巻の十二 destiny~いつか、きっと。遠いところで~
マリーベルはその人物を凝視したまま、得意のガンマンも構えられず呆然と立ち尽くしていた。
そこにいる子供をマリーベルは良く知っていたから。
だからこそ。
「なんでこんな所に…?」
理解できなかった。
夢の中の、暗い闇の底で、佳奈はその人物を見た事があった。
身を切るような激しい叫びをあげて、こちらをじっとみた。
そして呪いの言葉を残して、黒いバラの中へと消えた。
――黒いバラ……花言葉は〝いつかあなたを殺しに行きます〟。
――さようなら。次は――――殺しに行きます。
2つの言葉が絡み合って強固な縄となり、佳奈のノドを少しずつ締めあげていく。
確かな殺意が、自分に向けられている。
その事実が、佳奈に焦りを与え戸惑いを与え、けれど何より確かな恐怖を植え付けた。
「あなたは、何?」
堪え切れず佳奈は誰何の声を上げる。
口元だけを笑みの形に歪めて、子供は皮肉るような笑声を零した
「何、だって?――あなたにそんなことを聞かれる日が来るとは思わなかった。自ら忠義を誓った相手すら忘れ去るなんてね」
「ちゅう…ぎ?」
聞きなれない単語。
胸の奥が、うずく。臓腑をかき回されたように気持ちが悪かった。
視界が小さく揺れる。脳全体を、何か大きな力で抑えつけられているように感じた。
「くく。くくくくッ!」
あははははは!!!
小さな身体から、地を響かせるほどの笑声が迸る。
佳奈は戦慄した。
おかしい。狂っている。狂ってしまっているのだ、この子供は。
ふいに袖をひかれ、佳奈は振り返った。
そこにいるのは、青い顔をしたマリーベル。
彼女は笑い続ける幼い子供を示し、短く言った。
「彼は、私の弟よ」
「?――ッ。弟!」
マリーベルは躊躇いがちに首肯した。
「そう。シェーゼス・ディア・カルデオス・クレスティア。正真正銘、私の弟…」
「名前、ながっ!ていうか、え?なんか今最後に『クレスティア』って言わなかった?」
「ええ、言ったわよ」
「えと…」
佳奈はまさかと思い。けれどあまりに突拍子のない考えに、質問を躊躇した。
バカけてる。あまりにバカけている。でも――。
佳奈はゴクリと唾を呑んだ。
「……この国の名前ってなんでしたっけ?」
「クレスティア王国」
「もしかして、もしかします?」
「おそらく。ご想像の通りかと?」
マリーベルは自嘲気味に笑んだ。
そして、ドレスを少し持ちあげて見せる。
「お初にお目もじ仕ります。女王陛下。クレスティア王国王女のフェルデニア・エル・マリーベル・クレスティアでございます。以後お見知りおきを」
「なっなっ…!」
確かにいつも超自分勝手で、女王様な感じだったが、まさか本物の王女様だったとは…。
現実は小説よりも奇なり。とはよく言ったものだ。
「いえ、佳奈。これは小説よ」
「だから心を読むなっ。ていうか、そういうことは言わないの!私たちにとっては現実でしょ?」
「可哀そうに…妄想変態少女が思いつきで書いただけのバラの世界が現実なのね……」
「マリーベルもこの世界にいるんじゃない!」
「いえ、実は私は現実の日本に……」
「マジでかー!!」
「冗談よ」
ったく、もう何やってんだか。
と、ぷんすか怒りながらも、佳奈は身体から力が抜けたのを自覚していた。
いつの間にか放置されていた子供――シェーゼスに視線をやると、彼はすでに笑いやんでいた。
佳奈の方を見て、泣いるのか怒っているのか、良く分からない表情をしていたが、何か激しい感情を抱いているのは明白だった。
落ち着いて、1つ息をつく。
知らず入っていた力が抜け、肩がストンと落ちる。
引き攣らせつつも、何とか笑みらしきものを浮かべることができた。
「えっと…それじゃあシェーゼス?」
「それはこの身体の名前だよ。ボクの名前じゃない」」
「身体…?」
言っている意味がよくわからない。
うん。バカだから。私。
問いかけるようにマリーベルを振り返る。
リンカーン、ナポレオンの生い立ちや、孔子…はたまた陰陽道に通じる超天才王女様は、どうやら何か察したらしい顔をさっと青くする。
再び首を戻した先の、シェーゼス。
コテンと首を傾げる。
「……つまり?」
「彼はシェーゼスじゃないのよ。佳奈」
「え?でも今さっき自分で…」
いきなり弟宣言を撤回したマリーベルに、ますます眉を顰める。
「身体は確かにシェーゼスね。けれど、中身は何か別の物らしいわ」
「はぁ?」
思わず情けない声がもれた。
ますますわけが分からない。
ラノベならお約束…な気がする展開だが、生憎佳奈は本を読まなかった。
本を開くと目がショボショボして、一瞬で眠りについてしまう。一時本気でギネス挑戦を考えたほどの速さでだ。
そんなおバカちゃん佳奈にイラりときとマリーベルは、ああもう!と唸り早口に説明した。
「つまり!元々私の弟だった人物……仮にAとしようかしら。――そのAがいて、そこに違う“何か”BがやってきてAの中に入り込んだと、そういうことよッ」
「は、はい」
「バカは嫌いよ。これ以上イライラさせると体中に風穴あけるわよ」
「了解しました。隊長!」
びしりと敬礼。――お前いつから隊長になったとか、絶対思っちゃいけない。うん。
……で。
「それなら、あなたは誰?」
再び視線をシェーゼスもどきに。
「誰って?」
子供は笑った。くすくす、くすくすと。
そして、ぎゅっと口角をつり上げて笑って見せた。
「当ててみてよ」
それが泣き笑いに見えたのはなぜだろう。
まるで、世界を手に入れたとでも言うような、壮大な笑み。だけれど。
「どうして、泣いてるの…?」
佳奈の声は、風に霧散してしまうほどに小さく。近くにいたマリーベルにさえ、よく聞えなかった。
佳奈は、目の前の子どもを見つめた。
知っている?――いや、知らない。
会った事は?――ない。
でも、子供は私を知っている。それも、よく。
――?
そこで何かに気付いた気がした。
けれど、そこから思惟を深める間もなく、むせ返るようなバラの匂いが佳奈の思考を立ち切った。
「うっなに?」
見れば、子供が右手を掲げ笑みを深くしている。
彼を守るように、赤いバラの花弁がグルグルと廻っていた。
その花弁は手の平の辺りに集まって、ねっとりとした赤い粘土のようなものに姿を変える。
光が、膨れ上がった。
マリーベルが顔色を変える。
辺りの空気が、佳奈をからめとる。
――叫び声。
誰が叫んでいるんだろうと思うと、自分の口から声が迸っていた。
赤い、赤い、いや、もっと生々しい、黒みがかった色。そう、鮮血のような赤黒い光が、弾けて、佳奈を睨む。
目を閉じる事もできない。
けれど、その目には何も映っていない。何も見えない。
――見えない。
闇。
戦慄。
恐怖。
――ねぇえ、みんなどこにいるの?
一瞬して訪れた衝撃。
けれどそれは、思っていたのと違う方角から。
肩にズキリと痛みが走り、押し倒されたと理解するのにまた一瞬。
そして、上に誰かが乗っていると気づくのに、さらに一瞬。
緩慢に首を持ちあげ、佳奈は目を見開いた。
バラの花弁、血のように赤黒い花弁――ッ。
「――ッ!」
そう思い込もうとした。
けれど違う。それはもっとどろりとしていて、バラさえも押しのける鉄のような異臭を振りまく。
本物の、血だ。
「マリーベル!?」
左の肩だ。そこだけドレスが破れて、変色した肌が見える。
そこから、止めどなく血があふれ出す。
染める。染める。
自身のドレスに、佳奈のドレスを。
そして、草を、花を、目に見えるもの全てを。
染める。染め上げる。
そこを、小さな花畑のように。赤い、バラの、花畑のように。
――狂っている。
最初に子供に抱いた感情を、再び抱く。
子供は、まだ、笑っていた。
赤い花弁を浴びて、笑っていた。
それが目に焼き付いて、佳奈の眼裏まで赤く焼いた。
これは何?
全身が燃えるように熱い。
今さっきまでの恐怖もない。
マリーベルが傷ついた哀しみもない。
何も、ない。
けれど、無ではない。
あるのは、赤い光だけ。
これは何?
これは――怒り。
ドクンと鼓動。一瞬、時がとまる。
閃光が散った。
なんかすごいことになりました。
一体あのパワフル変態コメディー(?)は何処へ…
ちょっぴりあのバカな雰囲気が名残惜しくなった作者です。