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雑記帳  作者: curuss
10/37

ターキーに関する考察

※ 短編発表の作品整理です。

 さて作者は、なんでも一度は試す主義――特に食品は可能な限り――だったりします。いいオトコに諭されたからでもないですが(笑)

 騙されたつもりで口にした蛙――中華料理でした――も、かなり美味しかったりで……そこそこ挑戦からリターンも得てます。

 ……残念ながら病みつきにはなりませんでしたが。言葉にすると鶏肉の旨みと、脂身に近い歯ごたえ?

 ハードルの低いところで言えば、スズメの丸焼きなんかはお薦めです。

 あれを食べるだけでジビエの意味だとか、丸焼きの美味しさ、骨髄の旨みと……あまり一般的ではない味覚の概念を、簡単に理解できると思います。


 そんな訳で、もちろん作者はターキーを試し済みです。

 しかし、残念ながら――


 意味不明レベルで美味しくない!


 それが素直な感想でした。

 ほとんど味がないというか、水で薄めたような鶏肉。料理そのものとしても、極端なまでの薄味。

 なにより閉口してしまったのが、強いブロイラーチキン臭。

 作者は金持ちでもグルメでもないので、そうとうなジャンクフードや貧乏素材でも気にしない性質ですが……あれは酷かった!

 で、止めとばかりに高い!

 鶏と比べて数倍はした記憶があります。


 何かの折にネットで――

「クリスマスがケンタッキーのチキン? そんなことになったら泣いちゃうかも」

 なんて意見を見たことがあります。もちろん本場の人による言です。

 しかし、あのターキーを食わされるとか、むしろ作者には罰ゲームとしか感じられませんでした。

(実際にターキーは、食べきれずに廃棄してしまいましたし。なんとも勿体無い!)

 これが適当なスーパーで買ったとかなら、反省の余地もあるのですが……そこそこお高い店舗。

 男性の読者さんで自炊をされない方は知らないかもしれませんが、実はスーパーにも格があったりするんです!

 有名どころだと紀ノ国屋とかでしょうか?

 あのレベルになると、どれほど珍しい舶来品だろうと入手できます。味はともかく、本物なのも間違いないですし。

 ……何もかもがお高いですけど(苦笑)

 とにかく並レベルのターキーを食べた感想にはなりそうだ。

 そしてアレが美味しいというのも、「まあ好みは人それぞれだしなぁ。ちょっと理解しづらいけど」程度に思っていました。


 しかし、別件でターキーを調べる機会があり、その再評価が必要と感じることに。

 まずターキーの丸焼きというのは『大きければ大きいほど良い』とされてるそうです。

 これは縁起などの問題ではなく、単純に味が良いからだとか。

 しかし、この条件……日本で達成できているのか、非常に疑わしいと言わざるを得ません。

 通常サイズですら数時間、大きい物になると十数時間かけての丸焼きとするそうですが……それの可能なオーブンを備えている調理場なんて、非常に珍しいでしょう!

 日本の一般なご家庭では、ニワトリの丸焼きですら不可能なんですから!

 つまり、その辺の事情から――


 実は丸焼きじゃない。

 もしくは、丸焼きとしても非常に小さな七面鳥。


 これだけで料理の評価としては大問題です!

 そもそも日本人は、育ちすぎた食材を大味として嫌う傾向にあります。

 無意識に未熟な七面鳥を選んでいる可能性すらあるでしょう。値段などの経済的事情を考えずに、です!

 しかし、ずっと七面鳥を食べてきた人達は、大きい方が美味いと!

 もう、この時点から間違っている可能性が!

 さらに調理器具の問題で、バラバラにして焼いている可能性も否定できません。

 これを馴染み深い食材――例えば魚などで考えてみましょう。

 焼き魚で一番美味しいのは、もちろん尾頭付きで丸ごと焼いたものです。その方が旨みが逃げませんし。

 しかし、器具の問題で捌かなければならなかったら?


 ここまでの問題点を重複させると、さらに悲劇的なのが理解できると思います。

 まだ食べるのに値しないほど若くて小さい魚を――

 なぜか尾頭付きで焼かないで、捌いてから焼く。

 それを食った外国人が、「理解不能レベルで美味しくない!」とかほざいてやがる。

 本場の人が聞いたら「ふざけんなよ?」と怒り出してしまうんじゃないでしょうか?

 少なくとも魚の例では、作者ですら怒ります。


 そして作者の入手したターキーも、強いブロイラー臭がしたということは……()()()()()()な可能性も強いし。


 我々日本人が食べてきたターキーが、間違いだらけだった可能性がでてきましたが……ここまでは前提に過ぎなかったりします。

 このターキーという料理ですが、美味しいのは二日目だとか!

 つまり、クリスマスの日に一人前のターキーを買ってきて食べたところで……その美味しさは、全く理解できてない可能性が高い!


 同時に長年の疑問も氷解したり(苦笑)

 むこうの小説で、独り身の爺さんを主人公一家がクリスマスディナーに招待。翌朝に御土産としてターキーの残ったのを持たせてやるというのがありました。

 何も解ってない作者は――


 うーん。御土産なんだから悪意はないみたいだけど……要するにイブに残ったケンタッキーのチキンみたいなもんだろ?

 それをわざわざ持たせるとか……侮辱スレスレになっちゃわないのか?

 でも、むこうじゃ普通だったりする?


 などと思ってました。

 しかし、事情をよく知ってみれば、これは最大級の親切だったようです!

 後述する理由も加味すると、ターキーとは完全に家庭料理!

 それは決して独り身の爺さんでは用意できないもの――食べきれませんからね――であり……その醍醐味である二日目を食べさせないなんて、ある意味で嫌がらせにしかならない!

 日本料理でいうのなら――

「鍋パーティには招く。招くといったが、しかし……〆のおじやは別だ! それは食わせない!」

 などと言うのに近い?

 いや『二日目』ですから……ジャンク料理だけど『昨日のすき焼きの余りで作る牛丼』みたいなニュアンスの方が近いかな?(苦笑)


 そしてターキーは二日目で終わりじゃないそうです。

 三日目あたりで、残った骨から出汁を取って料理するとか!

 もちろん、まだ多少の肉は残っているでしょうし、それは具材として活用されると思われます。

 だけど、ここで想像してみて下さい。

 見事なまでの大物を、十数時間かけての丸焼き!

 それを一昼夜寝かしたところで――

 骨から旨みエキスをとっての汁物!

 ターキーは嫌いと結論付け、そのスープを口にしたことのない作者ですら、美味しそうと思ってしまうぐらいです!

 というか、丸焼きに使った骨って凄い出汁でるんですかね?

 なんだか普通の骨で作るスープより美味しそうな気がします!


 ここでターキーというのは家庭料理という説も補完されます。

 初日の丸焼きであれば、レストランなどでも提供可能でしょう。

 二日目の味だって、決して不可能ではありません。

 三日目の汁物も、近いものは作れるでしょう。

 しかし、それら全てを一つの流れとして楽しむのは、家庭料理としてでなくては難しいと思います。


 そして常に家庭料理として、さらには風物詩として仕度されることで、さらなる味が加味されるはずです。

 我々日本人にだって、ダイレクトに季節を想起させる料理はあるのですから。

 おそらく西洋の人にとって、ターキーは二十四日の午前中辺りから始まります。

 その香ばしい匂い――鳥の丸焼きですから、それなりに香ばしいはず――は、今年もクリスマスがきたと実感させるでしょうし……同時に味覚の記憶としてターキーを想起させるはずです。

 そんな風に胃袋が準備を終えたところで――


 まず初日のターキー!

 いくら二日目が美味しいといっても、焼きたてには焼きたての味わいがあることでしょう。

 ただ、全体的には物足りなく感じると思われます。味の旬は翌日のはずですし。

 しかし、それでも問題はありません。

 明日の味を想像しながら、まだ熟していない料理を食す……それは我々日本人にも馴染み深かったりします。

 日本人に置き換えるのなら、初日のカレーでしょうか?

 明日の美味しいカレーが予測できようと、今日のカレーは損なわれやしません!

 ただ、翌日の楽しみに心を躍らせるだけなんですから!


 二日目は、すこし寝坊するようです。

 ……ハリウッド映画などでも、イブの翌朝はのんびりな暗喩が見受けられますし。

 そして朝食と昼食を兼ねるような食事は、おそらくターキーが主役です。

 もちろん昨日も食べてはいるでしょうが、二日目はまた違う味なのですから別腹でしょう。

 我々日本人でいうところの二日目カレーを愛する――つまりは連日カレーを厭わないのと同じだと思います。

 パーティの翌日ですから、特別に食事の仕度をせず……昨日の残りを思いおもいにつまんで片付けていく。そんな習慣もあるやもしれません。

 このような細かなことも、家庭の味のアクセントだと思います。


 三日目は、人によっては待ちにまったメニューの日かも?

 ほとんど肉はなくなり骨だらけとなったターキーも、まだスープにして再利用できます。

 シンプルに骨で出汁を取ったスープ、具材としてターキーの肉。それが定番と思われますが……家庭ごとの秘伝料理は十二分に存在しそうです。

 これこそ『家庭料理の極み』でしょうか?

 三日目のカレーにだって、大胆なアレンジは存在します。

 ドライカレーにしてしまう家や、カレーうどんなどへの変化も耳にしますし……作者などはカレーラーメンというキワモノを楽しんでいたり?


 総論としてターキーとは――

『二十四日の午前中に匂いを嗅いでから、数日かけて骨まで残さず頂くまでがセットになった、()()()味わい尽くす、ごちそう』

 の気がします。

 そりゃターキーの代わりにケンタッキーのチキンじゃ、泣きそうになるわ!(苦笑)

 またターキーだろうとケンタッキーのチキンだろうと、我々日本人が真似しているのは上っ面だけ。

 しょせんは初日のターキーだけに過ぎない?

 もし作者の仮定が正しいとすれば、我々日本人はイブのディナーをカレーで迎えることでしか対抗できません!

 それを架空の語りで表現すれば、以下のように?


 毎年二十四日の昼頃から、お袋がカレーを作り始めるんだ。

 そりゃ家族全員の三食分だから、相当な量になる。もしかしたら三十人前ぐらいになるんじゃないかな?

 でも、その匂いを嗅ぐと、今年もクリスマスがきたって感じる。

 ガキの時分はプレゼントに胸を膨らませて。

 大学生ぐらいの頃には……しばらくぶりで様子の変わってる実家や、いつの間にか背の小さくなってたお袋に驚いたりだ。

 初日のカレーは、水ぽいときもあった気がする。

 ……親父とお袋が、それで喧嘩になったのを覚えているし。

 絶対に二日目の方が美味しいんだけど……なぜか初日のカレーを食べられないと損した気分になるんだよな。

 ああ、一度だけ食べられなかった年があって、酷く損をした気分になったよ。

 いつも翌朝は、家族みんなが遅かった。

 子供の頃は興奮しすぎて、なかなか寝付けなかったのを覚えてる。次の日にプレゼントもらえるのが楽しみでさ。

 それこそ早く寝てしまえば良いと思うけど……まあ、そこは子供だったんだろうな。

 で、朝になってやっとありついたプレゼントの包装を破いたり、なんだかんだしているうちに腹が減ってくる。

 その時に食べるのが二日目のカレーだ。

 なんだって一晩寝かしたカレーは、あんなにも美味いんだろうな?

 とにかく俺にとって一番美味いと思うカレーで、二日目のカレーっていったら二十五日の昼飯に食うやつさ。

 もちろん、まだカレーは余っている。

 でも、それは計算通り。それを我が家ではカレーうどんにしていた。

 ……親父のやつが、うどんを打つのが好きでね。

 普段は駄目と家族中から言われてた。まあ、それも仕方ない。下手の横好きよりマシ程度の技量だったし。

 でも、三日目のカレーうどんの時だけは特例だったのさ。

 ここぞとばかりに親父は張り切るし、お袋も渋い顔はしても文句は口にしない。俺達子供もワクワクしながら、親父がうどんを打つのを眺めてた。……飽きもせず毎年な。

 きっと、それも家族の大事なイベントだったんだと思う。

 〆のカレーうどんを食べてしまえば、残念ながらクリスマスも終了しちまうんだけどな。

 とにかく、これが『クリスマスのカレー』で『ごちそう』だ。

 二十四日にカレーを食べるものらしいから、とりあえずレトルトカレーを買ってきた?

 悪いが俺には、お前が何をしたいのか理解できない。

 確かにレトルトカレーは不味くはないが、『クリスマスのカレー』とは全然別物だ。少なくとも俺は認めないし、異論も受け付けない。

 ……文句あるか?


 これが日本人向けにアレンジし、想像した『ターキー』になります。

 ……もし正しいとしたら、我々日本人が『ターキー』の真髄に到着することはないかも?

 だって『クリスマスのカレー』は、家族以外では絶対に理解できないですから!

 仮に部分々々をご馳走になったところで、決して理解には至れない。これこそ文化に根付きすぎた食事だと、作者なんかは思います。

 そう思って観察してこなかったのが悔やまれますが――

 西洋の映画などでも、不特定多数が集まるクリスマスパーティでは、『ターキー』が提供されてなかった気がします。

 されていたとしても、登場人物たちは大して関心を持たず……家庭でとのテンション差が酷かったような?

 それはきっと『ターキー』がパーティ料理に向いていないから?

 少なくとも初日のカレーだけ食わされたところで、テンション上げ上げとはなれないでしょうし(苦笑)

 もしくは〆に『おじや』もしなけりゃ麺類も使わない、表面だけを取り繕ったような鍋物の方が近い? しかも立食パーティ形式だとかで?


 そしてケンタッキーに並ぶ日本人を、西洋圏の人達が奇異の目で見る理由の説明にもなるかも?

 全ての想像が正しいとすると……イブのディナーにケンタッキーを求める日本人は、本場の人には完全に意味不明でしょう! どんなに好意的に解釈してもらっても!

 ……おそらく戦後、『ターキーを前に幸せそうなクリスマスディナーを迎えるアメリカ人一家』という、解りやすい豊かさを提示されたのかな?

(もしかしたら当時には有名だったドラマの一シーンとか――明確な犯人の特定すら可能かもしれません)

 そこからクリスマスには『鳥の丸焼き』という表層的な認識。

 日本では一般的じゃない『鳥の丸焼き』の代用としてケンタッキー。

 結果として今に至る。

 そんな感じなのでしょうか?

 正確なところは、当事の世俗に詳しい方に譲るしかありませんが(苦笑)


 結論として二十四日にケンタッキーに並ぶのは間違っているんです!

 それは意識(笑)が低い!

 イケてない!(もう死後?)

 マスコミに踊らされているだけなんです! な、なんだってー!?>ΩΩΩ


 ……え? 作者ですか?

 嫌だなぁ……もちろん二十四日の晩飯は、ケンタッキーに決まっているじゃないですか!

 並んで待つのは面倒臭いので、イートインで済ませるかもしれませんが。

 あれなんですよ。

 『ターキー』は素晴らしい家庭料理であり、欠かせない風物詩なのかもしれません。

 でも二十四日にはクリスマスのケンタッキーとケーキでディナーってのは、お手軽にクリスマスを楽しむのにピッタリなんですもの!

 時間にして僅か三十分もあれば、サクッとクリスマスを片付けられます!

 ……あっ?

 それは独りだから可能? 相方がいると無理?

 そうか、そうか、つまりきみはそんなリア充(やつ)なんだな。

 よろしい、ならば戦争だ!


 ……これにて終わりで、どっとはらい!

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