4.2番、センター、沢井圭子
4.2番、センター、沢井圭子
外野ノックで特に目をひいた沢井圭子は34歳の専業主婦だった。
旦那は建設系のコンサルタント会社に勤務している。 そこそこの収入があるらしく、子供が生まれる前は、普段は趣味や習い事をし、休日は旦那の仕事関係の付きい合いでテニスやゴルフに出かけることも少なくなかった。
子供が生まれてからは子育てに専念し、裁縫の趣味を生かして子供服などはほとんどが手作りで、それ以外にもちょっとした小物や道具は圭子が自分で考えた創作作品を使用している。
ホームページで圭子の作品が話題になり、雑誌やテレビの取材を受けたこともある。
それがきっかけで、インターネット販売を開始すると、あっという間に年商一千万を超える売り上げで、今や下請け会社に制作を依頼するまでになった。
子供は二人で、上の子が弘江の二番目と同級生だ。
三年間、弘江のもとでPTAの副会長を務めている。
公私ともに良きパートナーだと言える。
圭子は結婚を機に、6年前、当時新築されたばかりの高層マンションに引っ越してきた。
ちょうど、子供が小学校に入学し、それ以来、この町内と密接な関わりを持って生活するようになった。
中学・高校はバスケットボールをやっていたという。 小学生のころは、兄に付き合わされて野球ごっこをやっていたらしい。
昇は練習をしながら、それとなく、メンバーの経歴を聞いたり、雑談をしたりするように心掛けた。
性格を把握し、運動やスポーツの経験を知ることで、チーム作りの方針が変わってくると考えたからだ。
「なるほど、基本的な運動神経はあるわけだな」
実は、昇が一番気になっていたのが沢井圭子だった。
弘江とは対照的に、どちらかというと、童顔で幼い感じがする顔立ちをしている。
初練習の時は、既に、自前のグローブを持参し、トレーニングシューズを履いてきていた。 練習前の数日間は、旦那とキャッチボールをしてきたと聞いて、昇は感心した。
バッティング練習の時も、まだバットに振り回されている感じは否めなかったが、ボールに当てた回数は例外の二人以外ではずば抜けていた。
「あの器用さは掘り出し物だな。 沢井さんは2番バッターにもってこいだ」
里美は夜の特訓を相変わらず続けていた。 由美子と弘江が加わったことで、昇は里美の特訓から解放された。
そして、その分何やら怪しい行動をとるようになった。
里美はちょっと気になっていたが、『高瀬屋』に来た当時からプライベートな部分はまったく表に出さないところがあった。
店にいる時はこの町内によく馴染んでいて、この町で生まれ育ったような立ち居振る舞いだったので余計に謎めいていた。
4月にチームを結成して以来、毎週日曜日の練習ではあったが、ようやく体が馴染んできたようで、最初の練習の時は筋肉痛が1週間治らなかった者もいたが、2回3回と練習を続けるうちに、筋肉痛の程度もかなり軽くて済むようになってきた。
5月の連休が近付いてくると、合宿をやろうと言う話で盛り上がって来た。
問題は、メンバー9人のうち、5人が家庭の主婦だということだ。
役に立たない亭主に子供を任せて家を空けるのが難しいというのだ。
いつものように、『大奥』でミーティングをしているところに、ひょっこり昇が姿を見せた。
「ちょうど良かった。 みんな集まっているようですね」
里美が振り向いて答えた。
「あら、昇君、珍しいわね」
「お嬢、合宿の件だけど、取り壊された小学校の跡地があるでしょう?」
「高層マンションが建つって言う?」
「そう。 梅雨明けから着工するってことで、建設会社のプレハブハウスが建っているけど、連休の間はそこの施設を使える用の交渉してきたんだ」
「工事現場のプレハブ小屋を?」
「今時のプレハブ小屋って、凄いんですよ。これから、ちょっと見学に行きませんか?」
昇は、ゲートを開けると、仮設の配電盤のブレーカーを上げた。 すると、広い空き地が昼間のように照らされた。
校庭だった部分はそのままきれいに残っていて、野球の練習をするには十分な広さだった。 おまけに、この照明設備。
続いて昇は、プレハブ小屋を案内した。
現場事務所になっている建物には立ち入らない約束になっていると、そこを通り過ぎると、作業員の厚生施設になっている建物に来た。
2階建てのその建物は、1階に台所、食道、洗濯室、浴室や共同トイレが完備されており、各種トレーニング用の器具が置かれたレクレーションルームまであった。
2階が作業ンの宿泊施設のなっていて、6畳間の部屋が16部屋あった。 各部屋エアコンにテレビ、小型冷蔵庫が完備されていた。 押入れには新品の布団と簡易の衣裳箪笥が備え付けられていた。
「すごい! 今時の工事現場って恵まれているのね」
「まあ、着工前だから、まだこの施設は使用されてないんだ。 布団もリースだから、定期的に新しいものに交換される。 ちょっと、合宿用に手を加えてもらったところはあるけどね」
里美は自慢げに話す昇をしみじみと見つめた。
「あなた、いったい何者なの?」
昇は笑ってごまかした。
「ここなら、いつでも家に帰れるし、それでいてちゃんと合宿もできるから一石二鳥でしょう?」
メンバーは全員満足気に笑みを浮かべた。
「いつから使えるの?」
里美が聞いた。
「もちろん、今日からでもOKですよ。お嬢」
今年のゴールデンウイークは29日の昭和の日が木曜日で、中1日置いて5月の1日から5日までが5連休になる。
里美たちはこの5連休を合宿日にした。
圭子は30日の夜に合宿のための荷造りをしていた。 夫と子供が、心配そうに見ている。
「お母さん、大丈夫? 本当に野球の合宿に行くの」
小学校6年背の息子が心細そうに言う。
「なんかあったらすぐに帰ってこられるから、大丈夫よ。 それにお父さんもずっとお休みだから」
「なあ、様子を見に行ってもいいのか?」
「ええ、大丈夫よ。 野球の練習をするだけだもの。 山籠りの修業をするわけじゃないんだから」
「そりゃあ、そうだが、夕飯の支度くらいは頼みたいものだがなあ」
「あら、世田谷のお母様が来て下さるって言っていたわよ」
「えっ? おふくろが? まいったなあ」
「あら、いいじゃないですか。 久しぶりに孫たちと過ごせるって楽しみにしてらっしゃるわ」