5.3番、ピッチャー、柳井由美子
5.3番、ピッチャー、柳井由美子
連休初日。 どうしても店を開けられない、もんじゃ『大奥』の女将、太田佳代子以外のメンバーが小学校跡地の校庭に集まった。
“Oh!oku”のユニフォームは、佳代子が『大奥』の常連でもある、スポーツ関係のユニフォームやグッズの製作会社社長に頼んだ。
佳代子は他のメンバーより体格が、二まわりほど大きかったので、自分の分を特別にあつらえた。 背番号は18。 佳代子いわく、広島カープから阪神タイガースに移籍した往年のエース安仁屋投手の背番号だということだった。 いまは、空き番号だが、ちょっと前までは藪投手がつけていたタイガースのエースナンバーだ。
佳代子はなかなか練習にも参加できないので、縁の下の力持ちとして、チームをサポートすることになった。
メンバーは、一旦、荷物を部屋に運ぶと、すぐに練習着に着替えてグランドに集まった。
今回の合宿では、守備におけるカバーリングを徹底的に覚えること、バッティングにおいては速球に慣れること、最低限確実簿番とができるようになることを目標に挙げた。
そして、合宿最終日には、地元の少年野球チームと練習試合をすることになっていた。
ランニングと柔軟体操をやってから、キャッチボール。 午前中は軽く練習を終えた。
メンバーは一旦、部屋に戻り、5日間過ごすための空間を整えた。
当たり前だが、この合宿は食事の支度もすべて自分たちでやらなければならない。
それ自体は大したことではないが、毎回、10人分の食事となると、買い出しや支度もそれなりに大変だったが、それもチームのきずなを強くする後は大いに役立った。
由美子は魚屋『魚虎』の長女で、兄が一人、弟が一人の三人兄弟だった。
『魚虎』は兄が継ぐことになっていたので、由美子は割と自由にやりたいことをやらせてもらうことができた。
小学校のころはクラシックバレエを習い、ピアノとそろばん教室にも通っていた。
中学校でソフトボール部に入ると、1年生からレギュラーで活躍した。 2年からピッチャーを初めて、高校、実業団に至るまでチームのエースを務めてきた。 高校生の時は全国大会までコマを進めたこともある。
幼馴染だった今の旦那と結婚して会社を退社するまでは、全日本候補にも挙げられるほどの実力を備えていた。
柳井正春は、学年でいうと由美子より1が年上だが『魚虎』の隣で、八百屋『八百春』の三男で、小さいころからいつも一緒に遊んでいた。
順一が“殿様キングス”を結成した時、甲子園に出場した実績を買われてスカウトされた。
今では、“殿キン”の押しも押されぬ4番バッターだ。
由美子がソフトボールを始めたのも、小学生の頃からリトルリーグで野球をやっていた正春の影響だと言える。
由美子と正春が結婚した時、正春はすでに“殿キン”のメンバーだった。
“殿キン”のメンバーが中心になって、近くの野球場で結婚式を挙げた。
結婚を機に、由美子は会社を辞め、『八百春』と実家の『魚虎』を手伝いつつ主婦に専念した。
正春は三男ということもあり、店で働いてはいるものの、跡継ぎではないので気楽なもので、八百屋が仕事なのか野球が仕事なのか分からないほど、今では“殿キン”に入れ込んでいる。
それでも由美子は、正春のよき理解者であり、良き妻だと言えた。
ただ、こんな夫婦にもお互いに絶対、譲れないものがあった。
それがプロ野球チームの巨人と阪神だった。
由美子は店の名前に“虎”を入れるほど阪神タイガースファンの祖父、父親、母親の血を受け継いで生まれた時からのタイガースファンだった。
正春は、こちらも代々ジャイアンツファンの家系で、巨人対阪神戦の時は隣同士でムキになって、安売り合戦をやってしまう。
買い物客には大歓迎だが、当人たちは3連戦が終わった後、毎回後悔している。
まして、優勝でもしようものなら、店のものを全部「タダで持って行け!」状態だ。
「おう!『魚虎』の。 お前ンとこはめったに優勝しねえから羨ましいだろう?」
「バーカ! そんなことばっかりやってて店をつぶすんじゃねえよ」
なんて、こんな調子だ。
しかし、それ以外では本当の家族以上に仲がいいのだ。
そんな野球バカの家族の中で育った二人が結婚したのだから、何かにつけて衝突することも少なくない。
正春が着ている“殿キン”のユニフォームを見るたび、由美子は機嫌が悪くなった。
しかも、家庭そっちのけで、何かにつけては“殿キン”で、最近、うっぷんがたまっていたところに、里美から声がかかった。
「ねえ、里美さん。 ひとつ聞いていい? ユニフォーム作りますよね? どんなデザインですか?」
「そんなの決まってるじゃない!」
里美はそう言ってVサインを出した。
そう! 里美も根っからのタイガースファンだ。 彼女がVサインを出したということは確認するまでもない。
昇はタバコをもみ消すと、パソコンの前に戻った。
「由美ちゃんがピッチャーで3番なのは問題ないな。 ただ、投げ方はちょっと考えた方がいいな。」
ソフトボールでピッチャーをやっていたということもあり、本人の希望でアンダースローの練習をしている。
基本的には、下手投げのソフトボールと、上から投げる野球とでは、使う筋肉や腕の振り方もまったく違うので、アンダースローがいいという根拠は何もない。
ある日、由美子のピッチング練習でボールを受けている里美が口走った。
「由美ちゃんのアンダースローは恰好いいわね。 あれを思い出しちゃうわ。 えーと、何だっけ…」
由美子はすかさず答えた。
「水原勇気! 野球狂の詩!」
「そうそう! ドリームボールだわよ」
水原勇気というのは、水島新司の漫画『野球狂の詩』に登場する女性ピッチャーのことだ。
華麗なアンダースローからドリームボールという魔球で打者を打ち取るのだ。
そんな話を着ていた昇は、苦笑いしながら「そこか? アンダーで投げたいって言ったのは…」と、つぶやいた。
確かに、体格に恵まれていないので、オーバーハンドよりはいいかもしれないが…
まあ、ちょっと様子を見てみよう。
「それより、メンバーが9人じゃ、試合ではきついなあ。 由美ちゃんが全部完投するのは不可能だからなあ。 アリスならリリーフに使えるだろうけど、せめて、あと一人はピッチャーが欲しいな。 それから、最終的に“殿キン”と試合をするつもりなら、助っ人がいるな。」
昇はメンバーリストのファイルを閉じると、あるところにメールを送った。
「スケジュールが空いているといいけどなあ」
アメリカ。 オクラホマ州議会のとある執務室。 パソコンの画面を眺めながら満面の笑みを浮かべる一人の男。
「ノボール! カナラズイクヨ」
その男はトレードマークともいえるヒゲを触りながら、つぶやいた。
そこへ、秘書らしき男が彼を呼んだ。
「バース上院議員、時間ですよ」