14.秘密兵器
14.秘密兵器
先に大阪入りしたクロマティは、寿ファイターズの練習を見た後、大阪市内のホテルにチェックインした。 助っ人を頼まれている試合は2日後の日曜日だ。
「ナマッタカラダヲホグシテオクカ」
そう言うと、フロントに電話してプライベートでトレーニングできるジムを手配してもらった。
「ランディーハ、トウジツノトウチャクダッタナ。 ヤクニハタタナイナ」
日本語の独り言を口にしながら、せっせと汗を流した。
昇がいつものように、メンバーのデータをチェックしていると、メールが1通届いていることに気が付いた。 アメリカからだった。
~Hello!(以下和訳) 昇、申し訳ないが、仕事が立て込んでいて、日本に行くのが遅れそうだ。 大阪に着くのは頼まれた試合の当日になるな。 でも、まあ心配しないでくれ! 友達のクロウが、今ちょうど日本にいるっていうから頼んでいたよ。 今頃は相手チームの視察を終えて、ジムで汗をかいているんじゃないかな。 俺は試合の途中からしか駆けつけられないが、クロウは試合開始からどこかで見ているはずだからいつでも使ってやってくれ。 ヤツが持っている日本での携帯電話番号を教えておくよ。 じゃあな。 東京で会えるのを楽しみにしているよ。 アディオス!~
「クロウだって? まさか、クロマティ? ははは。 ランディのヤツ、やってくれるねえ。 でも、このことはあいつには内緒にしておこう。 ランディが遅れると聞いたらあいつも焦るだろうなあ。 そしてクロマティ。 考えただけでもよだれが出そうだ」
“殿様キングス”との試合の助っ人に、ランディ・バースを呼ぶことははじめから決めていた。 だから、バースのスケジュールが空きそうなこの時期に試合を組んだ。
ところが、その一週間前に、大学時代の後輩からバースンレンタル依頼があったのだ。 バース本人は快く昇の申し出を受けたものの、来日間近になって、急に忙しくなってきた。 仕事は何とかやっつけられるが、大阪へ行くのがギリギリになりそうだった。 案の定そうなってしまった。
それを見越して、万が一に備えるつもりで親友のウォーレン・クロマティに電話をかけた。 すると、たまたま、クロマティが日本にいることが分かった。
“ボロ勝ち”と“寿ファイターズ”の試合当日、クロマティはひと足先にグランドに来ていた。 “近所の野球好き”のような格好でバックネット裏から試合を見ていた。
試合をやっているものたちには、まさに、“野球好きの外国人”にしか見えなかっただろう。 なんといっても、こんなところに、あのクロマティがいるなんて誰が想像するだろう。
飛行機の窓から関西国際空港の滑走路が見えてきた。 飛行機は遅れることなく、定刻に到着した。
バースは秘書に荷物を任せると、グローブとスパイクの入ったスポーツバッグとバットケースだけを担いでタクシー乗り場に急いだ。
里美と由美子、そしてアリスの三人は、“殿様キングス”が所属している連盟のリーグ戦に参加しているということで偵察に行くことにした。 試合会場に到着すると、既に“殿キン”の試合は始まっていた。
2回裏。 相手チームの攻撃中。 スコアは3-0。 “殿キン”がリードしている。 ピッチャーは順一だった。 まっすぐはそれほど速くないが、大きく曲がるカーブとフォークボールを決め球に使う。 三人のバッターがいずれも三球三振に打ち取られた。
3回表。 “殿キン”の攻撃。 1番からの打順だ。 1番は順一の会社の後輩。学生の頃陸上で短距離をやっていただけあって足が速い。 内野ゴロならほとんど1塁馳セーフになる。 この打席もセーフティーバントを決めた。
2番は隣町の商店街の肉やのセガレ。 背は低いが体中筋肉みたいなマッチョだった。 四球で出塁。 3番はベアーズのコーチをやっていた男だった。 送りバントをきっちり決めた。
4番は正春だ。 カウント2-1からの4球目。 低めに入って来たカーブを捕らえて、フェンスオーバーのホームラン。 あっという間に6-0。
「やっぱりすごいのね」里美が言う。
「そうですね。 久しぶりに見たわ。 あんなに楽しそうなあの人の顔」と由美子。
里美も頷きながら、マウンドに登る順一の姿を追っていた。
「ネエ、ベンチウラヘイッテミマショウヨ」アリスが言った。 スコアブックを見せてもらおうというのだ。
「敵に見せるかしら?」と由美子。
「大丈夫でしょう! 私たちなんか眼中にないはずだから」
三人は“殿キン”のベンチ裏へ移動した。 たとえ家族でもメンバーではないのでベンチの中には入れないので、フェンス越しに控えのメンバーに里美が声をかけた。 振り向いたのは里美もよく知っている順一の会社の後輩だった。
「さ、里美さん!」いきなり里美に声をかけられ、彼は驚いているようだった。
「久しぶりね。 相変わらずベンチを温めているの?」
「違いますよ。 僕は、最初からチームのマネージャーなんですから」
「ちょうどよかったわ。 これまでのスコア見せてよ」
「いいですよ」そう言うとマネージャーの男は里美にスコアブックを開いて見せた。
由美子とアリスもそのスコアブックに見入った。
ここまでの“殿キン”の得点はすべて正春の打点だった。 つまり、正春が2打席連続で3ランホームランを打ったということだ。 そして、順一は2回まで全ての打者を三球三振に仕留めていた。
そうこうしているうちに、3回の守りを終えたメンバーがベンチに戻って来た。
順一はこの回も相手の下位打線に対して難なく連続三球三振を更新してきたようだった。
「なんだね? 君たちは。 一応、偵察のつもりかな?」順一がいかにも高飛車な態度で里美たちを見降ろした。
「あら、せっかく、亭主の応援に来たっていうのに、冷たいわね」
「元亭主だろう? それとも、よりを戻したいのか? だけど、豆腐屋は継がねえよ」
「そうね。 でも、もう、そんな心配はしなくていいのに」
「なんで?」
「だって、豆腐屋はもう私が継いだんだもの」
「それじゃあ…」
「ええ! だって、嫌いになったから別れたわけじゃないんですもの。 今でも愛しているのよ」
「里美…」
順一はベンチから出てくると里美を抱きしめた。 ベンチからマネージャーの声が聞こえた。
「監督、守備の番ですよ。 速くマウンドに上がって下さい」
順一は帽子をフェンスの上からグランドに放り投げるとマネージャーに向かって言った。
「今からデートだ。 マウンドはお前に譲るよ」
「えっ?」マネージャーはその場で放心状態に陥った。
里美と順一はそうやってグランドを後にした。 由美子とアリスはあっけにとられて言葉も出なかったが、二人がグランドを離れるときは拍手で見送った。 そして、“殿キン”の試合を最後まで偵察していった。
結局、試合は“殿キン”が15-0で圧勝した。 順一の後を任されたマネージャー君は打たれながらも粘り強く投げ抜き、得点を許さなかった。