2-2
洗面室を出ると着替えた女将がニコニコと待っていた。
「隣の部屋にばげまま用意すてあるじゃ」
女将がダイニングと続き間の建具を開けると電気カーペットの上に座卓テーブルが置いてあり、その上に向かい合う様にして二人分の大盛りの刺身定食らしきものが配膳されていた。僕は不思議に思って女将さんに訊ねた。
「今日は僕以外にもお客さんがおられるのですか?」
女将はニコニコしながら顔を横に振った。
「いや、それはおらのだ」
「おらの?えっ?それでは二人で一緒に食べるんですか?」
「んだよ。二人で食んだよ」
当然のように女将は僕に応えた。
僕が緊張して部屋の中に入るのをためらっていると。女将は「さあ、さあ」と言って仏壇の前の席へ案内した。
座らされた席の向いの鴨居の上には、僕を見下ろすように額に入った白黒の写真が並んで飾られていた。よくは分からないが女将の先祖や両親などの写真なのだろう。一枚だけカラー写真の四十才くらいの角刈りで漁船を背景にした捩じり鉢巻きのオヤジがいる。きっと女将の亡くなった旦那に違いない。一族から見張られているような雰囲気の中に僕は諦めて座った。
女将がお盆に二合徳利を持ってやってきた。
「あのー女将さん。僕、お酒なんか頼んでないですよ」
「なに言ってるだ、こぃはサービス。な(あなた)のような男前さだばサービスすねどねー」
女将は僕の前に徳利を置くと馴れ馴れしく肩を叩いた。
たしかに料理は美味かった。しかし緊張しているせいか料理に全く集中出来なかった。すると女将が僕の横へ移動してきた。
「わさも一杯もらえね?」
どこに隠していたのか女将は僕の前に盃を出した。
僕の方にもたれかかるように上体を倒して来た。驚いて避けようとした僕の顔を、女将は下からじっと潤んだ瞳でもの欲しそうに見上げた。
「なんか妙な気持なのよ。もう我慢でぎね」
そう言うと女将は僕の胸にしがみついた。
「ちょっと、ちょっと止めてください。僕そんな気持ちじゃないんで」
僕はしがみ付かれた腕を外そうとしたが、女性レスラーにテイクダウンをとられるような形で畳の上に押し倒された。
「遠慮すねでいはんでね」
女将は僕のジャージのファスナーを下ろしてTシャツを捲り上げようとしている。
「いやいや、遠慮なんてしていないし、こんなのがはじめてというのも嫌だし」
僕は叫んだ。
鴨居の上のオヤジの写真と目があった。
「なは、はずめでだが、そいだばわーが教えでけるわ」
女将の目は血走っていた。
既に女将は僕のTシャツを捲り終え、臍の辺りを舐めまわしている。不覚にも僕の分身は立っている。このままでは女将の唇がそこに登頂するのも時間の問題だ。女将は僕のパンツを掴むと嬉しそうにずりさげた。
「あら、意外どめごぇ(可愛い)のね」
そう言うと女将は僕の分身を頬張った。
僕の両目から涙が零れ落ちた。
女将は僕の上にまたがりヒグマが立ち上がるように腰を振った。そして絶頂の瞬間、女将は大きな声で叫んだ。
「イクイク、イクー!た、た、た、辰男!!!!」
(えっ、誰?辰男って)
僕はちょっとの間、困惑したがきっとこの捩じり鉢巻きのオヤジが辰男に違いないと確信した。下から見上げると、女将の顔が少し切なげに、写真のオヤジがどこか誇らしげに見えた。
そして何度目かの射精の後、女将は僕を蟹ばさみしたまま正常位へ誘った。まるで立ち技の選手を柔術選手がグラウンドポジションにもちこむ具合に。
気が付けば僕は出来立ての肉まんのように湯気をあげる女将の腹の上にいた。蒸気して赤く染まった女将の首筋が目の前にある。女将の脚は僕を離すまいと両の足首を絡めている。女将は僕の首を抱え込み自分の首元へ引き寄せた。圧し付けられた女将の肌から酸い薫りがする。
僕の中で何かの回線が切れた。
抱え込まれていた顔を少しもちあげると、今度は僕がその首筋にかぶりついた。柔わかいヒレ肉のような肌に僕の歯が食い込む。さらに深く噛むと女将の生き血が口の中に滲み込んできた。
「アーーアーーオーーアーー!」
女将はジェイムズブラウンばりの大声を上げ痙攣した。
噛むのを止めず滲み出てくる女将の生き血を啜り続けた。生暖かい女将の生き血が口の中には拡がる。きっと今の僕の表情は産まれて初めて母の乳を吸う赤子みたいだろう。生き血が僕の全身の細胞を生き返らせる。
いつも父は言っていた。バンバイアは人の生き血を吸うと覚醒する。そしてその覚醒の感覚は血を吸った者でないと決して分からないと。しかしなにかが違う。細胞は生き返るようだが全身の倦怠感は残ったままだ。
――なぜなのだろう?
僕は寝落ちしそうな疲れの中で気が付いた。そうだ、きっと吸った血の量より搾り取られた精子の量の方が多かったに違いない。童貞のバンパイアより歴戦の女将の方が戦いは上手だった。
目を覚ますと、僕は依然女将の腕と脚に抱かれていた。そっとその腕と脚から逃れるようにして僕は台所へと向かった。女将は寝言のようになにか呟いていた。
「雪の降る日は山に行ったっきゃまいね(駄目)よ。氷っ娘に会うはんでね。むにゃむにゃー。氷っ娘に好がぃだっきゃ氷にされでまらぁ。むにゃむにゃー」
僕は生皮を剥いだばかりの熊のように横たわる女将をじっと見つめた。これが僕のはじめての人。感慨というよりは衝撃だった。
冷蔵庫の前に行き製氷室から一粒の氷を取り出した。そしてそれを口に放り込む。圧力をかけぐっと噛み締める。
――ガリーン。
氷が砕けその音が脳の中を響きわたる。世界が平面から立体化するように大きく変化し先程までの胸のつかえや自我が消えていく。透明な静寂感の中に氷の砕かれる音だけがする。どうやら女将の血よりも氷の方が僕の好みのようだ。
(3-1に続く……)




