3つの鍵
魔導人いわゆる機械人形、ロボットともいうそれの歴史は長い。今から400年以上前には既に人型のものが開発されていた。身の回りの機械類も、500年ほど前に一気に開発され、それが徐々に改良されていったらしいが、進歩の幅が一番大きいのはやはりロボットだろう。今や一般家庭の二つに一つの割合で稼働しているそれらは、歴史もある分大変奥深い。
こういった機械が一気に発達したのには、およそ500年前の魔力枯渇問題が大きく影響している。この地は元々魔力と呼ばれるエネルギーが大気に満ち満ちていた。しかし、ある時突然そのエネルギーは徐々に失われはじめ、魔力が減るほどに魔物がその数を増していったのだ。
人々は何が起こっているのか、今起こっている問題の原因は何なのか、それらをはっきりと知る術はなく、ひたすら生き残る道を模索した。そして、魔力を増幅させる方法、閉じこめる方法、魔力に代わるエネルギーの開発に打ち込んだのだ。
これにより科学が飛躍的に進歩し、人々は町を分厚く巨大な壁で多い、空にも電磁網を張った。人々の中には船に乗り込み別の星へと旅立つものもいた。
こういった500年前の大まかな記録は未だ残っている。しかし、詳しいことはうやむやのままだ。
昔話として語り継がれている話によれば、突如現れた旅人により、モンスターは鎮められ、魔力が完全に消滅することは免れた、とある。実際には何が起こったのか定かではないが、この世界の歴史を大まかに語ればそんなところだ。
そいでもってなぜ僕が歴史なんぞに思いを馳せているのか、といえば、夢にまで見た魔導人”CL386003”のオークションが明日に控えているからだ。僕はあまりの期待と興奮に今までの世界の歴史をざっと振り返り、ロボットの奥深さを感じていたのである。
モンスターが急増した戦乱のさなか、ロボットたちは果敢にモンスターどもと戦い、人々を守った。戦乱の世が終わった後も人々を助け、癒し、共に暮らしてきたのだ。
あぁ、僕は明日のオークションのために骨身を削って給料をありったけ貯金してきた。多少の娯楽がないときっと何か精神の病でも患いそうだったので、少し機械をいじって予想以上の出費をしてしまったが、しかし、僕の口座に入っているあれの量はもう半端ないのである。あれを湯船に全部ぶち込んでも有り余るくらいである。といってもうちに湯船はないが。要するにさっきの言葉は単なる妄想である。
ともかく、僕の胸は期待と不安と興奮とその他諸々により膨らんではちきれそうであった。今日はもう眠れないだろうから、明日の予定を脳内でシミュレーションしてみることにする。
オークションは明日の午後3時からである。これは極限られた人物しか知らない極秘のものであり、随分前から告知されていた。世に出て働いている社会人であれば、前々から予定を組んでおかなければならない時間帯であるが、僕はその点全く心配がない。なぜなら僕は在宅勤務であり、パソコンを使って好きなときに好きな仕事を受けて雑務をするような職業であるからして、僕が休みと決めれば休みになるのだ。
人はこんな僕を見て外に出ろ、働け、というが、僕は内側から外に出ているといってよい。なんだか今いいことを言ったような気がする。内側から外に出ているのである。僕は外に出ているのと何ら変わりのない働きをしており、僕が他人と顔をつけ合わさない分だけ、僕も他人も無駄なストレスや力を使わないですむ。誰かと話そうとすればするほど僕は舌がもつれて喋れない。それではお互い不快なばかりである。いっそ筆談だけで他人とコミュニケーションをとったほうが早いくらいだ。
とにもかくにも、僕は非常に効率のよいエネルギーの使い方をしているといえる。僕は無駄にエネルギーは使わない。
さて、シミュレーションをするはずがまるで誰かに言い訳でもするかのようなことを考えてしまっていた。こんな無駄なことを考えたのは久しぶりである。
自分をけなすことほどエレルギーの無駄はない。自分をけなしたことで得られるのはストレスだけである。己がすべきことはけなすことではなく反省である。自分の短所を見つけ、そこをどう改善していくかが問題であり、云々。
話が大幅にそれてしまった。もういいもういい、無駄無駄言っていたらまた無駄な方に話がいってしまう。時が止められるなら話は別だが、こういう思考はするだけ時間の無駄なのだッ!
しかし、無駄と言えば、僕が趣味で作り上げたあれだろうか。あれには大変ネーミングに困っている。疑似戦闘機とかいう名前にしようかと考えたりもしたが、それでは機械自身が動いて戦うようである。そういうものでは断じてない。僕の作り上げたあれはもっとスマートな作品である。
それは一抱えくらいのサイズ。なかなか重量はあるが、それは機能がぎっちり詰まっているからである。そいつについたレンズにより魔物を映しだし、本物そっくりに動かすのだ。相手は映像なのでこっちがダメージを食らうことはないが、相手はこちらの攻撃をよけることもあるし、攻撃を食らったら敵のみダメージを受ける。映像は僕のプライドにかけ、かなり精密に作っており、戦闘の練習にはもってこいである。
そして、何故このようなものを作ったのかというと、別に僕が勇者になりたいとか思っているわけじゃない。僕は魔導人大好きな以外に、いくつか趣味がある。
一番の趣味はめがねだ。そう、今回僕が夢にまで見て、何物よりも熱意を注いでいるCL386003は、メガネっ娘なのである。長い若葉色の髪を背中に垂らし、メイド服と鎧が融合した大変デザイン性の高い服を着ている。
そして、彼女のかけているメガネ、それはもう是非セットで手に入れたい。あのメガネだけでも欲しいところだが、あのメガネを装着している彼女自身も是非とも欲しい。メガネと彼女の究極のコラボレーションにより、幸福への扉は放たれるのだ!
僕は自らのメガネをくいくいしつつ思う。もし彼女を落とし、金銭面に余裕があればマンションを買おう。そして、彼女と幸せに暮らして、めでたしめでたしで人生締めくくりたい。それ以上の幸福はないに違いない。
彼女には家事なんかもやってもらうが、それと同時に2番目の趣味であるイラストの、モデルにもなってもらおう。ここで、先ほどの機械が出てくるのである。僕が作ったあれによりCL386003が美しく立ち回る。僕はそれを写真に収め、そして描くのだ。そうすることにより僕はもっと充実した生活を送ることができ、もし絵の出来がよければ収入増加につながる。
これはもういいこと尽くしである。僕の幸福のため、なんとしてでも彼女を落とさねばならない。
しかし、このまま興奮状態が続いてしまうと、明日の3時がくる前にどうにかなってしまいそうだ。脈拍のスピードが上がったままである。血の巡りは大変よろしいが、ずっとこの状態では疲れがたまる。
結局シミュレーションはせずじまいだが、ここはメガネコレクションでも磨いて精神を落ち着けよう。
*
午後3時であった。僕は1時間前に会場に着き、全6列ある座席の3列目、左端に腰掛けている。会場はかなりこじんまりしていて、既に席は全て埋まっていた。
僕の周囲にはなんだか汗くさい男達がどこか卑猥な笑みを浮かべながら一人、または複数でえへえへやっている。
非常にメガネ率が高い。僕もメガネであるので人のことは言えない。
それにしても、皆ラフな服装である。バンダナ着用率、服の柄チェック率が高い。辺りを見る限りではスーツは僕一人である。
燕尾服で来てやろうかとも思ったが残念ながら持ち合わせがない。そもそも、そこまで気合いを入れてきておいて、僕より遙かに強い熱意を持った人が出てきたらおしまいである。そんな時、燕尾服なんざ着ていたらとんだ恥さらしである、穴に埋まってしまいたくなること請け合いである。
なのでスーツにした。これなら仕事抜け出してきたんですよ、えへへ、などと言い訳も考えられる。こんな勝負時に抜け道など用意しているような軟弱な精神で僕は彼女を勝ち取れるのか些かならず不安であったが、しかし、どっちにしろ一瞬で衣装チェンジするような能力は持ち合わせていないので余計なことを考えるのは止めにした。
それにしても遅い。
彼女との出会いを振り返り、彼女との未来を想像し、万一彼女をつかむことができなかった場合について幾通りもの彼女奪還計画を考え、考えられること全て考えた。しかしながら肝心のオークションが始まらないのである。
こちらの準備は万端なのだ。それでも始まらないということは向こうの準備ができていないということである。
今まで数々のオークション体験談等見聞きしてきた僕であるが、開始が遅れたなどという話は聞いたことがなかった。CL386003を開発した会社側に何か問題でもあったのだろうか。
僕の不安ばかりが大きくなっていく。あぁ、勘弁してほしい、胃が痛くなってきた。まだか、まだ始まらないのか。彼女の姿はまだ見られないのか。
僕の思考がだんだん感情的になってきた。
そんなとき、突然会場内が暗くなった。
驚いて視線を上げると、前方にある壇上、そこにスクリーンが表示されていた。そして、今まで買ったメガネの数より多く見たCL386003のプロモーションビデオが流れ始める。大画面で見るそれは家のパソコンで見るよりも随分と迫力があり、パソコンのスピーカーとは比べものにならないほど音質もよかった。これで結構感動ものである。
そして、1、2分のPVが終了すると、徐々に会場のライトがつき始め、会社の重役と思われるスーツ姿の男性が現れた。彼は挨拶から始まりCL386003の制作話や関わった人の話など、魔導人に関係ある話から、脈略があるのかないのかよく分からない話までし、どこか時間を稼いでいるような風だった。
体験談によれば必ず挨拶や、その日オークションにかけられるロボットについて話すと言っていたが、長くて10分ほどの話だと聞いた。しかし、今回はかれこれ20分も話し続けている。
さすがに異常だと気づいたらしい周囲がざわつき始めた。するとこれ以上の時間稼ぎは無理か、と判断したのかどうかは定かではないが、話が突然終わった。どこかぎこちない様子で重役らしき男性が動くと、ステージ脇から人影が現れる。
紛れもなく彼女!! と、思うその直前僕は違和感を覚えた。
何度も何度も見たあのメガネが目の前の魔導人の鼻の上に落ち着いている。しかし、そのメガネを受け止めている顔、どこか違うのだ。ビジュアルではなく機能性にこだわったCL386003の顔は比較的機械的で、感情を表すのが苦手なかわいらしい女の子を彷彿とさせた。しかし、目前にいるそれはどこか柔らかな表情を浮かべ、まるで、男など手慣れたものよ、おほほ、などという余裕が覗いているような感じがする。
なんなのだ、目の前にいるそいつは。服装など装飾品は彼女と変わらない。しかし、顔つき、そして、微妙な髪の色や、僅かな体のバランスなど、似てはいるものの違うのだ。
僕はいろいろな感情がこみ上げてきたが、一番強く出てきたのが怒りだった。僕はこれまでになく腹が立った。人生でこれが一番かもしれない、それくらいの怒りである。
バカにされているのかと思った。
しかし、周囲の人間は壇上に立つそれを見てまるで本物を見たかのように喜んでいる。だが、断じてあれは彼女ではない。
これは詐欺だ、僕は断固として抗議する。断っておくが、僕は断じて行動派ではない。僕はその真逆の性格をしている。それでも今回ばかりは行動するほかなかった。
僕は勢いよく立ち上がる。突然立ち上がった僕を、壇上に立つ男、そして周囲のメガネが見た。
しかし、注目されていたのは僕だけではなかった。僕の席より右手、そこにも一人、スーツを着たメガネではない女性がメガネ男達の中一人立っていたのだ。
彼女はちらりとこちらを見たが、それ以上のリアクションはなく、壇上へ顔を戻すとよく通る声で言った。
「それはCL386003号ではありません。これは詐欺です」
一気に会場がどよめいた。
壇上の男は一瞬だけだが、あからさまに顔をひきつらせた。もっと男の近くにいればギクッという音が聞こえたに違いない。
「僕も同じことを言いたい! それは彼女ではない!」
僕もびしりと言い放った。メガネではない彼女が再びこちらに視線を向け、何度か瞬きをしたのが見えた。
会場のざわめきが大きくなる。
壇上の男はしかめっ面でステージ脇へと帰っていった。すると、入れ替わりで背の高い若い男が入ってきた。
その男はさっきの男性と対照的で、先ほどのある程度年をとった小さめの姿と比べると、随分と華やかだった。しかし、彼の目に先ほどの男性のような人間味はあまり感じられず形だけの笑顔で「これは紛れもなくCL386003です。ご不満なから帰っていただいてもかまいません」と諭すように言った。
僕と彼女以外に、壇上で首を傾げているそれを偽物だと言う者はいなかった。
僕は急に悔しさがこみ上げてきて目がじわじわしてきた。今更ながら自分が間違っていたような気がした。しかし、壇上の男の顔を改めてみると、平気で嘘をつきそうな冷たい目をしていた。
彼女の顔をよく見るためにつけてきたとっておきのメガネは、偽物をまじまじと見るためでも、機械のような男を見るためでもない。
僕はメガネを外した。周りがぼやけてよく分からなかった。通路だけはかろうじて分かったので、僕はモンスターを映し出すあれを突っ込んでいる鞄を引っ掴んで会場を出た。
外に出る時扉は既に開いていた。彼女が先に出ていったようだった。
*
会場のあったビルから外に出ると、視界はさらに曇った。これは目から出てくる洗浄液のせいだけでない。いつの間にか外は大雨だった。
何となく横を見ると黒い人影があった。洗浄液を顔に塗り広げメガネをかけると、メガネじゃない彼女が、赤い傘を両手で構えた状態で僕を見ていた。
僕は急に恥ずかしくなった。思わず顔を逸らす。
すると、彼女が近くに寄ってくる気配がした。予想外のことに視線を戻すと、彼女はどこか不機嫌そうに見える顔で僕の手に傘を押しつけた。
なんだかよく分からずに傘を受け取るやいなや彼女は大雨の中走り出す。止めようとしたがうまく言葉にならなかった。
もごもごしているうちに彼女はどこかへ走り去り、僕の手には赤い傘が残った。
去り際彼女の顔が赤かったのはこの傘の赤が反射していたからだろうか、そんなことを考えながら僕は帰路についた。
はずだった。
僕の足はいつの間にか家とは違う方向に向いていた。僕は公園に向かっていたのだ。大きなその公園は一部が木々に覆われている。
人気のないその公園に着いた僕は、森のような場所に足を踏み入れ、木の影に持ってきていたあれを設置した。雨は少し勢いを弱め、この雨ならあれが壊れる心配はないだろう。
僕は大きく深呼吸した。せっかく傘を貸してくれたメガネじゃない彼女には悪いけど濡れて帰ろうと思った。
あれのスイッチを入れる。ぶうんという音がして、半透明の大きなトカゲ型の魔物が現れた。そいつは二本足で立ち上がると威嚇するように鳴く。
僕は傘をたたみ、剣のように構えた。
*
翌日玄関の靴の上に一通の白い封筒が乗っていた。どうもドアについた差し込み口に入れられたものらしい。うちにはポストがないので、このドアの小さな入り口に手紙が突っ込まれる仕様となっている。先日の雨のせいで玄関が靴の上を覗いてじっとりしていたので非常に運が良い封筒であった。
裏を向いていた封筒をひっくり返すと、フロラ・フリミアという魔導人大手の会社名が印刷されていた。その会社こそ昨日オークションを行った会社である。
差出人の名前はない。僕の名前も書かれていない。
些か不審に思いながら封筒を開けると、何枚か書類が入っていた。
書類の内容をまとめてみると、昨日のオークションの様子から僕が公園で一人ストレスの発散をしていたところ、そして、僕の家まで会社のスタッフが見ていたと書かれていた。もちろん詫びはしてあったが、家までついてくるとはいかがなもんか、というところである。しかし、僕が眉をしかめたのはそれ一度だけだった。
どうも、僕がどうしても手に入れたかった彼女は、大変な事情があり、昨日の会場にいた人とは別の人の手に渡ったという。というのも会社社長の令嬢が誘拐され、お嬢様を救った人物にお礼として彼女を渡したのだそうだ。
もしそのご令嬢を救った人物が現れなければ、彼女がご令嬢救出に駆り出され、この世から消えてしまっていたかもしれないという。
僕は彼女を諦めた。僕のようなメガネフェチと一生連れ添うより、人を救った偉大な人物と暮らす方がいいに違いない、と。
まだ少し未練はある。一目みたい、しかし、彼女を手に入れた人物はどこの誰ともしれない。彼女と会うことはもうないのだ。
昨日のオーディションも結局途中で中止になり、集まった人々には会社の商品券を配ってその場は収まったらしい。もらった封筒に、書類に混じって商品券が入っていたが、なかなか高額だった。
そして、書類のうち最後の紙には驚くべきことが書かれていた。僕を社員として雇いたい、と書かれていたのだ。僕の偽物を見ぬいた目、それと、僕が開発したあれを見て、是非魔導人開発に協力してほしいと、会社の重役達が考えたらしい。
僕としては願ってもない話だった。他人と話すのはあれだが、きちんとした場で機械をいじれる、さらには僕好みのロボットを作れるかもしれない。
幸せの始まりは、ここからだったのだ!
*
会社に入社して一週間。
僕はまだ魔導人本体の開発にはいかないまでも、付属品の開発を任された。今僕はメガネ型メモリーを考案中である。メガネが本体っていう冗談が現実になるかもしれない。
そんなおもしろくもあり、非常に僕好みの仕事をしている。僕はこれだけで幸せであった。今までの僕の人生はなんてつまらなかったんだ、なんて思うくらいであった。
そんな中、僕は次なる幸せに出会った。運命の出会いをしたのだ。
開発室の中、作業着である白衣でうごうごしているところ、不意に肩を叩かれた。自分しかいないはずの部屋なので、誰か特別な用事だろうと思って、顔を上げれば、そこには夢にまで見た彼女の顔があったのだ。しかし、その顔にメガネはなく、髪は三つ編み、服も標準的なメイド服だった。だが、見紛うことなく彼女である。
僕は言葉を失った。彼女から僕を訪ねてくるとは夢にも思わなかった。
いや、嘘である。ほんとは一度夢で見た。
しかし、あれが正夢になろうとは誰が思うだろうか!!
わなわなと感動に打ち震える僕をにこやかな顔で見、彼女は一通の手紙を差し出した。もしかしてラブレターかしらんなどという僕にくるはずのない幸せなことを考えてしまう。それくらい、それっぽい手紙であった。
震える手でそれを受け取り、なにやら液体が喉につっかえながらも「これは?」とだけ聞いた。話したいことは山ほどあるはずなのに、頭がおもしろいほど真っ白である。思わず笑いそうになったがここで笑えば僕はおそらく壊れる。
「依頼人から預かってきました」
彼女は僕の想像以上に表情豊かだった。僕は彼女のことを何も知っちゃいなかったようだ。
「依頼人?」
「私は困った人から依頼を受けて、人々を助ける仕事をしています。ぜひ読んでください」
なんと素晴らしい仕事であろうか。これはきっと彼女の今の持ち主の仕事であろう。やはり、彼女をもらいうけた方はかなりの人徳者のようだ。
あぁ、彼女はさぞ幸せであろう。僕も笑顔がこぼれた。そのままなんだか幸せな気分で、手紙をあける。そして、中の便箋を取り出した。
ざっと文面に目を通し、僕は目を見開いた。2度見どころではない。
そこには驚くべきことが綴られていた!
『私はあなたと同じ職場で働くものです。一度会ってゆっくりお話がしたいです。今晩一緒にお食事でもどうですか?』
文面の最後には夜8時にこの建物の最上階のあるレストランで待っている、と書かれていた。
「な、なんということか!」
僕は思わず彼女の前であることを忘れ叫んだ。
「あの、行ってもらえますか?」
「あ、あ、ハイ! もちろんです!!」
彼女にどこか心配そうな顔で覗き込まれ、僕は再び緊張した。
それにしても、なんだこの胸のときめきは。今までこんなことなかったではないか、どうしたんだ、僕! こんなにも良いことが立て続けに起こっていいのか?
「それはよかった! では私はこれで」
「ああ、あのちょっと待って!」
もう彼女は僕の元を去ろうとしている。もう行ってしまうのか。彼女からしてみればもう仕事は完遂したのだろうからここにいる理由はないが、こちらとしては非常に名残惜しい。
だが、とっさに呼び止めてしまったものの何を言えばいい? 彼女は笑顔でこちらを見ている。心臓が早鐘のように鳴り出す。
あぁ、メガネの彼女を見て見たかった。いや、待てよ。そういえば彼女は困った人を助ける仕事をしていると言ったな。
「あの、あなたはどこで働いているのですか?」
すると彼女は笑顔で服のポケットから一枚のチラシを取り出した。それはどうやら彼女の働く店のもののようだった。
是非今度メガネ姿を見させてくれるよう依頼しよう。
*
僕は彼女と別れた後冷静に考えた。
彼女が届けてくれたあの手紙はラブレターと思っても良いはずである、と貰った直後は思った。しかし、どこにも差出人の名前は書かれていない。なんとなくあの時の、メガネじゃない彼女の顔が脳裏をよぎったが、僕が入社して彼女の顔を見たことはない。
それに同じ職場とは言ったが、僕は必要最低限しか同僚達と話したことがない。そもそも女性とは、初めここにきた時に挨拶程度しかしていない。もしかしたら、一目惚れされたのだろうか。
ガラスに映る自分の顔を見てみたが、不細工と言うほどではないにしろ、平凡な顔であった。好みは人それぞれと言うが、僕の顔をピンポイントで好きになるような女性が、僕が入ったこの職場にいるだろうか。
それに、もっとよく考えるとあの手紙は無記名なので、差出人については同じ職場で働いていることしか分かっていない。となると、相手が女性ではない可能性だってあるのだ。
文字や便箋のチョイスからするとまじめな雰囲気がする。
よくよく考えてみれば、シチュエーションこそなんだか期待がもてる雰囲気だったが、もしかするとただ単に僕に興味がある人が話したいと言っているだけかもしれない。勝手にラブレターだとかなんとか思いこんでしまったが、どこにも僕のことが好きなんて書かれていないではないか。
もしかして吊り橋効果という奴か? 吊り橋にいる恐怖のどきどきを近くにいる異性へのどきどきと勘違いしちゃうってやつ。まさかそういう気持ちを持っていた憧れの彼女に会ったから、同じタイミングでやってきたどういう気持ちがこもっているのかよくわからない手紙のことを、そういう恋とかハート飛び交うイメージの固まりとして受け取ってしまったのではないか。
誰かが僕に興味が持つような出来事と言えば、この間のオークションでの出来事である。もしかするとあのとき僕が偽物を見ぬいたこととか、僕の機械についてとかで興味を持ったという重役の人が来るんじゃないか? 偉い人だから人目をはばかって彼女を僕の元に送り込んだのではないだろうか。
上層部の人であれば彼女の行方は知っているだろうし、例の彼女が働いている店でも融通が利くだろう。
僕はもう一度手紙を読み返した。便箋も封筒も無地でかなりシンプルだ。どこか赤みがかった色をしている気がする。
そこで僕の頭に何か引っかかった。このぼんやりした赤を僕はどこかで見た気がする。どこだったか思いだそうとしたら、大雨の風景が思い浮かんだ。もう少しで思い出せそうだ、というところで、視界の端で人の動く気配がした。
ちらりと目をやると僕の後からきた男性の所に、着飾った女性が近寄っていくのが見えた。男性は少しチャラそうでスーツが少しよれている。
僕は目線をはずし、窓の外を見た。豪華な夜景が見える。
僕は既に7時からレストランで待機していた。いろいろ考えてしまい仕事どころではなかった。後5分で約束の時間の8時である。
レストランの席は相手が確保していてくれたようで、僕の顔を見ただけですぐに席に案内してくれた。そんな特徴的な顔ではないはずだが、特徴がなさすぎるのも逆に特徴になるのだろうか。僕はそんなことを思いつつ周囲を見回した。
このレストランは僕の働くビルの最上階にある。このビルは大部分が会社の職場であるが、1階から5階までは一般向けのショールームであったり、魔導人の販売を行っていたりする。そして、最上階はレストラン、この一つしたの階もレストラン街となっている。
ちなみにこの建物内の外食コーナーは社員であれば割引してもらえる。しかし、近くのスーパーで弁当でも買った方がかなり割安だ。リッチな社員は毎日レストランで食事をするらしいが、僕は貧乏性なのでレストランなんてしゃれたところには行かないというより行けない。
とは言いつつ呼ばれたらこうして出向く。最上階のレストランと言えば相当リッチでないと行けない場所である。
席は大して埋まってはいないがこれも当然であろう。今日は何かの記念日でもなく平日だし、極普通の一日である。今僕のほかにいる客たちは個人的な記念日か何かだろう。
それにしても誰が来るのか。あのオークション会場の壇上で話していた男性だろうか。もしかしてあの冷たそうな若い男?だとしたら人生最大の気まずさを味わうことになるだろう。
腕時計を見ると僅かだが既に8時を回っていた。
仕事が長引いているのだろうか。このまま誰も来ない方が気が楽かもしれない。あと15分待ってこないようなら帰ろう。僕にはこの話を断る権利だってある。このままずっと脈拍がおかしいまま待つのも苦しいばかりだし、もう何も考えまい。
僕は久々に無心になった。ずっと窓の外を見るともなしに見ていた。
なので、すぐには向かいに誰か座ったことに気づかなかった。
「あの、怒ってます?」
しばらく待ったのであろう、おそるおそるといった風の声がかかった。はっと我に返り、視線を声の主に向けると僕は息が止まった。
全くの予想外であった。
そこにはあの彼女以上に完璧なメガネの女の子がいらっしゃった。こんな子は見たことがない。一目見たら忘れるはずがない。
「い、いえいえ! 怒るなんてそんな!」
僕の予想は全て外れていた。
彼女はもちろん女性である。もしかしたら中の方は男性かもしれないが、もういいや、男でも。
僕は思わず彼女の顔に見惚れてしまった。特に彼女のかけているメガネのデザインたるや最高である。
いや、待て待て。このメガネはあの彼女がかけていたものではないか?
今日手紙を持ってきた彼女はメガネをかけていなかった。しかし、目の前の女性は、あの彼女がかけているはずのメガネと全く同じものをかけている。
「あ、あの、私覚えてますか?」
彼女の言葉に僕はぽかんと口をあけた。
赤、あの封筒の淡い赤、大雨、あのときの赤い傘、赤が写った彼女の顔・・・・・・。
目の前の彼女はおもむろにメガネを外した。はずれたと思った僕の予想がぴたりと当たっていた。
あの時のメガネじゃない彼女がメガネの彼女になって僕の前に現れた!
*
勘のいい人は手紙が来た時点でメガネじゃない彼女しか来る相手はいないだろうと思ったに違いない。
起こりうる可能性を思いつく限り思い浮かべ、できるだけ悲劇的な事柄が起こると思いこむことにより、実際はそこまでひどいことが起こらず安心する、そんな考え方の僕は深読みに深読みを重ね、最終的にあの冷たい目をした男とげふんげふん。
ともかく物事は悲劇的な方向に進むどころか幸せへと向かっていった。
彼女と会った後のことは言わずとも想像できるだろう。世に存在するあまたのカップルのように離れたり引っ付いたりを繰り返し、時には喧嘩もした。
彼女に「おまえなんかメガネと結婚すればええんじゃ!!」と言われたときはさすがに考え込んだ。まさか僕は、物に対してしか愛情を注げないのではないか。確かそういう人が世にはいて、塔と結婚した人もいると言うではないか。テニスのラケットが彼氏という人もいると聞くではないか。まさか僕もそれなのか。
本気で悩んだが結局そんなことはなかった。しばらくすれば彼女とまた引っ付き、物事はすべて順調だった。
もうおわかりだろう。彼女と僕は結ばれたわけである。今は一緒に新たな魔導人やその周辺機器の開発に取り組んでいる。
僕が最初に開発したメガネ型メモリーは爆発的人気を博した。メガネを取り替えるだけで幾通りもの性格や能力に切り替えることができ、逆に一つのメガネで違う機体であっても前と同じ性格と記憶を持たせることもできる。僕のメガネを受けて、ほかにも装飾品の形をした記憶媒体が開発されたが、売り上げトップは依然メガネのままである。
こんなに幸せでいいのか!
今僕は多機能傘の開発中である。雨や日差しはもちろん、炎、雷、魔物なんでもこい、そんな傘だ。これを魔導人に持たせればもう無敵である。ヒットの予感がする!
きっと僕の幸せの扉を開く鍵は機械人形とメガネと傘であろう。幸せになるためには何かを好きでいることだ。なんだか今いいことを言ったような気がする。幸せになるためには何かを好きでいることである。