巻ノ二十一 面影
「改めて、ボクの名前はアルフォンソ・ロジタ・リド・クレスティア。女神の祝福を受けし、世界の美を極めた者だ」
アルフォンソは服を着ながら朗々と自己紹介をした。
やっと通常モードに戻ったユージンが、それを手伝っている。
先ほどから無駄に流し目をしてくるが、佳奈はただただ引くばかりだった。
「よしっと…ありがとうユージン。君も中々美しいね。もちろんボクには敵わないけど」
「お褒めにあずかり光栄です」
「うん。それで、残念顔」
「立花佳奈です」
「変わった名前だね。どちらが姓だい?」
「立花が姓で、佳奈が名前です」
「うん。で、残念顔。ボクは君に話したいことがあって、わざわざ無理を言って連れてこさせたんだ」
「何なのこの人!」
「だから世界に溢れる輝きを、全て封じ込めた宝玉だよ。で、話を進めてもいい?」
「だからっ――ひッ!ままま、マリーベルさん?何でピストルをMYの頭に…?」
「あんたが黙らないと話が進まないでしょうが」
「わかった…分かったから……落ち着いて話し合おう。ほら、すってぇ…はい――うごッ!」
マリーベルは一切の手加減なしで鳩尾に膝をめり込ませた。
佳奈は死んだ。
アルフォンソは両手の平を天に向ける。ついでに首を左右に振った。
「その子は中身も残念だね。もう何もかも残念だよ。フェルデニア、本当にそれがバラの女王なのかい?」
「疑うんですか?その毛、むしりますよ」
「おっと、それはマズイ。女神が泣いて、この世が涙に流されるよ。すっかりピッカリの残念ヘアーはリドウォール卿だけで十分だよ」
「試してみてもいいんですよ?」
やれやれとでも言うようにアルフォンソの首が揺れる。
どうやらそれがクセらしい。
ずっとマリーベルと話しつつ、その目が佳奈から離れることはない。
マリーベルは、舌打ちするように息を吐いた。
「佳奈。前に私が渡した懐中時計があるでしょう?出しなさい」
「へ?懐中時計?」
佳奈の首が徐々に傾いていく。
もう身体が倒れるんじゃないかと言うほど傾いてから、ふいに手を打つ。
「ああ!」
佳奈はポケットを探り、ドレスを叩きまわり、最後に袖に手を突っ込むと、なぜかそれは出てきた。
水晶に似ている透明の材質。けれどそれは、誰も知らない未知の物質。
確か佳奈が持ったとたん、赤い斑点が浮かび、それは満開のバラになったのだ。
今もその赤いバラは健在でる。だがあの時と違い、大きな葉っぱがその大半を覆い尽くしていた。
「な、何これ。マリーベル…この模様動くの?」
「そうね…バラの葉の花ことばは、希望ありよ。良かったわね」
マリーベルはそのまますっと父を見上げる。
「で、分かった?」
「バラの国の継承物か…宝物庫に忍び込んだのか?」
「忍び込んだ?まさか!普通に正面から入って、正面から出たわよ」
「なるほど。さすがフェルデニア。美しく鮮やかだったことだろう。……これは、信じざるおえないな。失礼したなバラの女王」
「な、なんかこれ、すごいものだったの?」
「そうよ。バラの国を統べる権利のあるものにだけ、その印が現れるの」
「権利……」
佳奈はそれに視線を下ろし、ふっと瞳を凍らせた。
――きゃあああ!!来ないでッ殺さないでッ化け物ッ!!
――ボクは、王になりたいんです
――いつまでも、私はあなたを支えます。あなたに仕えましょう。小さな私の陛下…
――あなたは王です
頭の中に、あの記憶が交錯する。
あれは、彼らが言うところのバラの女王の記憶。
彼らが望む者の記憶。
けれど、王座を望まなかった者の記憶。
自らの愛しい者のためだけに、何もかもを捧げた少女の、狂った記憶。
「でも…わたしは女王じゃないわ」
「え?」
マリーベルは眉根を寄せて問い返してくる。
「だって本当は、あの子供を王にしようとしたんだもの」
「あの子供?」
「そうよ。たった1人だけ、私を受け入れてくれた子供。……ああ違う。私じゃないんだ。彼女を、アマーリエを――」
「アマーリエ?」
先ほどからマリーベルは問い返してばかり。
佳奈はこめかみを押さえて、とにかくと堅く目をつぶる。
「彼女は多分、あなたたちが望むような人物じゃない」
マリーベルとアルフォンソは目を見合わせた。
そして顔を厳しくする。
それは佳奈に詰め寄らんばかりの剣幕だ。
佳奈のまな裏は鮮やかな朱に染まっている。それはあの悲劇の時、美しい城を染め抜いた色。
「どういうこと?佳奈はバラの女王のことを知ってる?」
「ちょっとだけね。ていうか、マリーベルたちは全然知らないの?」
「知らないわ」
「ボクたちはただ、バラを枯らしたり折ったりしないように管理して、敬って、それで力を借りていただけだからね。直接の面識はないんだ。というか、バラというのはどうすれば話をできるんだい?だって、ただの花じゃないか」
――本当に何も知らないのか。
バカな佳奈だが、バラの事に関してはこの国の誰よりも詳しいかもしれない。
「バラはその香りを力に変えることができる」
「そうだね。ボクたちはそうやって魔法を使っていた」
「それと同じ要領で、自分のカラ…のようなものを作って、自分の意識を移せるの。でも、そもそもの本体は花だから、枯れたり折ったりしたら死んでしまうけれど。――ずっと聞きたかったんだけど、この国だとバラの花はどのくらいの間枯れないの?」
「…そうだね。30年は枯れないかな」
――バラが30年咲き続ける、と。
花屋は商売上がったりだなぁ、とかどうでもいいことを考えつつ、なるほどと納得もする。
「でもやっぱりボクには分からない。花に意識があるのかい?」
「どの花にも意識はあるの。でも、それを具現化できるだけの力を持つのはバラだけ」
「へぇ…それで、意識を移したカラとやらはどこにいるんだい?」
「……」
佳奈は記憶を必死に手繰った。けれど誰もそんなことを喋ってはいなかったし、アマーリエの読んでいた本にもその手の記述はなかった。
「この世界ではないと…思うけど。平行世界っていう感じでもない。もっとふわふわしてて、不安定で、おぼろげな世界。どこかって言われてもいまいち説明できないけど」
「じゃあどうやったら行けるの?」
「勘違いだと思うんだけど……ないと、思う」
「ない?」
この声は親子で重なった。
佳奈は頷く。…先ほどからアルフォンソに誘導尋問されている気がするが。
「ある感じがしないもん」
先ほどから、あの記憶がどんどん鮮明になっている気がする。
眩暈がする。泣いている時のように、視界が緩くぼやけた。
アルフォンソが首を振る。
「参ったなぁ…これは本物だ」
「私も驚いたわ。…そういえば佳奈、魔法を使っていたわ」
「何!?魔法ッ!――これはますます……」
アルフォンソはこれまでになく真面目な顔をした。
しっかりと佳奈を見て話をする。
「残念顔くん。君を呼んだのは他でもない。ボクたちに協力してほしいんだ」
「残念顔って…しつこいなぁ、はぁ…もういいや。で?協力って?」
「今、内戦が起ころうとしている」
「シェーゼスと?」
「その通りだ」
「でも、あれはシェーゼスじゃないんじゃ…」
「だからさらにだよ。君に彼を殺してもらいたい」
ノドが、ひゅうと悲鳴を上げた。
「だって…あなたの子供なんじゃ」
「そうだよ。でも、だから何?」
「何って……」
佳奈はアルフォンソが、得体のしれない生き物に見えて、怖くなった。
だってそれに、シェーゼスは、私の……いや違った。彼女の、愛しい子供なのだ。
その記憶を継いでいる私に、殺すことなどできるはずがない。
「彼は得体のしれない生き物だ。魔法を使う。バラたちはトゲを生やして眠りについている。じゃあ彼は何だ?」
「彼は……!」
そこで言葉を失った。
彼は、何だろう?と。
だって、そうではないか。彼は死んだ。彼女の、アマーリエの目の前で。
バラを摘まれたから。死んでしまったのだ。
それを思い出すだけで、凄まじい怒りと憎悪に気が狂いそうになる。
死んで、完全に消滅してしまったと思った。だから絶望した。
なのに、生きていた。何で?彼は何?
でも、そんなのどうだっていい。今彼が存在しているのは確かなのだ。
そうだ!リドウォール卿の屋敷で夢を見た時、彼は泣いていたではないか。
何か、悲しいことでもあったのだろうか?会いに…会いにいきたい……!そう思うのに。
――黒いバラ……花言葉は〝いつかあなたを殺しに行きます〟ですね
――さようなら。次は――――殺しに行きます
それは絶対的な拒絶だ。
私に対する、失望の証。
私が、子供を王にできなかったから。
約束…したのに。
「私は…」
どうしたい?どうすればいい?
子供に拒絶され。でも、この男の言うように、子供を殺したりできるわけがない。
なら、なら……?
「私は、あなたの言う通りなんかにしないッ!!!」
とりあえず、力いっぱい叫んだ。
アルフォンソは驚いたような顔をする。けれどすぐ、とろけるような微笑に変わる。
「まあ急がなくてもいいや。しばらくここに住んで親交を深めようじゃないか」
「は?」
「ユージン。連れて行ってあげて」
「…分かりました」
「ちょ、ちょっと待ってよ!」
「じゃあね~。大丈夫。君のための歓迎会を開いてあげるから、寂しくないよ。ボクって心まで美しいから」
「っくぅうう」
呻き声を残して、佳奈は引きずられて言った。
残されたのは、ひと組の親子。
「…佳奈を閉じ込めて、どうする気ですか?」
「さて。何だか今にも逃げ出しそうな気配だったからね。今これ以上話をするのは得策ではないと思ったんだ。それだけ」
「狙われているくせに、随分悠長ね」
「――にしても、あの残念顔くん。見た?」
「見たわ」
アルフォンソが、彼は誰?と問いかけた後の沈黙。その時……。
「誰か違う人物の面影が、重なって見えたね」
「何か深くバラに関わる話でもされると刺激されるのかしら」
「シェーゼスの話が、バラに関わっているかい?」
「さあ…」
そして、静寂。
「――あの重なって見えた人物。彼女が例の、バラの女王なんだろうね。ふふ」
「何よ」
「いや…」
アルフォンソは、心から楽しそうに笑った。
「もうそろそろ、世界に時間が戻ってもいい頃だと思わない?」
えーと、一日に3話書いてみました。
…わりかし疲れますね。そういうの。