一話
「姉は事務員を恋人にする」一話
姉は、割と芸術的なタイプで、関東の生まれだけど京都の芸大に行って、油絵をやって帰ってきた。
仕事は小学校の図工の先生。
休みの昼間は、家で油絵を描く。大体お絵描きをして過ごしている。
僕は、姉さんが、最近できた彼氏の感触を確かめるために、家に連れてくると言って、それを待っていた。
扉が開き、姉さんの雰囲気が家に入ってくる。
家は東武東上線のときわ台の一軒家。
「おかえり」
「ただいまっ。(ほらほら、入って)」
「お邪魔しますー」
声の可愛い人だ。可愛いというと失礼かもしれないけど、高めのテノールは楽器みたいだ。
冬の日、ときわ台も例になく寒い。
僕が部屋で薛之謙の「覇王別姫」をかけていると「いい曲ですね」とコートを脱いで言った。
「白川です」
背はそんなに高くない。少し太っている。年齢は三十そこそこ。姉と変わらない。
「道中幸仁です」
「よろしく、お願いします」
振る舞いは硬いところがなくて、自然というか、緊張していなかった。
「はー、さむさむ。ゆき、中国語の勉強?」
「少しね」
「HSK受けました?」
びっくりだ。それは玄人質問。
「そろそろ六級を受けようかと」
「それはすごい。昔中国語をやった時期があります。仕事に活かせるかな、と。 笑ってしまいますがそんな動機では、ね」
「語学がお好きで?」
「ほどほどです。平均的日本人並みというところです」
「それはだいぶ、ということですね?」
白川さんは首を振った。
「ゆきー、お菓子買ってきたよねー?」
「姉さん、一応ケーキ買ってきたけど、まさか僕がお金出すわけじゃないよね?」
「お客様がいる時にそんな話しないの。とりあえず出して」
「はいはい」
僕はかちゃかちゃと食器の音を立てながら、ケーキを用意した。いちごのタルト。季節だからか少し安かった。
「幸仁くんは、何歳なんですか?」
「二十四です。大学院生をしています」
「それはすごい。優秀なんだな。どこの?」
「慶應です。でも、修士で打ち止めにしようと思っています」
「専攻は?」
「社会学です。哲学との絡みで、」
「ハーバーマスとか? フランクフルト学派?」
「そこまで行ければよかった。ちょっと難しかったですね」
「慶應は学部から?」
「幸仁は中学からー」
白川さんは驚いた顔をしてくれた。
「ときわ台もむべなるかなというのか、逆かもしれませんが。堅牢な実家ですね」
「攻めた方です。姉さん、着替えまだ?」
「まだー、食べててー」
「どうぞ」
白川さんはくすくすと笑った。
「何か音楽かけます?」
「マンドポップのおすすめを」
「僕の選曲がお好みに合うかわからないですけど」
「大丈夫。私たちは中国語でつながっています」
僕は張妙格の再生リストを流した。
姉が入ってきた。
「いちごタルト! 好きなやつじゃん、やるぅ」
「姉さん、紹介して」
「弟のゆき。彼は白川家の萩さん」
「白川萩です。呼び方はお任せします」
僕はぺこりと頭を下げた。
「大学は阪大らしい。阪大って大阪にある大学?」
「姉さん、それ」
「いいですよね。ココノさんは、その辺の感覚が適当で」
「姉さん」
「なによ」
「いや、なんでもない」
「大学がなんぼのもんよ」
「だから、なんでもないって」
紅茶を入れ忘れていたと、席を立とうとすると、姉さんが制した。確かに台所に近いのは姉さんだった。
「大阪の人なんですか?」
「いいえ。僕は千葉の出です。県立の高校から」
「関西に行くのは珍しい気がします」
「なんとなく、東京から出たくて」
「関西で姉を知ったんですか?」
「まあ、そういう感じです。ココノさんの絵を、買ったんですよ」
「ありがちでしょ?」
姉さんが紅茶を作った。
僕たちは紅茶を啜り、ケーキを切って時間を潰した。
「ボードゲームでもします?」
僕の提案で、気楽にcivilizationを始めた。
懐かしそうな顔でやるcivilizationは実に楽しく、時間が経つのを忘れた。
ケーキの皿を片づけると、夕食の時間になっていた。
僕は父の車を借りて、二人を乗せるとレストランに向かった。チャットで、金は払えよ、と姉さんにチャットで念押しした。はいはい、わかったわかったと、姉さんは適当にスタンプを返してきた。
「間違っても白川さんに払わせないでね!」
「わかっちょーよ! じゃまっとれ」
僕は、その話を切り上げると、運転しながら白川さんに聞いた。
「白川さんは、何をされているんですか?」
「事務員です。しがないサラリーマンですよ」
僕はその言い方が少し気になって、聞き直した。
「事務員と、サラリーマンは区別されているんですか?」
白川さんは笑った。息の混じる声を出して、くすりと。
「正確には、サラリーマンとは、思っていません」
「ですよね」
「よくわかりましたね」
「なんとなく、ですけど」
「事務員と言うのには、矜持があります。サラリーマンではあまりにつまらない。今は昭和ではないので」
「もう少し聞いてもいいですか?」
「どうぞ?」
「令和の世で、事務員をやるというのは、どんな意味があるんですか?」
「幸仁くんもやればいいと思いますよ。楽しいですし、仕事は無限です」
レストランに着くと、姉は人目を憚らずバクバクと食べていた。
「姉さん、付き合いは長いの?」
「知り合ったのはね。付き合い出したのは最近だよ」




