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CHAPTER.1

 



 立派な王族として育つように、と願いを込めて民間の教育機関に彼を預けた父の期待は、本人の心の中で重圧となっていた。だいたい、王族が実権を握ってこの星を統治していたのは、もうずいぶん昔のことだ。象徴となって、執政権を持たないかつての王ほど滑稽なものはない。王子として、どうしても一般の学生と線引きをされてしまう彼がひねくれていくのに、そう時間はかからなかった。


 ネクタイを締めて、襟を正す。首周りがきつい。オーダーメイドだというのに、身にまとったスーツは体を締め付ける。窮屈感に辟易しながら、彼は窓の外に広がる夜景を眺めた。一〇八階から見下ろす街は、闇など存在しないかのように原色の光が明滅している。高所は嫌いではない。むしろ、自分の眼下に横たわる大地を眺めることは、彼に一種の解放感を与えてくれた。浮遊する感覚。ここ数万年で、星の重力が若干弱まったという。理由は以前に大学の教授が話していたが、忘れた。もしこのままいくと、空中浮遊できるくらいまでにはなるのだろうか。そんな思いを巡らせ、彼は鼻で笑ってかぶりを振った。その前に、重力がなくなったら大気が存在できないか。


 テーブルの上で電話が鳴った。彼は窓から離れ、歩み寄る。新品の皮靴の底は、敷き詰められた絨毯の間隔を遮蔽する。


「はい」

『シエンくん、準備が整いましたよ』

「分かりました。今、降ります」


 受話器の向こうは、がやがやと騒がしい。星室長官からの電話を切ると、シエンは受話器を置き、鏡の前に立った。容姿は、整っている方だと思う。母から授かった豊かな黒髪は、恐らく将来禿げ上がることはないだろう。

 部屋を出て、廊下を歩く。靴底には硬い感触。物音は聞こえない。この階にはシエンの部屋以外は存在しないから、人気はもともとない。だが今夜は、静寂が一層濃密に漂っているように感じた。王族専用エレベーターの前までやってくると、シエンはタッチパネルで五二階と入力した。


 この星室庁ビル――通称〈王城〉――は、執政機関と王族の住居を兼ねている。下層部に行政府が置かれ、中層は主に議場として使用され、百階から上は王族の居住区である。エレベーターがやってくるまでの間、シエンは色々なことを考えていた。会場でどんな表情を作るか、挨拶では何を言おうか、などなど……。ただひとつ年をとるだけなのに、王族だからといって毎年大仰なパーティーが開かれる。幼い頃はわけも分からずに喜んでいたが、回を重ねるごとに煌びやかな装飾や美味しい料理に喜ぶ機会は減り、残されたのは面倒な挨拶回りや、世界平和を祈念するスピーチだった。しかし口に出したことはない。王族がこんな世俗的な悩みを抱えていると、周囲の者に悟られたくなかったのかもしれない。


 エレベーターはまだ八〇階あたりだ。シエンはため息を吐き、窓ガラスによりかかった。外の気温は三〇度を超えている。これが真昼なら、いかに遮光仕様とはいえ寄りかかることなどできない。外出するときにタオルは欠かせなかった。テクノロジーが進化しても、所詮太陽には勝てないのだ。背中に夜気の生暖かさが伝わるようで、シエンは軽い不快感を覚えた。背中越しに外を覗きこむ。闇と光が混じることなく、互いの境界線を明確にしたまま存在している。

 増えすぎた人口の逃げ道は、もはやこの星にはない。既に都市部の地下はおろか、星の大半を占める海の底にまで、自分たち〈リンガイアン〉の手は及んでいる。手は、尽くしたはずだ。できることはすべてやった。それなのに事態は好転するどころか、年々悪くなっていた。あちこちで土地や食糧を巡る紛争が報告されている。その収拾に追われる政府は、次の政策を講じている暇などなかった。統一体制は崩れようとしている。まだ、顕在化していないだけ。真の意味でひとつになることなど、できはしない。シエンは最近そう思う。誰もがうわべでは平和を願っていても、心の一番大事な部分では誰も侵すことのできない境界線を作っている。


 エレベーターのドアが開いた。王族専用で乗る者は少ないのに、不必要な広さだ。シエンはそのまま中に入る。ふと、正面の鏡に映る自分が気になった。そうか、これ(・・)も、リンガイアンを縛る鎖だったな。シエンは自分の頭の少し上に浮かぶ〈輪〉に触れた。温かくも冷たくもない。ぼんやりとそこに在るだけの輪。だがこれが、惑星リンガイアに生きているという証であり、呪縛である。


「……今日は少し、暗いか?」


 平常時でも仄明るい程度の光なのだが、シエンはその輝きが翳っているように思う。


「まあ〈輪魄(りんぱく)〉の光なんて、誰も見てないよな……」


 独り言を呟くと同時に、エレベーターが閉まった。

 さて、どんな顔で行こうかな。








 《1》


 大広間は既に大勢の来賓でごったがえしていた。彼らは思い思いの場所で歓談していたが、今夜の主役が登場すると、こぞってその元へと歩みより、色とりどりの笑顔を投げかけた。シエンはそのひとつひとつに丁寧な受け答えをし、優しい微笑みを絶えず浮かべた。人混みの奥から、シエンによく似た顔立ちの青年が現れた。スーツではなくタキシードを身につけているので、容易に見分けはつく。恐らく、シエンに配慮してのことだろう。


「誕生日おめでとう、兄さん」

「ああ、ありがとう。リエン、陛下は……」


 スピーチのタイミングを聞こうと、自分の父親の居場所を尋ねたシエンは、背後から肩を叩かれた。


「シエン、皆さんがお待ちだ」


  背の高さは、もう追い抜いてしまった。父のガイエンは、リンガイアの(せい)(しゅ)という地位に就いている。かつて星主はリンガイア全土を統治するほど巨大な権力を有していたが、現在ではその力は失われ、あくまでも象徴としての役割を担うのみだ。

 それでも星主、リンガイアの王としての人気は根強く、年配の者の中には議会制を捨て、王政を敷くべきだと主張する派閥も存在するらしい。シエンは父の偉大さをよく理解していたし、形式化して、行政上、何の権力も持たなくなったとしても、星主としての尊厳を守ろうとする彼を尊敬してもいた。しかし、リンガイア各地に赴いて、民の声を聞き回るだけの公務に何の意味があるのだろうと思ってしまう。その声が、政治に生かされることはほとんどない。生かしたくても、山積みにされた諸問題を相手にしているうちは、物理的に不可能なのだ。

 シエンが壇上に登ると、無数の視線が彼に集中した。同時に、盛大な拍手が巻き起こる。シエンはいつもそうしているように軽く会釈し、右手を聴衆にかざす。拍手がまばらになり、やがて静寂が訪れた。一番嫌いな瞬間だ。ばれないようにゆっくり大きく息を吐き、この星の王子はスピーチを始めた。


「本日はご多忙の中、私のためにお集まりいただき、ありがとうございます」


 一旦ここで間を置く。


「まだまだ父に及ばず、未熟な身ではありますが、何とか今夜四十五歳(・・・・)の誕生日を迎えることができ、大変嬉しく思っています。私たちリンガイアンは現在、多くの問題に直面しています。星室長官のワボール殿を筆頭に、議会の方々が懸命に奔走していらっしゃる姿を見ていると、無力な自分が、時に疎ましく思うこともあります」


 我ながら教科書的な言葉だとシエン自身思ったが、あながち全部が嘘ではない。だがここで、「王族の無力」とは言わない方がいいだろう。


「人口は十兆人を突破し、現在でも増加傾向にあります。それに反比例して、土地や食糧は不足し、多くのリンガイアンが路頭に迷う時代の到来は避けられません。誰もが形のない恐れを抱いています。その主たる理由は、私たちの長寿にあるでしょう。しかし、本来祝福するべき長寿を問題とは形容したくはありません。こんなことを言うのは、何の力も持たない者がおこがましいと思われてしまうかもしれませんが、議会の皆さん、どうか、リンガイアの将来のために頑張ってください」


 ……丸投げ、だ。万雷の拍手に包まれながら、シエンは自嘲気味に笑った。壇上から降り立つと、少し離れた場所で母のネリスが手を振っているのが見えた。シエンは慌てて本当の笑顔を探し、そして母に答えた。艶めいた黒髪。今年で九二歳になる。老衰という死因が存在しないリンガイアンの年齢から考えれば、まだまだ若い。それでも彼女の目尻には、年齢を重ねた証がしっかりと刻まれてきたし、シエンが幼い頃にはあったものがなくなったり、なかったものがあったりしている。

 シエンはネリスに歩み寄り、もう一度微笑みかけた。


「どうでした?」シエンが訊く。

「ワボール長官には耳が痛いスピーチね」


 いちいち自分の言葉を覚えていないので、シエンはそんなにきついことを言ったかなと頭を掻いた。ネリスは悪戯っぽく笑って、冗談よ、と言った。そしてシエンの頭の上を見る。


「疲れた?」

「え、どうして?」

「何だか、光が弱く見えるもの」


  それほど気に留めなかったのだが。シエンは思わず自分の輪魄に触れた。「そう、かな」確かにいつもと違う感じはしたが、リンガイアンなら誰でも持っている物だし、いちいち光を気にしてはいなかった。恐らくほとんどのリンガイアンがそうだろう。輪魄は呼吸と同じくらい常識的なものだった。


「少し、外の空気を吸ってくるよ」

「主役なんだから、すぐに戻ってきなさいね」


 ネリスの言葉を背に受け、シエンは会場の扉を開いてホールに出た。正面に巨大な展望用の窓がある。自分の部屋から見る夜景の方が美しかったが、この場所から見る街並みは、水平方向に広いような感じがした。終わりなどなく、どこまでも続く大地が、ここからだと信じられた。シエンは夜景に集中してはいたが、恐る恐る彼の背後に忍び寄る足音には気づいていた。そして、そんな不器用な歩き方をする人物も、おおよそ見当はついている。


「マリアル?」

「ひゃっ!」

「どうしてこそこそ近寄るんだよ」


 形の上では、彼女が一番シエンの近くにいる女性ということになる。振り返ると、そこには肌触りのよさそうな乳白色のドレスに身を包んだ女性がいた。大きく胸元の開いた大胆なデザインだ。大方、スタイリストか誰かに無理矢理勧められて、断れなかったのだろう。スタイルはいいのだから、少しは誇ればいい、というシエンの言葉を、真っ赤になって否定する彼女が、進んでこれを着るとは思えない。肩まで伸びたウェーブのかかった髪。父親にはまるで似ていない、はっきりした顔立ち。本当にこの娘がワボール長官の娘なのか、誰もが疑っているが口には出さない。


「あ、あの……その……」

「マリアル」シエンは窓から離れて彼女に近寄った。「俺たちは婚約者同士なんだから、そんな他人行儀はやめないか」

「でも、シエンは、嫌、なんでしょう?」

「嫌?」

「こんな、政略結婚まがいのこと――」

「……誰がそんなことを?」


 そんな台詞、彼女の前で言ったことは絶対にない。


「学校で、ロンドが……」

「あいつ」


 シエンは、いつもリンガイアンが宇宙へ行く方法を研究しては、小難しい理論を説明しようとしてくる大学の友人の姿を思い浮かべた。今度会ったら覚えてろ。


「何言ってる」シエンは呆れたように言い、マリアルの肩に手を置いた。「俺たちの結婚に、どんな政治的利益があるっていうんだ。俺が次期星主だとしても、象徴化して何の権限も持たない地位だぞ」

「……」

「ごめん、怒ってるわけじゃない。ただ、マリアルにはあくまでも一個人として扱ってほしいんだ」


 俯くマリアルに、優しく言葉をかける。

 違うな。

 欺瞞か、これも――。


「……とても、王族らしいスピーチでした」


 マリアルは話題を変えた。その表情は柔らかい。ならばこれ以上、婚約について話すのは得策ではないと、シエンは感じた。


「ありがとう。といっても、もうだいぶ回数をこなしたからね。慣れて当然だ」


 賞賛に対する返礼としては申し分ない言葉を選んだはずだった。それなのに、マリアルは伏し目のまま、そうね、と一言呟いただけだった。一体、これ以上何を望むというのだろう。シエンには時々、彼女が分からなくなる。

 初めて会ったのは、ワボールが星室長官に就任した年、〈王城〉へ叙任式のために訪れたときだった。夜に行われた晩餐会で、年の近い者がおらず、独り広間の隅にいたところを、シエンが見つけた。弟のリエンはリンガイア外遊へ出ており、彼自身も暇を持て余していたところであった。


 名前を尋ねると、恐る恐る「マリアル・トゥルネレーデ」だと言った。お互い除け者同士だなと笑いかけると、やはり恐る恐る「いえ、私は父の秘書として同行していますから」と言われた。聞けば、学校もシエンと同じ場所に通っているという。政治学を学んでいる彼女は、実に博識であるにも関わらず、それは〈臆病な知〉とでも言うべきものだった。誰かに質問されない限り、マリアルは決して自分から意見を述べることをしなかった。そして、何か発言をするにしても、必ず相手の顔色を窺うように一言一句、自分の中で監査しながら言葉を紡いでいるように思われた。シエンが再三再四「もっと自信を持て」と声をかけても、未だにその性は改善されることがない。

 ようやくお互い遠慮なしで話せるようになった頃、シエンは彼女の素性を知った。最初に〈王城〉で会ったとき、どうして分からなかったのか。シエンは、自分がいかに他人に無頓着で、関心がないのか思い知る。「トゥルネレーデ」で気づくべきだった。マリアルが星室長官ワボール・トゥルネレーデの娘であると。


 それから婚約までは、とんとん拍子だった。ガイエンとワボールが早々に口約束を交わし、ネリスも「いい子じゃない」と目尻を緩めた。何を目的に組まれた縁談かと最初は訝しんだものだが「お前はどうせ放っておいたら百歳を過ぎても色恋沙汰を持ってこないだろうから」というガイエンの言葉に、ぐうの音も出なかった。異性に興味はあるが、別になくてもいい程度にしか、女性を認識していない息子の前に、願ってもない相手が現れたのだ。逃す手はない、ということなのだろう。

 完全にシエン側主体で進む婚約。不思議と、マリアルは嫌がらなかった。誰か他に好きな男でもいないのかと聞いたことはあるが、そういう質問をするとすぐに話を逸らしてしまう。何も悪いことをした覚えのないシエンは、そのたびに疑問符を頭に点灯させるのだった。


「お、おお! ここにいたか二人とも!」


 不意に野太い声が響き、マリアルが身をすくめた。シエンは薄暗がりから、幾分額が後退した男性が歩いてくるのを見る。すぐにワボールだと分かった。彼は星室長官就任会見のときに、王制支持者の過激派から右足を狙撃され、歩行が困難になってしまった。命に別状はなかったが、星室長官の座と引き換えに一生残る後遺症がつきまとうようになったのだ。


 ワボールは右足を引きずりながら、それでも懸命にシエンとマリアルに歩み寄った。


「シエンくん、マリアル、少々厄介なことになった」

「え?」シエンはワボールの言葉の意味が分からず、眉をひそめた。


 周囲の耳を気にしてか、ワボールはシエンとマリアルの肩を寄せさせ、小声で言った。


「さっき連絡があった。どうやら〈リングレス〉の連中が航空機をジャックしたらしい」


 最近よく聞く単語だ。シエンは、またか、と思った。輪魄を持たない者たちの総称がリングレス。彼らは大陸から遠く離れた、洋上の三つのクレーター(・・・・・)を本国としている。シエンはよく知らないが、何でも二億年以上前にリンガイアに衝突した三つの隕石の影響で、広大な面積のクレーターが形成されたそうだ。そこが現在、リングレスたちが暮らす国となっている。周囲を途方もなく高い山で囲まれた国家だ。おまけに彼らはリンガイアンたちによい印象を抱いていない。従って、国交などなく、分かっているのは、〈ミア〉、〈メア〉、〈イスカ〉という国名のみである。


「また、ミアの連中ですか」


 シエンはワボールに尋ねた。ミアはリングレス国家の中でも、特に表立ってテロ活動を行う国だ。最近ニュースを賑わしているのは、専ら彼らだった。


「いや、詳しいことはまだ分かっていない。だが、その航空機がここに向かっている。玉砕覚悟の特攻を仕掛けてくる気かもしれない」


 シエンは横目でマリアルを見た。周囲が暗くても顔面蒼白となっているのが分かる。彼自身はというと、不思議と全く慌てていなかった。なぜワボールがこれほど切羽詰まった様子なのかが分からない。


「どうするの?」マリアルが不安げにワボールの袖を握る。

「安心しなさい。奴らはこのビルに近づくことすらできん」

「何か策が?」


 少し興味が湧き、シエンは身を乗り出した。


「〈環力(かんりょく)〉を使う」

「環、力?」


 聞いたことのない言葉だったので、シエンは首を傾げた。それは何かと更に聞こうとしたが、黒いスーツに身を包んだ屈強な男がやってきてシエンの声を遮る。男はワボールに耳打ちした。途端にその眉間に皺が寄る。


「時間があまりないようだ」ワボールはスーツの男に、シエンとマリアルをパーティー会場へ連れて行くよう指示した。「万が一に備えて、避難するんだ。会場は耐震、耐圧、耐火、それ以外にも様々な防衛機能が付いている。なに、心配は要らんよ」


 ワボールは鷹揚に笑った。そして二人に背を向け、エレベーターホールへ歩いて行った。混乱を避けるためだろうか、努めて急ぐことはない。彼の周囲を囲む護衛も、心なしか緊張を隠しているような印象だ。一歩一歩を慎重に歩んでいる。

 会場へ戻ると、事態に気づいている者とそうでない者が混在していることが分かった。しかし時間を追うごとに航空機ジャックの一報は伝染病のような広がりを見せた。関係者が必死で状況の説明を行っている。それまでの粛々たる騒がしさが、質を変えて会場全体に蔓延した。


「兄さん」


 人込みから現れたのはリエンだった。


「大丈夫なのかな」

「ワボール長官のお墨付きだ。ここにいれば安心なんだろ」

「ず、ずいぶん落ち着いてるみたいだね」


 リエンは目を丸くして言った。


「俺にはどうしようもないことだからな。あとは専門家に任せるしかない」

「ワボールさんは、どういう作戦なの?」


 ええと……。シエンは先ほどの会話を思い出す。


「確か、環力? とかいうのを使うとか何とか――」

「環力? あれを実用化する気なのか?」

「リエン、環力を知ってるの?」


 シエンの隣で、マリアルが訊いた。


「あ、ううん。詳しくは知らないけど、電力に代わる新しいエネルギーとして研究されてるものらしいよ。確か、輪魄を使うとか……」

「これを?」


 シエンは自分の輪魄を指差した。生まれたときからついている、空気と同じくらい当たり前の物体。これからエネルギーを抽出するなど、考えたこともなかった。するとシエンの中に、奇妙な感情が湧出してくる。現在リンガイアで使用されているのは、ほとんど百パーセントが電力だ。発電方法も年々進化しており、近年では星の大部分を占める海面に、太陽光で電力を発生させるナノマシンを散布する、という太陽光発電が可能になった。シエンは幼い頃から電力しか知らない。だから、それに代わる力が生み出される、というのは、正に夢物語であった。

 気づくと、シエンは動いていた。マリアルが慌てて彼の手を引く。


「シ、シエン!」

「大丈夫、ワボール長官だって自信満々だったろ? ホールでちょっと見物するだけさ」

「見物って……危ないよ!」

「やばくなったらすぐ戻る」


 二人の制止を振り切り、シエンは走り出した。ワボールの部下が状況説明に追われているのを尻目に、するりとドアを抜ける。先ほどまでワボールと会話していたホールは、特に変わったところはない。シエンは小走りで窓に接近した。遠目にも、あちこちから無数のサーチライトが天空に伸びているのが見える。宵闇の果てで、親指サイズほどの何かが空中に漂っているようだ。輪郭ははっきりしない。だが、時折ライトが遮られ、確かにそこに在る何かを認識させた。間もなくその何かの両翼が肉眼で見えるようになり、形状もより鮮明に把握できるようになった。どうやら大型輸送機のようだ。


「ワボール長官、旅客機じゃなくて安心しただろうな」


 予想以上に大きい。建ち並ぶビルと比較しても、その巨大さは際立っている。かなりの低空飛行。撃墜されるのを恐れ、市街地を人質に取ったのだろう。ここで墜ちれば、多くの犠牲者が出ることになる。星室庁ビルとの距離は確実に縮まっていた。シエンは動かない。自分が傷つくという感覚は、生まれてから今まであまり持ったことがない。彼だけではなく、リンガイアンはほとんどがそうだ。この、輪魄のせいで。


「シエンくん! 避難しろと言っただろう!」


 激しい怒声が響いた。


「す、すみません長官。でも、どうしても環力というものに興味があったものですから」


 現れたワボールは、額に汗を浮かべている。先ほどまでいた護衛の姿が見えない。この脚で駆け回っているようだ。


「まったく、君は本当に危機感のない男だな」

「よく、言われます」


 今まさにテロリストの標的にされようとしているビルの、それも最前線に立っているという感じは、シエンになかった。自分の安危より、今は環力の方が重要だ。


「どうなさるおつもりですか?」

「……〈高熱プラズマフィルター〉を使う」


 シエンの説得を諦めたのか、策に絶対の自信があるのか、ワボールはゆっくりとそう言った。「こうねつ、プラズマ?」シエンには何のことやらさっぱりだ。


「プラズマは知ってるかい?」

「……名前、くらいは」

「細かい説明は省こう。プラズマは、そうだな、炎なんかよりずっとずっと高温なものと考えて間違いない。このプラズマを更に温めたものを、高熱プラズマという」

「はあ」

「高熱プラズマを薄く引き延ばし、大きな膜状にする。膜の温度はおよそ三百億度。これを通過しようとする物体はどうなると思う?」


 ワボールはシエンを見てにやりと笑った。


「燃え尽きる?」

「燃えるなんてもんじゃない。消し炭すら残らず焼滅(・・)するさ」

「三百億度の熱なんて、発生させた瞬間にこの辺一帯消し飛ぶんじゃないですか?」

「その通り。太陽を軽く超える熱だからね。それほどの熱を制御することに成功したのが、環力なんだよ。つまり、輪魄の力さ。高熱プラズマフィルターの外枠は、輪魄で構成されている。特殊な力場を発生させることにより、熱を限定させることに成功したんだ!」


 興奮気味に語るワボールだったが、シエンの理解が追いついてきていないことに気づき、咳払いをひとつした。


「加えて言うと、プラズマを高熱プラズマに温めるエネルギーも環力だ。まさに、環力様々な新兵器だよ!」

「でも、長官、機内のリングレスたちも蒸発してしまうんじゃないですか?」


 ワボールは驚いてシエンを見た。顔には「何を言っているんだ?」と書いてある。


「何度も警告はした。それでもここへ特攻するというのだから、仕方ないだろう?」

「それは、そうですが――」

「もう時間はない。既にフィルターの準備は整っているんだ。それに、これは環力が実際に使用できるかどうかの実験も兼ねているからな」


 自分自身に言い聞かせるように、ワボールは鼻を鳴らした。ふと、シエンはそんな星室長官の顔が、誰か知らない人に見えた。「リンガイアの恒久平和」、「戦争の廃絶」という言葉を、ワボールは所信表明で口にした。貴賓席でそれを聞いていたシエンは、正直心のどこかで侮蔑の笑みを浮かべた。


 自分たちが、他でもないリンガイアン自身がこの星に生きている限り、「平和」は絶えず擦り減っていくし、食糧や土地を確保できない者たちによる「戦争」は各地で起きるだろう。結局、何を目標にしても無駄に思える。シエンはそんな虚無感に対して嗤った。ワボールが邁進する〈虚無〉を嘲笑った。

 ワボールが就任して以来、特にマリアルと懇意になってからだったが、シエンは比較的近くで彼を見てきた。彼は歴代星室長官と比較しても、非常に優秀な人物だった。リンガイア各地で起こる領土・食糧に関連した紛争の調停に赴くとき、初老の男の目は確たる力を宿していた。確かに、彼の目指す先にあるのは連綿と続く〈虚無〉かもしれない。だが、シエンは感じ始めていた。何物にも揺らぐことのない決意。刹那だけでも、リンガイアンを守りたいという意思。自分には、持てないもの。

 だからそんなワボールが、簡単に命を奪う決断を下した今、目の前で昂っているのはシエンの見知った星室長官ではなかった。何故だろう。シエンは考える。


 そうか。簡単に、思い当った。


 リングレスはリンガイアンじゃないからだ。


 シエンにとって、ワボールは本来憎むべき対象なのかもしれない。リンガイアの支配者として君臨していた父を、無力な象徴の立場へ突き落とした張本人といっても過言ではないのだから。シエンが幼少の頃、リングレスによる大規模な攻撃があった。当時、星主は絶対的権力者として君臨しており、あらゆる行政上の権限はガイエン・リンガイアに委ねられていた。

 巨大な力に浸食されることなく、ガイエンはリンガイアを統治していた。もちろん彼による独裁が行われたわけではない。周囲の側近たちの声に耳を傾け、シエンが生まれてから二〇年は善政が続いた。安寧が破られたのは、シエンが二二歳のときである。リングレスによる、大規模な攻撃があった。のちに〈冠落(かんらく)の日〉と呼ばれるその事件は、リングレスがリンガイアンを攻撃した初めての武力闘争だった。


 ガイエンはリングレスの攻撃に対処しきれず、おびただしい数のリンガイアンが死んだ。絶望に沈もうとするリンガイアを救ったのが、ワボール・トゥルネレーデだった。非戦の構えを崩そうとしなかった王族派から、一時的に(・・・・)執政権を剥奪し、瞬く間に軍備を拡張した。あくまでも戦闘中のみ、という条件ではあったが、このときリンガイアはワボールという軍人が支配する軍事国家へと変貌を遂げた。

 ワボールはすぐに、リンガイア内部へ進攻していたリングレスたちを殲滅し、彼らをリングレス国家へと撤退に追い込んだ。その後ワボールはすぐに執政権をガイエンに返還したが、既に救国の英雄として民に慕われる存在となったワボールを、王権侵害の大逆犯罪者として裁くことなどできなかった。それどころか、彼を政治の中心に据えた共和制を敷くべきだと主張する者も現れた。

 ほどなくして、ガイエンはそれまでの君主制を廃し、共和制を発足させると宣言。理由は、「より強固なリンガイアにするため」であった。しかし実際は、リンガイアンの圧倒的支持を得たワボールの力が、星主を超越したものになってしまったことが最大の要因だろう。ガイエンは失意のうちに退位した。だがワボールの計らい(・・・・・・・・)で、星主という位は消失することなく継続してガイエンの称号となった。あらゆる政治上の実務能力を、全て奪われた上で。

 新しくリンガイアのトップに立ったワボールは、矢継ぎ早に対リングレス法案を可決していった。それは異常とも言える執着だった。ワボールの政策は、リングレスからリンガイアを守るというより、リングレスの存在自体を否定した。明言はしない。過激な発言が、執政者の身を滅ぼすことを、ワボールは熟知していたからだ。

 しかし、誰の目から見ても明らかだった。


 ワボール・トゥルネレーデは、リングレスを憎んでいた。







【続】

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