六話
「姉は事務員を恋人にする」六話
姉さんはいつの間にか部屋に戻っていて、酔いを翌日に残さず、元気に朝ごはんを食べていた。
僕が起きると、白川さんもぼんやりとしていて、トイレに行ったり髪を直したり髭を剃ったりした後、散歩から帰った姉さんと合流した。
姉さんが車を運転する。
「上手い、ですね」
それがわかるというのは、白川さんもだいぶ運転をやられるということだ。
姉さんは家で一番運転が上手い。
手先が器用なのだから当然かもしれないけど、ちらちらと細かく動く視線が、状況をコントロールしている。
その代わり話さなくなる。
無駄に車線を変更しない。ブレーキは緩やかに踏む。バックミラーを頻繁に確認する。たとえ煽られても、辛抱強く付き合ってあげる。決して混乱したり焦ったりしない。怖いと思わないのだろうか。
オーディオからは、アニソンが流れている。梶浦由記のアニメ「NOIR」のサントラ。
姉さんには確かに銃が似合うかもしれない。「リコリス・リコイル」なら千束タイプだ。
僕と白川さんは、雀魂で麻雀を打っている。音は消して。姉さんの邪魔はできない。
トンネルをくぐる。一気に目が疲れた。そして放銃する。倍満を喰らって箱下になってしまった。
嘆いたら一言「ざーこ」と言われた。箱下になったことがない姉さんに、僕の気持ちはわからない。
「横浜でご飯でも食べる?」
僕はそう姉さんに言われて、適当な店の住所を言った。
姉さんはカーナビに道を聞き、向かった。
「中華料理なのに、中華街じゃない」
姉さんはつぶやいた。
「中華街は当たり外れ激しいし、当たりは高いから」
「ここは?」
「前、彼女と行った。地元民の推薦。間違いない」
「何ちゃんだっけ?」
「梨純」
「そうそう。梨純ちゃん」
姉さんは聞いといてまた黙った。
「恋人がいるんですね」
「高校時代に仲が良かったんです。中学受験の時に同じ塾で、彼女は女子中高に行って。僕は大学受験をしなかったので、なんとか面目が。東大の院にいます」
「そういうことはよくあります。東大、特別ですね」
「楽しくやっているみたいです。博士を目指すらしくて。全く困りますね」
「嬉しそうですね」
「幼馴染ですから」
「横浜の女の子というのは、どういうものですか?」
「高校は鎌倉でした。実に風光明媚な山手を裏に、綺麗な校舎で。夜は横浜で遊ぶのですよ。例えば駿河屋とかでね」
「カードゲームですか?」
「塾の悪い仲間とね」
「かなり手強いのですね?」
「どちらの意味でも」
白川さんは何回か高く笑った。
しばらく梨純の話をして「それは」と白川さんが洞察した。
「中国語は彼女に起因するものですか?」
「そうです。彼女は中国人なので」
「それでは、HSKの六級では足りないくらいかもしれませんね」
白川さんの指摘に姉さんはくすくすと笑った。僕は含羞で背中がむずむずした。
到着したレストランで、注文はサクサクと進み、白川さんがイニシアチブを取って、皿が展開された。
クラゲは冷たく、棒棒鶏の上にかかる葱油は実に美味かった。頼んだ皿一つ一つの量もたくさんあり、姉さんは無言でもぐもぐと食べ続けた。
「でも、梨純ちゃんと結婚するんでしょー?」
「たぶんね」
「私より早い?」
「流石にそれはないよ、姉さん。ん? 白川さん、なにか?」
「食べ方が似てるなって」
「え、そう?」
姉さんが反応した。少し嫌そうだ。
からんとソフドリを飲んでいるところを見ると、運転はやるつもりらしい。酸梅湯をソーダで割っている。
炒飯をかきこんでおかわりをする姉さんは、まるで上野動物園のパンダみたいだ。なんとなしの可愛さがある。
会計の段取りの前にトイレに行く姉さんはさすがで、僕は今回は嘘をつかなかった。
「宿代にもなりませんが」
白川さんが頭を下げた。姉さんはそういう時に本当にどうでもいいというような顔をするけど、曖昧な笑いより僕はよっぽどいいと思う。姉さんは金目当てに人と付き合う人じゃないし、白川さんはもう仲間なのだから。
僕たちはまず春日に行って白川さんを降ろした。ら、姉さんも降りた。
「車ぶつけないように帰ってね」
姉さんは小さいカバンを手繰り寄せると、僕に車を預けた。
僕はそのまま本郷へ行き、梨純を乗せた。なんとなく気持ちを伝えたい気分だった。
助手席に座った梨純は、いつものように辛辣な口調で、「女の匂いがするな。上書きしてやる」と言った。
「姉だよ」
と、言い切る間もなく唇を塞がれた。いつものやり口だけど、僕は心を明け渡すほかなかった。
「どこ行く? 横浜とかどう?」
「さっきまで横浜に行ってたんだ」
「ああ、そう。じゃあ鎌倉」
「は、昨日行った」
「なんだよ。そしたらどこかタバコが吸えるところに行ってくれ」
「コンビニってこと?」
僕は車を発進させた。




