非常に疑わしいと言わざるを得ません。
通常サイズですら数時間、大きい物になると十数時間かけての丸焼きとするそうですが……それの可能なオーブンを備えている調理場なんて、非常に珍しいでしょう!
日本の一般なご家庭では、ニワトリの丸焼きですら不可能なんですから!
つまり、その辺の事情から――
実は丸焼きじゃない。
もしくは、丸焼きとしても非常に小さな七面鳥。
これだけで料理の評価としては大問題です!
そもそも日本人は、育ちすぎた食材を大味として嫌う傾向にあります。
無意識に未熟な七面鳥を選んでいる可能性すらあるでしょう。値段などの経済的事情を考えずに、です!
しかし、ずっと七面鳥を食べてきた人達は、大きい方が美味いと!
もう、この時点から間違っている可能性が!
さらに調理器具の問題で、バラバラにして焼いている可能性も否定できません。
これを馴染み深い食材――例えば魚などで考えてみましょう。
焼き魚で一番美味しいのは、もちろん尾頭付きで丸ごと焼いたものです。その方が旨みが逃げませんし。
しかし、器具の問題で捌かなければならなかったら?
ここまでの問題点を重複させると、さらに悲劇的なのが理解できると思います。
まだ食べるのに値しないほど若くて小さい魚を――
なぜか尾頭付きで焼かないで、捌いてから焼く。
それを食った外国人が、「理解不能レベルで美味しくない!」とかほざいてやがる。
本場の人が聞いたら「ふざけんなよ?」と怒り出してしまうんじゃないでしょうか?
少なくとも魚の例では、作者ですら怒ります。
そして作者の入手したターキーも、強いブロイラー臭がしたということは……そういうことな可能性も強いし。
我々日本人が食べてきたターキーが、間違いだらけだった可能性がでてきましたが……ここまでは前提に過ぎなかったりします。
このターキーという料理ですが、美味しいのは二日目だとか!
つまり、クリスマスの日に一人前のターキーを買ってきて食べたところで……その美味しさは、全く理解できてない可能性が高い!
同時に長年の疑問も氷解したり(苦笑)
むこうの小説で、独り身の爺さんを主人公一家がクリスマスディナーに招待。翌朝に御土産としてターキーの残ったのを持たせてやるというのがありました。
何も解ってない作者は――
うーん。御土産なんだから悪意はないみたいだけど……要するにイブに残ったケンタッキーのチキンみたいなもんだろ?
それをわざわざ持たせるとか……侮辱スレスレになっちゃわないのか?
でも、むこうじゃ普通だったりする?
などと思ってました。
しかし、事情をよく知ってみれば、これは最大級の親切だったようです!
後述する理由も加味すると、ターキーとは完全に家庭料理!
それは決して独り身の爺さんでは用意できないもの――食べきれませんからね――であり……その醍醐味である二日目を食べさせないなんて、ある意味で嫌がらせにしかならない!
日本料理でいうのなら――
「鍋パーティには招く。招くといったが、しかし……〆のおじやは別だ! それは食わせない!」
などと言うのに近い?
いや『二日目』ですから……ジャンク料理だけど『昨日のすき焼きの余りで作る牛丼』みたいなニュアンスの方が近いかな?(苦笑)
そしてターキーは二日目で終わりじゃないそうです。
三日目あたりで、残った骨から出汁を取って料理するとか!
もちろん、まだ多少の肉は残っているでしょうし、それは具材として活用されると思われます。
だけど、ここで想像してみて下さい。
見事なまでの大物を、十数時間かけての丸焼き!
それを一昼夜寝かしたところで――
骨から旨みエキスをとっての汁物!
ターキーは嫌いと結論付け、そのスープを口にしたことのない作者ですら、美味しそうと思ってしまうぐらいです!
というか、丸焼きに使った骨って凄い出汁でるんですかね?
なんだか普通の骨で作るスープより美味しそうな気がします!
ここでターキーというのは家庭料理という説も補完されます。
初日の丸焼きであれば、レストランなどでも提供可能でしょう。
二日目の味だって、決して不可能ではありません。
三日目の汁物も、近いものは作れるでしょう。
しかし、それら全てを一つの流れとして楽しむのは、家庭料理としてでなくては難しいと思います。
そして常に家庭料理として、さらには風物詩として仕度されることで、さらなる味が加味されるはずです。
我々日本人にだって、ダイレクトに季節を想起させる料理はあるのですから。
おそらく西洋の人にとって、ターキーは二十四日の午前中辺りから始まります。
その香ばしい匂い――鳥の丸焼きですから、それなりに香ばしいはず――は、今年もクリスマスがきたと実感させるでしょうし……同時に味覚の記憶としてターキーを想起させるはずです。
そんな風に胃袋が準備を終えたところで――
まず初日のターキー!
いくら二日目が美味しいといっても、焼きたてには焼きたての味わいがあることでしょう。
ただ、全体的には物足りなく感じると思われます。味の旬は翌日のはずですし。
しかし、それでも問題はありません。
明日の味を想像しながら、まだ熟していない料理を食す……それは我々日本人にも馴染み深かったりします。
日本人に置き換えるのなら、初日のカレーでしょうか?
明日の美味しいカレーが予測できようと、今日のカレーは損なわれやしません!
ただ、翌日の楽しみに心を躍らせるだけなんですから!
二日目は、すこし寝坊するようです。
……ハリウッド映画などでも、イブの翌朝はのんびりな暗喩が見受けられますし。
そして朝食と昼食を兼ねるような食事は、おそらくターキーが主役です。
もちろん昨日も食べてはいるでしょうが、二日目はまた違う味なのですから別腹でしょう。
我々日本人でいうところの二日目カレーを愛する――つまりは連日カレーを厭わないのと同じだと思います。
パーティの翌日ですから、特別に食事の仕度をせず……昨日の残りを思いおもいにつまんで片付けていく。そんな習慣もあるやもしれません。
このような細かなことも、家庭の味のアクセントだと思います。
三日目は、人によっては待ちにまったメニューの日かも?
ほとんど肉はなくなり骨だらけとなったターキーも、まだスープにして再利用できます。
シンプルに骨で出汁を取ったスープ、具材としてターキーの肉。それが定番と思われますが……家庭ごとの秘伝料理は十二分に存在しそうです。
これこそ『家庭料理の極み』でしょうか?
三日目のカレーにだって、大胆なアレンジは存在します。
ドライカレーにしてしまう家や、カレーうどんなどへの変化も耳にしますし……作者などはカレーラーメンというキワモノを楽しんでいたり?
総論としてターキーとは――
『二十四日の午前中に匂いを嗅いでから、数日かけて骨まで残さず頂くまでがセットになった、家族で味わい尽くす、ごちそう』
の気がします。
そりゃターキーの代わりにケンタッキーのチキンじゃ、泣きそうになるわ!(苦笑)
またターキーだろうとケンタッキーのチキンだろうと、我々日本人が真似しているのは上っ面だけ。
しょせんは初日のターキーだけに過ぎない?
もし作者の仮定が正しいとすれば、我々日本人はイブのディナーをカレーで迎えることでしか対抗できません!
それを架空の語りで表現すれば、以下のように?
毎年二十四日の昼頃から、お袋がカレーを作り始めるんだ。
そりゃ家族全員の三食分だから、相当な量になる。もしかしたら三十人前ぐらいになるんじゃないかな?
でも、その匂いを嗅ぐと、今年もクリスマスがきたって感じる。
ガキの時分はプレゼントに胸を膨らませて。
大学生ぐらいの頃には……しばらくぶりで様子の変わってる実家や、いつの間にか背の小さくなってたお袋に驚いたりだ。
初日のカレーは、水ぽいときもあった気がする。
……親父とお袋が、それで喧嘩になったのを覚えているし。
絶対に二日目の方が美味しいんだけど……なぜか初日のカレーを食べられないと損した気分になるんだよな。
ああ、一度だけ食べられなかった年があって、酷く損をした気分になったよ。
いつも翌朝は、家族みんなが遅かった。
子供の頃は興奮しすぎて、なかなか寝付けなかったのを覚えてる。次の日にプレゼントもらえるのが楽しみでさ。
それこそ早く寝てしまえば良いと思うけど……まあ、そこは子供だったんだろうな。
で、朝になってやっとありついたプレゼントの包装を破いたり、なんだかんだしているうちに腹が減ってくる。
その時に食べるのが二日目のカレーだ。
なんだって一晩寝かしたカレーは、あんなにも美味いんだろうな?
とにかく俺にとって一番美味いと思うカレーで、二日目のカレーっていったら二十五日の昼飯に食うやつさ。
もちろん、まだカレーは余っている。
でも、それは計算通り。それを我が家ではカレーうどんにしていた。
……親父のやつが、うどんを打つのが好きでね。
普段は駄目と家族中から言われてた。まあ、それも仕方ない。下手の横好きよりマシ程度の技量だったし。
でも、三日目のカレーうどんの時だけは特例だったのさ。
ここぞとばかりに親父は張り切るし、お袋も渋い顔はしても文句は口にしない。俺達子供もワクワクしながら、親父がうどんを打つのを眺めてた。……飽きもせず毎年な。
きっと、それも家族の大事なイベントだったんだと思う。
〆のカレーうどんを食べてしまえば、残念ながらクリスマスも終了しちまうんだけどな。
とにかく、これが『クリスマスのカレー』で『ごちそう』だ。
二十四日にカレーを食べるものらしいから、とりあえずレトルトカレーを買ってきた?
悪いが俺には、お前が何をしたいのか理解できない。
確かにレトルトカレーは不味くはないが、『クリスマスのカレー』とは全然別物だ。少なくとも俺は認めないし、異論も受け付けない。
……文句あるか?
これが日本人向けにアレンジし、想像した『ターキー』になります。
……もし正しいとしたら、我々日本人が『ターキー』の真髄に到着することはないかも?
だって『クリスマスのカレー』は、家族以外では絶対に理解できないですから!
仮に部分々々をご馳走になったところで、決して理解には至れない。これこそ文化に根付きすぎた食事だと、作者なんかは思います。
そう思って観察してこなかったのが悔やまれますが――
西洋の映画などでも、不特定多数が集まるクリスマスパーティでは、『ターキー』が提供されてなかった気がします。
されていたとしても、登場人物たちは大して関心を持たず……家庭でとのテンション差が酷かったような?
それはきっと『ターキー』がパーティ料理に向いていないから?
少なくとも初日のカレーだけ食わされたところで、テンション上げ上げとはなれないでしょうし(苦笑)
もしくは〆に『おじや』もしなけりゃ麺類も使わない、表面だけを取り繕ったような鍋物の方が近い? しかも立食パーティ形式だとかで?
そしてケンタッキーに並ぶ日本人を、西洋圏の人達が奇異の目で見る理由の説明にもなるかも?
全ての想像が正しいとすると……イブのディナーにケンタッキーを求める日本人は、本場の人には完全に意味不明でしょう! どんなに好意的に解釈してもらっても!
……おそらく戦後、『ターキーを前に幸せそうなクリスマスディナーを迎えるアメリカ人一家』という、解りやすい豊かさを提示されたのかな?
(もしかしたら当時には有名だったドラマの一シーンとか――明確な犯人の特定すら可能かもしれません)
そこからクリスマスには『鳥の丸焼き』という表層的な認識。
日本では一般的じゃない『鳥の丸焼き』の代用としてケンタッキー。
結果として今に至る。
そんな感じなのでしょうか?
正確なところは、当事の世俗に詳しい方に譲るしかありませんが(苦笑)
結論として二十四日にケンタッキーに並ぶのは間違っているんです!
それは意識(笑)が低い!
イケてない!(もう死後?)
マスコミに踊らされているだけなんです! な、なんだってー!?>ΩΩΩ
……え? 作者ですか?
嫌だなぁ……もちろん二十四日の晩飯は、ケンタッキーに決まっているじゃないですか!
並んで待つのは面倒臭いので、イートインで済ませるかもしれませんが。
あれなんですよ。
『ターキー』は素晴らしい家庭料理であり、欠かせない風物詩なのかもしれません。
でも二十四日にはクリスマスのケンタッキーとケーキでディナーってのは、お手軽にクリスマスを楽しむのにピッタリなんですもの!
時間にして僅か三十分もあれば、サクッとクリスマスを片付けられます!
……あっ?
それは独りだから可能? 相方がいると無理?
そうか、そうか、つまりきみはそんなリア充なんだな。
よろしい、ならば戦争だ!
……これにて終わりで、どっとはらい!