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CHAPTER.3

 

 《3》


「大袈裟すぎるよ。あれだけの事件が起こったあとなんだ。しばらくはリングレスの連中だって、どこかでほとぼりが冷めるのを待ってると思うけど」


 シエンは大学の中庭でベンチに腰掛けながら、隣に座る女性に言った。二日前の誕生パーティーとは違い、今日は私服姿だ。日中の気温は軽く三五度を超え、半袖でなければとても出歩くことは叶わない。木陰で傍に噴水があるとはいえ、下からじりじり炙るような暑さは、緩和できるものではなかった。ここのところ快晴続きなので、空を仰げば〈ガイアベルト〉がよく見えた。惑星リンガイアを一周する巨大な輪。正体はおびただしい数の輪魄であることが、現在確認されている。膨大な輪魄が、惑星を丸々一個取り巻く、文字通りのベルト(・・・)を形成していた。


 事件の翌日には学校へ出ようとするシエンを、周囲は必死で引き止めた。テロリストの残党が、彼の命を狙うかもしれないというのが一般的な考えだったが、当の本人はそんなことを微塵も考えるような性格ではなかった。あと一回休んだらアウトの授業があったので、何としても学校へ行きたかったのだった。結局のところ、ワボールをはじめ政府の高官たちが直接大学へ連絡を入れ、その日の欠席を考慮してもらうということで話がまとまった。


 今日も本来ならば星室庁ビルで待機しているはずだったのだが、シエンはとにかく家にはいたくなかった。そこで星室庁は、ウロヴォルスから護衛をひとりつけることを条件に、シエンの登校を許可した。


「なあ、アシュリィ、そんなカッコで暑くないか?」


 うだるような熱気で、噴水の向こう側が揺らめいているように見えた。行き交う学生は、しきりにちらちらとシエンを盗み見る。王族というだけでも視線を集めてしまうのに、二日前の〈王城〉襲撃事件で、更に注目度は上がったようだ。だが、注目される(・・・・・)というのは友人が多い(・・・・・)というのと決して同義ではなかった。


 今年で卒業を迎えるが、何千人もいる学生のうち、まともに会話らしい会話をしたのは十人に満たない。それで困ることはなかったし、寂しいということもなかった。


「ウロヴォルスが特務で外出する場合は、この制服で赴くのが決まりですから」


 特殊部隊ウロヴォルスの女性隊員、アシュリィ・フープは、きちんとネクタイを締め直しながら言った。シエンはくすりと笑う。そんな彼の様子を目ざとく察知したのか、アシュリィは怪訝そうな表情を見せた。


「小さい頃はそんなに強がりじゃなかったのにな。ウロヴォルスに入って変わったよ、アシュリィは」

「小さい頃って……それは私の台詞ですよ。昔はもっと素直で聞き分けのいい子だったのに、どうしてこんなひねくれ者になったんです?」

「軽い王族批判だな」

「それに暑くないかとおっしゃいましたが、暑いに決まってるじゃないですか」


 シックな黒のベストとパンツ。炎天下では、見ている方が暑苦しい。アシュリィは憮然とした表情で、形のいい眉を軽く吊り上げて言った。


「まったく、殿下が〈王城〉で大人しくしていてくれれば、私だってこんな子守みたいなことしなくて済んだんですからね」

「悪かったって。まさかアシュリィが護衛だとは思わなかったからさ。それより、事件のときはありがとう。最初に撃ち込んだの、アシュリィだろ?」

「む……。正確には私とヴォルグ隊長ですけど」

「さすがだな。でももう少し早くてもよかったのに。俺にはどうせ当たらないんだし」

「しかし、もしもということがあります。殿下の安全を考慮してこその躊躇ですよ」


 またそれか、シエンは呆れた。あの状況で、もしも(・・・)、など鱗魄(スケイル)にはありえない。防御速度を上回る連続攻撃をされるか、圧倒的な威力の爆発でも直撃しないかぎり、輪魄による絶対防御は破られることはない。鱗魄(スケイル)はどんな些細な衝撃でもガードしようとする。たとえそれが小石を投げられた程度でもだ。本人の意識無意識に関わらず、その防御反応は自動的に発動する。古来よりリンガイアンに備わったこの機能は、現在でもあらゆる分野から研究が進められているが、正確な原理や仕組みは未だ解明されていなかった。


「だから大丈夫だって。鱗魄(これ)のせいで、まだ父にも殴られたことないしな」


 するとアシュリィはシエンを見つめ、少し寂しそうな顔をした。「そういうことでは、ないんですよ」消え入りそうな声で言う。


 アシュリィはシエンより三歳年上の女性だった。何でも、武門の棟梁として名高い家の出だそうで、ウロヴォルスでは男性隊員に混じり、獅子奮迅の活躍ぶりだとシエンは聞いている。シエンも何度か組み手の真似事の相手をしてもらったことがあるが、いつもあっという間に関節を極められ、連戦連敗記録を更新中である。小さな頃から武術を通じて顔見知りだったことも手伝い、今ではシエン専属のボディガードとして周囲の評価も定まりつつあった。もっとも、彼女はその見方を気に入ってはいないようだったが。


 アシュリィが膨れてそっぽを向いてしまうと、シエンは所在なしに笑った。


 彼女の輪魄が見える。しかしそれは、他の大多数のリンガイアンが持つ輪魄とは、明らかに異なっていた。光の帯が一八〇度捻られている。そして形状は真円ではなく、不格好に歪み、心なしか萎れた茎のように見えた。何億人のうちのひとりという確率で、こうした〈メビウス〉と呼ばれる突然変異型輪魄を持つリンガイアンが生まれる。多くは迫害の対象となり、歴史の表に立つことなく消えていくのだが、アシュリィの場合、家柄のおかげで生き延びた可能性が高い。今となっては昔のことだが、ウロヴォルスに入りたての頃は、よく輪魄のことでからかわれていたようで、人知れず涙を拭いていた。それを知るのは、シエンをはじめとした、ごく一部の親しい友人だけだった。


「それより、授業は終わったんですか? それなら帰りましょう。いい加減、私も我慢の限界です」アシュリィは一筋汗を頬に光らせて言った。この暑さで発汗量がこれだけというのも、なかなかだけどな、とシエンは言った。

「あとちょっと待ってくれ。もうすぐ来ると思うから――」


 ちょうどそのとき、学生の流れから、ひとりの青年がシエンたちのもとへ歩み寄ってきた。身長はそれほど高くない。シエンより頭半分ほど低いくらいだ。白衣を身に纏っている。だからシエンは遠目にも、彼が数少ない友人であるロンド・フィディッチであると確認できた。


「ああ、いたいた。シエン、ホントに学校来たんだね。リエンは大人しく〈王城〉で待機してるってのに」


 ロンドは人懐こい笑みを浮かべ、シエンに言った。隣のアシュリィにも黙礼する。


「アシュリィ、こいつに会うのは初めてだったか? 大学でも指折りの秀才、ロンド・フィディッチだ。まあ、変人とも言うけどな」


 シエンの紹介に、ロンドは憤慨して言った。


「変人とは何だ。僕は環学部輪魄応用工学科環力研究室所属の――」

「はいはい。環力研究分野における若きホープでしたね。何百回も聞いたよ」


 慣れた様子で、シエンはロンドを宥める。


「それにしても珍しいね」ロンドはシエンに、数冊の分厚い本を手渡しながら目を丸くした。「シエンが環力やリングレスについて勉強したいなんて」


 初耳だったのか、アシュリィは驚いたようにシエンを見た。


「ああ。必要になるからな」

「……? どういう意味ですか、殿下」


 シエンの言葉に不穏なものを感じたのか、アシュリィが身を乗り出してシエンに訊く。昔から接してきているのは確かだが、ワボール長官の娘マリアルに匹敵するほどの美しさと評判の顔がアップになる。シエンの心拍が一瞬だけ跳ねた。


「父の……メア渡航に同行しようと思う」

「メア? メアって、リングレスの国?」


 ロンドは眉をひそめて言った。


「き、危険です! いかにミアと違う友好国家だと伝えられていると言っても、それはあくまで噂です。一体何が起こるか……」


 アシュリィの必死の訴えも、シエンには通用しないようだった。ほとんど汗をかいていなかったアシュリィの額に、うっすらと光の粒が浮かんだ。


「それは分かるけど、これでも第一王子だからな。いつまでも学生気分じゃいられないだろ。それに、リンガイア側からリングレス国家へ直接出向くのは史上初なんだ。その現場に立ち会いたいんだよ」


 シエンはかねてより用意しておいた理由を述べた。王子としての責務を果たしたい。次期星主しての見識を広めたい。そういう意図が、この発言には含まれている。しかし、アシュリィは黙って口を真一文字に閉じ、何か訴えるような目でシエンを見つめるだけだった。シエンの期待したようなことは、何も、言ってくれなかった。


「アシュリィ……?」

「リングレスか。確かに、興味深い研究対象ではあるよね」


 ロンドが口を挟む。


「彼らについては分からないことだらけだからね。他にも色々あるよ。既に宇宙空間へ進出する方法を考案したとか、超威力の新兵器を開発したとか、とにかく色々。僕らですらまだ宇宙へ行く方法は見つけられてないのに、あいつらの方が先だなんて、絶対信じられないな!」


 長話が始まりそうだ。シエンはそろそろ〈王城〉へ帰ろうかと思い始めた。


「それもこれも全部輪魄(こいつ)のせいさ」ロンドは自分の輪魄を恨めしそうに見上げた。恐らく、視界には入っていないだろう。「輪魄のせいで僕たちはこの星(リンガイア)から出られやしない。あのガイアベルトに近づくだけで、リンガイアンは死んでしまうんだ! その原因さえ突き止められれば、リンガイアにはびこる諸問題を絶対に――」

「ロンド、本、ありがとう。メアから戻ったら返すよ」


 シエンはロンドの言葉を遮り、ベンチから立ち上がった。話の腰を折られ、科学者の卵は不満げな口先をシエンに向ける。隣のアシュリィもシエンに続いた。地面から立ち上る熱気が、倍加されたように感じる。


「シエン」


 呼び止められ、シエンは出しかけた右足を止めた。ロンドは真剣な眼差しで見つめてくる。得意の長講釈ではなさそうだと、シエンは思った。


「マリアルには、言ったの?」

「……いや、これから」

「そっか。でも、絶対に反対すると思うよ」


 アシュリィはシエンの顔を見た。「絶対に反対する」という部分で、彼の唇が微かに動くのを見逃さなかった。それは当然だと思う。他でもない、相手がマリアルだからだ。


「今日、マリアルは?」ロンドが訊いた。

「ワボール長官の補佐で公務に出てる。あいつは俺と違って、単位は足りてるからな」

「いつ話すの?」

「……今夜、話すさ」


 アシュリィはシエンの言葉に、少し苛立ちが含まれていると感じた。

 ロンドと別れ、学校の入口に待たせてある車に向かう。シエンはその間、口を開かなかった。自分の用意した同行の理由(・・・・・)が、マリアルに受け入れられないであろうことが予想できたからだ。


「でも、だからって、他にどんな理由を言えばいい」

「え?」


 呟き声がよく聞こえなかったので、アシュリィはシエンの方を向いた。隣を歩く青年はアシュリィに何も言うことなく、ただひたすら歩き続けた。その目はガラスのような人工的光を湛えており、それを目にしたアシュリィは、もう彼に何も問うことができなかった。遮るもののない太陽が全てを照らしていた。




 夜になると、日中ほどの熱気はなくなるが、それでも冷房なしでは辛いものがある。大学から戻ったシエンはアシュリィと別れ、自室に戻ってシャワーを浴びた。マリアルが部屋に来るまでには時間があったので、ロンドに借りた本でも読もうとベッドに転がった。ページを開いたのはいいが、マリアルにどう切り出そうかと考えてしまい、集中できない。悶々としているうちに時間は過ぎた。最初は薄かった夜の影が、いつの間にかベッドの照明以外を全て飲み込んでいた。


 そのうちに部屋のインターホンが鳴いた。我に返って時計を見ると、〈王城〉に戻ってから、既に四時間近くが流れていた。


 シエンはベッドから起き上がって、ドアのところまで歩いた。まだ心の準備というやつはできていなかったのだが、このままダンマリを決め込むわけにもいかない。いつもより重く感じるドアを開くと、そこには花のような笑顔を広げたマリアルが立っていた。


「お帰り、マリアル」


 シエンも精一杯の笑みを返してやる。頭の中では、まったく別のことを考えながら。「大陸の南にある都市へ行ってきたの」マリアルはスカートをひらめかせながら部屋に入った。微かな香水の匂いが、シエンの鼻孔を撫でる。優しく、緩やかな香り。


「みんな、土地や食べ物を巡って対立してた。お父さんも、議会の人たちもこんなに頑張ってるのに、どうして上手くいかないんだろうね」


 その疑問に対する決定的な解答を、シエンは持ち合わせていなかった。恐らくリンガイアンの誰もが、答えることのできない命題。マリアルが喋っている間、シエンはいずれ訪れるはずの時を待った。しかし、その時はなかなか来なかった。マリアルはシエンのベッドに腰掛け、言葉を紡ぎ続けた。

 街の人に罵声を浴びせられたこと。子どもたちと話したこと。ワボールが必死に事態の収拾に努めたこと。自分とシエンの、将来のこと。


 シエンは黙ってそれらを聞いていた。時折相槌を打ちながら、ほとんど記憶に残らないであろうマリアルの話を耳に入れ続けた。だが、そのうちにある種の焦燥感が、彼を支配し始めた。これは恐れを含んだ焦りだった。ひょっとすると、彼女は勘付いているのではないだろうか。確証はないが、疑えば疑うほど、マリアルの途切れのない話が全て意図的であるかのように感じられてくる。

 気付くと、シエンはマリアルの話を止めていた。彼女の名を呼ぶことによって。マリアルはきょとんとしたまま、大きな目でシエンを見つめた。


「俺、しばらくメアへ行こうと思う。今回の〈王城〉襲撃事件で、リングレス国家も過激派の掃討に乗り出そうとしているらしい。本来なら星室長官が赴くべきなんだろうけど、父が、まずは自分が行くべきだろうって進言したんだ。だから、それに同行するつもりなんだ」


 一気に言い終え、シエンは軽い安堵感を覚えた。伝えるべき内容は伝えた。あとは、マリアルの反応を待つのみだった。


「どうして?」


 マリアルの表情からは、感情を読み取ることができなかった。本当に、ただ「どうして」と口に出しただけのような顔。


「どうしてシエンがついて行くの?」

「俺は第一王子だからな。次期星主としても、見聞を広めたいし」


 マリアルには通用しないと分かりきっている(・・・・・・・・)理由。結局、シエンにはこれ以上の言葉を見つけることができなかった。内心冷や汗ものだったが、シエンは何とか顔に出すのをこらえた。しかし、覚悟していたにも関わらず、彼女の口をついて出たのは意外な答えだった。


「分かりました。気をつけて行ってきてくださいね」

「……えっ?」思わず声が漏れる。

「リングレス国家はどこも高い山脈に囲まれた場所です。船旅になるでしょうから、くれぐれも水の事故には気をつけて」


 よせばいいのに、黙ってありがとうと言っておけばいいのにと自覚しておきながら、シエンはこみ上げる好奇心を抑えきれず、マリアルに尋ねてしまった。


「俺がメアへ行くの……反対しないのか?」


 マリアルはにっこりと微笑み、かぶりを振った。


「あなたが選んだことだもの。私には反対する権利なんてない」

「でも、マリアル――」

「反対なんてしない。あなたに逆らったりしない……」


 マリアルの目を見て、シエンはぎょっとした。まるで何も映っていない湖面のようだ。雲も、空も、太陽すらない、透明な虚空。「だから……」そばに立っていたシエンの腕を、マリアルは引き寄せた。甘い匂いが濃くなる。腰を抱かれ、自由を失ったシエンは、それでもマリアルを振りほどこうとはしなかった。「だから」マリアルは再び同じ言葉を口にする。細い腕はシエンの腰をしっかりと抱きしめ、そのままベッドに倒れた。


 そんなつもりではなかったはずなのに、シエンも次第に昂りを隠せなくなってきた。今日はどうして彼女がこれほど積極的なのか分からないが、自分が求められているのは確実だと思った。彼女は表情の変化をほとんど見せず、無機質にシエンの唇を自分のそれでなぞった。シエンは反射的にマリアルに応え、彼女の下唇を軽く吸う。沸騰し始めた感情の水蒸気が、シエンの理性を曇らせていった。火照った指先が柔らかい胸元に触れたとき、彼の曇ったガラスを拭ったのはマリアル自身だった。


「シエンは、私を置いていかないで」


 勢いを加速度的に増す蒸気が、一瞬だけ見えたシエンの理性の深奥を再び覆った。唇をこじ開ける感触。初めて聞く、マリアルの荒い吐息。以前にも聞いたことはあったのだろうか。今はそんなこと、どうでもよかった。彼女の願いを叶えてあげられるかどうかは分からない。けれど今だけは、この瞬間だけは、マリアルの母親がリングレスに惨殺された過去を、快楽という形で忘れさせてあげられるような気がした。





【続】

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