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7.5番、キャッチャー、高瀬里美

7.5番、キャッチャー、高瀬里美



 順一は大輔と義母に引っ張られるように宴会場へやって来た。

義母の政子は大きな鍋を抱えている。

「それ、持ちますよ」

順一は鍋を受け取った。 出来立てのおかえあの香りがかすかに漂ってきた。

「おからですね」

「そうよ。 そう言えばあなたも大好きだったわね」

政子は鍋のふたを開けるとおからを一つかみ摘まんで順一の口元へ運んだ。

「はい、あ~ん」

順一はそれを頬張ると口をモゴモゴさせながら味わう。

「やっぱり『高瀬屋』のおからは美味いなあ」

「ねえ、順一さん、今からでも遅くはないわよ。 どう? 店を継ぐ気はない?」

「それは…」

「まあ、いいわ。 跡継ぎはともかく、大輔には父親が必要だもの。 名字は違うけど、ずっとお父さんでいて下さいな」

「ああ、それはもちろん。でも、あいつが何と言うか…」

三人に気が付いた里美が順一を睨みつけている。

「あら? 敵情視察っていうやつ?」

順一は鍋をテーブルの上に置いて、頭を掻いた。

「う、うん、まあ…」

同時に順一の腹の虫が鳴った。 里美は思わず吹き出した。


 里美と順一はテーブル席に並んで座っていた。 空になった順一のグラスに里美がビールを注いだ。

「私たち分かれる必要はなかったんじゃないのかしら」

里美がそう言うと、順一はグラスを口に運んで一口飲んだ。

「そうかもな… さっきも、お義母さんに言われたよ。 大輔には父親が必要だって」

「そうね。 せめて大輔が高校を出るくらいまではね」

里美は新しいビールの栓を抜いて自分のグラスに注ぎ、順一のグラスにも注ぎ足した。



 二人が知り合ったのは、里美が大学に入って間もなくの頃だった。

二人とも経済学部の学生だったこともあり、同じ校舎を行き来していた。

 午前中で講義が終を終えた里美が学生食堂のテラスで弁当を食べていると、通りかかった順一が里美の横に座った。

「変わった弁当だね」

里美の弁当は稲荷寿司。 別に珍しくはない。 しかし、おかずがタッパーに入った豆腐とおからだったのだ。 豆腐には別に用意してあったきざみネギとすりおろした生姜をかけ、『冷ややっこ専用』と書かれたラベルの醤油で食べていたので。

里美は驚いて、両手でテーブルを覆ったが、順一はおからの入ったタッパーを取り上げると、指で摘まんで口に入れた。

「うまい! こんなにうまいおから、はじめて食った。 って言うか、おからがこんなうまいもんだなんて知らなかったよ」

里美も大好きな『高瀬屋』のおから。 高校生の時はみんなに笑われた。 こんな風にほめられたのは初めてだった。 それがなんだかとてもうれしかった。

「あのね、ウチのお母さんが“おから”を好きな男に悪い人はいないって言うのよ。 あなたはどうかしら?」

「大好きです!」

そう言いながら、順一はタッパーのおからを一気に食べつくした。

「あっ…」

里美はあっけにとられて、ただ順一の顔を眺めていた。

「おからも大好きだけど、君のことはもっと好きになっちゃった」

「えっ?」

「君がここに入学してきた時、歓迎会でコートを間違えて帰っただろう?」

「あっ!」


 入学直後の歓迎会。 一つ上の先輩が主催して、新入生の歓迎会が開かれた。 4月の半ばだったが、まだ肌寒く、里美もコートを羽織って来ていた。

ほとんどの学生が未成年だったのでアルコールはなしだったが、盛り上がっていたので終電に乗り遅れるところだった。 慌てて帰った。 外に出てコートを羽織ったらやたらと大きい。 間違って人のコートを持ってきてしまったと気が付いたが、電車の乗り遅れそうだったのでそのまま駅まで走った。


「誰が間違えたのか解らなかったけど、最後に残ったコートに『S.TAKASE』って書いてあったから、歓迎会に出席した人の名簿で調べたら、『高瀬里美』が犯人だとわかった」

「そんな、犯人だなんて…」

「それ以来ずっと君を探してた。」

「ごめんなさい…」

「感謝したいよ」

「えっ?」

「おかげで、こんなに素敵な子に出会えた」

「まあ!」

「君のおかずがなくなっちゃったね。 代わりに、これからもんじゃでも食べにいかない?」

「うん!いいよ」

こうして二人の付き合いは次第に深まって行ったのだ。



 合宿初日。 思わぬ大宴会になってしまった夕食は9時過ぎには終了し、みんなで跡片付けをした。 その日は近所の銭湯にみんなで繰り出した。

「サトーミ! ダンナ、ステキナヒトネ」

湯船に使っていると、里美のそばにアリスが寄って来た。

「ダンナじゃないのよ。元ダンナ」

「リコンシタノデスカ? トテモナカヨクミエマシタヨ」

「まあね… ごめんなさい、先に帰るわね」

里美は一人で先に宿舎へ帰った。

取り残されたアリスに由美子が近付いて行く。

「あの二人は色々とややこしいのよ。 そのうち解るから、あまりこの話題は出さない方がいいわ」


 宿舎では片付けを終えた昇が、順一に声をかけた。

「若旦那、久しぶりにちょっと一杯やって行きましょうよ」

「若旦那はよせよ」

「いいじゃないですか」

そう言って昇は順一を引っ張り、連れ出した。


 居酒屋『本丸』。 “殿キン”メンバーのたまり場。

昇と順一はここの暖簾をくぐった。

「おっ! 順さん。 女どもはどうでした?」

「ああ、うまかったよ…」

「え~? 食っちゃったんですか?」

いきなり、そんなふざけた会話を始めたのは柳井正春。 由美子の旦那だ。

「バカか!おまえは。 そんなんじゃ、四番なんか任せられねえな」

「勘弁して下さいよ」

正春は店の床に土下座した。


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