四話
「姉は事務員を恋人にする」四話
就活も終わり、修論も書き終えて、暇な時期が続いていた。
家で本を読みながら、姉さんとおしゃべりをする。
姉さんは風景画帳に水彩を差しながら、最近面白かった映画の話をしてくれた。
「『エディントンへようこそ』?」
「うん。悪くなかったよー。評判は悪いけど、私は好き」
「玄人向きだね」
レビューを見て僕が苦々しい顔でいると、姉さんはしたり顔で「お子さまなんだねー」と言って楽しそうだった。
「新宿に行ったの?」
「渋谷。宮益坂近くの映画館」
「ふうん」
「ゆき、萩さんまた会いたいって言ってた。やっぱりゆきは頭いいんだね」
「姉さんほどじゃないよ」
本音なのだけれど、姉さんは真面目には受け取らなかった。ひらひらと手を振る姉。
「今度会う時は、どこ行こうかなぁ」
「車でドライブでもしたら?」
「いいねえ」
「横浜とか鎌倉とか」
「運転してくれない?」
「僕?」
「私、運転している時、集中しちゃってあんまり話せないんだよね」
「僕はいいけど、いいの?」
「だいじょーぶだよ。萩さんも話したいって言ってたし」
「本当かなぁ」
「で、ほら三島とかで温泉入るとか」
「予約は自分でしてね」
「まかせろ、なのだ!」
***
春日の家の近くで車を停めると、すぐに白川さんが乗り込んでくれた。
僕は駐車場代を払わずに済み、車を発進させた。
「このBMWは?」
「我が家の自家用車だよ!」
「父のです」
「申し訳ないですね、給油する時は言ってください。払わせてください」
「萩さんだめだよー。これはうちの車。したがってうちが払うのだ」
「まあまあ姉さん、払ってもらえるなら出してもらおうよ」
「そうです。やはり幸仁くん、わかっていますね。もちろん、ココノさんのお気遣いにも感謝ですが」
僕はほうっとため息をついた。
事務員というのはかくも、落とし所を演繹するのが上手く、それを言語化するに淀みがないものかと。
気を遣うだけじゃないコミュニケーションが実にいい。
姉さんは、とても楽しそうに笑って、白川さんと色々な話をしていた。僕はそれを聞きながら実に気楽に運転を楽しんだ。
「給油していいですか?」
僕がそう聞くと、白川さんは僕を見て嬉しそうに笑んだ。
「もちろんです」
ガソリンスタンドで給油すると、白川さんはカードを出して決済した。
「なんか悪くない?」
姉さんはそういうのが仕事なので、僕は軽く無視して、白川さんは姉さんに仁義を含めた。
僕のスマホからスピーカーに飛んだ音楽は、「NieR:Automata」のオリジナルサウンドトラック。
姉さんが好きなやつだ。姉さんは口笛を吹く。上機嫌だ。
「スクエニはドラクエくらいしか」
「スクエニってわかるのすごーい」
「たまたまです」
白川さんは謙遜していたけれど、事実幅広いなと思う。ジェネラルに能力値を伸ばすのは、努力ではなくほとんど才能だ。興味の幅と、教養主義的な教育の成果でしかない。それは育ち以上の才覚で、どちらかというと逆境を跳ね返す中で涵養される資質だ。頭の良さとは少し違う。本物の頭の良さだ。
こういう人が日本にたくさんいることを思うと、少し呆れてしまう。情緒を育み、矛盾を抱擁し、物事を前に進め、人に嫌われても嫌な顔をしない。
でもそれは、別段「すごい」ことではない。シャドウワークならぬシャドウケイパビリティは、簡単に言語化して評価できるものではない。
そして、たぶん白川さんは、それを当たり前だとは思っていない。僕もそうは思わない。
かかる負荷によって自分を拡張し、自分の視野を常に広く、広く持とうとする。その成果であることは、わかる人なら一目でわかる。
周りとうまくやっていくのは、一つには性格であり、もう一つは絶えざる自己改変だということを、僕はまざまざと見せつけられる。
姉さんが「萩さんの背中は鉄板なの!」と言った時、僕は笑いで紛らわした。
「整体に行くといいですよ」
***
鎌倉でフレンチを食べた。
姉さんがトイレに行った隙に、白川さんはデザートを人数分頼み、会計をした。僕には有無を言わせない。
「運転してもらったお礼です。お酒まで飲ませていただいて」
僕は天を仰いだ。「お金のことは気にしないでください」
姉さんが帰ってくると、僕は言った。
「白川さんと折半したから」
白川さんは視線を絡ませなかった。
「あ、そう?」
その言葉を姉さんがどう解釈しようと、支払いに関する取るべき態度はすでに決している。そして姉さんもわからない人ではない。
鎌倉、海沿いを行く。車からの景色で、姉さんは高揚しているみたいだった。笑顔が可愛いと僕は思わないけど、まだ無邪気さを残している(見せてくれる)ところは、誰からも愛されて育ったことを物語っていた。そしてそれは間違いなく、誰をも愛せる姉さんの誉れだった。




