第8話 『復讐の火種』
とある日。
買い物帰りのアルフ・カルヴァードは偶然にもエミリーを見つけた。
彼女は喫茶店のカフェテラスで優雅にお茶を嗜んでいた。
紫混じりの黒髪、黒いベール、漆黒のドレス──全身黒尽くめということもあり、昼下がりの一幕の役者としては少々浮いている。
「………………」
アルフは立ち止まり、エミリーの方と帰り道を交互に見つめて思案する。
そして、意を決したようにエミリーの元へと歩き始めた。
「あらアルフさん。ごきげんよう」
気配に気付いたエミリーが柔らかく声をかける。
アルフは身体が強張るのを感じた。額に汗が滲ませながらエミリーに対して深々と頭を下げた。
「先日は本当にごめんなさい!」
「アルフさん?」
「僕は自分の感情を優先してエミリーさんを傷つけました」
エミリーは立ち上がり、震えながら謝罪するアルフの肩に優しく手を置く。
「頭を上げてください、アルフさん。私は何も気にしていませんから」
「でも僕は……」
「自分の言動がどうしても許せないのですね。それ故に贖罪を求めている」
心の内に秘めていた想いを看破されたアルフは無言で頷く。
「それでしたらアルフさんの時間を少し私にください。今日は誰かとお話しながらお茶をしたいと思っていたので」
「いや、あの……はい。ご一緒します、させてください」
エミリーが引いた椅子にゆっくりと腰掛ける。
その流れで飲み物を注文。注文した物がテーブルに運ばれてくるまでの間、アルフはなんとか会話をしようとするが適当な話題が見つからず焦りが馴染む。
それを知ってから知らずかエミリーが話題を提供した。
「アルフさんは北区には行かれますか?」
「あんまりは行かないですね」
「北区にはいくつか学校があるんです。そのうちの一校の制服が大変素晴らしいのはご存知でしょうか?」
「え? せ、制服?」
想像の斜め上の話題にアルフは耳がおかしくなったのかと困惑する。
この人は何を言っているのだろう。
「はい。先日、買い物帰りにその学校の生徒に声をかけられたのです。その時、初めて制服を拝見したのですが、思わず見惚れてしまいました」
「は、はあ」
「もう一度見たいと思ったので学校を特定しました。登下校する生徒たちを眺めるのは至福のひと時でした。ですが、不審者扱いされてしまい学校には近寄れなくなりました」
「………………」
アルフは席に着いたことを後悔していた。
さっきから彼女が何を言ってるのか理解できない。
制服に反応するのは良しとして、その後の行動が奇妙過ぎる。
行動力が高い変な人ほど恐ろしい。
顔を引き攣らせているとエミリーが小さく笑う。
「冗談です。そこまで引かないでください」
「口調に変化がないから本当かと思いましたよ」
「生徒に話しかけられたのと制服が素晴らしかったのは事実です。機会があればぜひ一見して欲しいです」
「そうですね……」
エミリーは飲み物をひと口飲んでから思い出したように話し始める。
「北区と言えば、最近自殺者や行方不明者が増えているのはご存知ですか?」
「初めて知りました。なんか、僕の街で起こっていた事件と似てるな」
「そうなんですか? そういえばエリオットさんも似たようなことを言っていたような」
「あの人とは同じ国出身ですから。もうありませんけどね」
若干、俯いて吐き捨てるように言う。
再び顔を上げるとエミリーが顔を近づけていた。
脳裏にエミリーの素顔が過り悲鳴をあげそうになるのを必死に押さえる。
「アルフさんはどのような経緯でエリオットさんと知り合ったのですか?」
「え?」
「アルフさんは酒場に出入りするような年齢には見えませんので。どんな出会いだったのか少々気になります。無理強いはしませんので嫌でしたら別の話をしましょう」
「………………」
アルフは少し沈黙した後、ゆっくりと語り始める。
日常の崩壊から始まるエリオットとの邂逅を。
×××
「僕の家は一言で表すなら平凡です。
父は職人、母は治癒術師、そして少し歳の離れた妹。
裕福でもない、貧乏でもない。
毎日食べれて安心して眠れる場所があった。
家族と一緒に過ごす日々は楽しくて、僕は幸せ者だと常々思っていました。
その日のことはよく覚えています。
時刻は夜でした。
母に緊急招集がかかりました。そういうことはそれまで何度かあったので驚くことはありませんでした。
すぐに準備を整えて出発する母はとてとカッコ良かったです。
僕と父は母を見送るために外に出ました。
『いってきます』
『いってらっしゃい』
母は颯爽と現場に駆けた瞬間でした。
それは、動物の脚のように見えました。
虚空から振り下ろされた脚は母を踏み潰しました。
一瞬の出来事に僕と父はただただ立ち尽くしていました。
脚は初めから存在していなかったかのように消えて、残ったのは深々と抉れた道路と血溜まり。
血溜まりの中には肉塊や骨、母が愛用していた鞄が浮かんでいました。
直後、破壊音と悲鳴が街を覆い尽くしました。
父は僕より早く我に帰り、妹を守るために家の中に入って行きました。
次の瞬間、飛来してきた建物が家を押し潰しました。
僕は数十秒で家族を失いました。
あの日見た光景は一生忘れないです。
見たことない動物──後で知ったんですけど、召喚獣だったようです──がありとある方法で人を虐殺し、建物を破壊し尽くしていました。
家族を失ったことを悲しむ余裕もなく、僕は逃げました。
逃げて、逃げて、逃げて。
口の中が血の味でいっぱいになって、お腹が痛くなって、脚が重くなって。
それでも破壊の波からは逃げられませんでした。
それも当然のことでした。
なぜなら、この破壊と蹂躙は国全域で起こっていたんです。
逃げ場なんて初めからどこにもなかったんです。
僕は逃げることを諦めて破壊されていく街をぼんやりと歩いていました。
気付くと朝になり、耳に入ってくる轟音や断末魔は途絶えていました。
悪夢と絶望の一夜は終わり、国は滅びました」
アルフは一気に飲み物を喉に流し込んで続ける。
「意識を失い、次に目を覚ました時に僕が居たのは聖堂でした。
比較的損害が少なかった聖堂は避難所として利用されていたんです。
絶望する人、両親と引き離されて泣き叫ぶ子ども、怪我を負って苦しむ人──色んな人がいたけど、誰も何が起こったかは理解していませんでした。
僕は治療の手伝いを申し出ました。
母から応急処置のやり方を教わっていたので少しでも役に立てれば……というのは建前で、本当は現実を見ないために眼前のことに集中したかっただけです。
あと、友達が避難していないかも知りたかったんです。どこにも姿が見えなかったんで多分死んでしまったんだと思います。
手伝いは僕以外にも何人か居ました。
その内の一人がエリオットさんです。
あちこち傷だらけで、衣服も汚れていたけど、溢れる品の良さと威厳で貴族以上の人間というのはすぐに分かりました。
エリオットさんは僕を気にかけてくれました。
聖堂での避難生活もそれなりに経った時、エリオットさんが出ていくといいました。
僕は説得しました。
ごめんなさい、嘘です。
『ここにいる人たちを見捨ててどこへ行くんだ!』
感情任せの酷い言葉を吐きました。
あまりにしつこい僕に観念したエリオットさんは真実を教えてくれました。
彼は国の政に関わっていたんです。
『国は勢力拡大のために魔女の力を使おうとした。その結果が現状だ』
『俺は責任を取る義務がある。この身を懸けて魔女を滅ぼす』
エリオットさんはたった一人で魔女に挑む気でした。
あまりにも無謀な戦い。
でも、僕は心のどこかで期待をしていました。
彼なら魔女を殺せるのでは、と。
僕は必死に頼み込んでエリオットさんの魔女殺しの旅に同行しました。
そして、今に至ります」
×××
「嘘、ですね」
アルフの話を聞き終えたエミリーは呟く。
黒いベールの奥から薄らと見える黄色い瞳が怪しく輝く。
アルフの背筋が凍える。この嫌な感覚を消し去るために語気を強めて反論する。
「嘘って……嘘なんか言ってません!」
「嘘は一番最後。エリオットさんに同行した理由です」
「────っ」
「本当の理由は復讐。違いますか?」
アルフはこの席に着いたことを改めて後悔していた。
エリオットから真実を聞き、今日に至るまで誰にも悟られなかった真の目的をあっさりと看破されるとは思ってもみなかった。
「なぜそう思うんですか?」
「アルフさんからご家族を奪ったのは魔女です。しかし、魔女は例えるなら魔術によって発生した現象です。魔術を行使した者こそが元凶。つまり、アルフさんは復讐対象が複数いるということになります」
「………………」
「私は当事者ではないので間違っていたら大変申し訳ないのですが、魔女への憎しみは希薄なのではないかと思います。魔女の凶行は身をもって経験しましたが魔女そのものは目撃していない。謂わば虚像です」
「それは……」
「対してエリオットさんは元凶の一人──目の前に実像として確かに存在している。未知の権能を使う魔女より、人間のエリオットさんの方がよっぽど復讐しやすい。私がアルフさんの立場なら虚像よりも実像を確実に狙います」
エミリーはアルフの太腿に指を這わせる。
アルフは息が止まりそうになった。
彼女の指が触れているのは常に持ち歩いている折りたたみナイフだ。
「つらつらと述べましたが、やはり一番の決め手はこれです。気付いているかは分かりませんが、エリオットさんを見ている時、いつも握りしめていますよ」
思考を完全に読まれて、無意識の行動すら指摘されてアルフの顔は羞恥と自己嫌悪に歪む。
溢れる嫌な感情を怒りに変えてエミリーを睨みつける。
「なんですか? エリオットさんに報告でもします? 他の人たちに言いふらすんですか? そもそも貴女に気付かれている時点で全員に気付かれている可能性があるってことで……僕は泳がされているんですか? 取るに足らないから放置されているんですか?」
エミリーは飲み物を味わいながら、途中から自分の世界に入り込むアルフに言う。
「誰も気付いてませんよ。皆さん、自分のことで手一杯ですから。最初の質問に対しての問いですが報告はしません。する理由がありません」
「なぜですか?」
エミリーは薄っすらと微笑む。
「エリオットさんが仰っていたではありませんか。──『各々の思う復讐を遂げればいい』と」
「──────」
「なのでアルフさんは、アルフさんの復讐に尽力していいんです。他者の視線など気にしなくていいんです。他者の意見など無視していいんです。自分の最も芯にある願望に身を委ねればよいのです」
「でも……でも……」
すると、エミリーはハッとして頭を下げる。
「申し訳ありません。これでは唆してしまっていますね」
「確かに唆して煽っています。まるで僕にエリオットさんを殺させたいみたいです」
悪意のこもった言葉を吐いてしまったことをすぐに後悔するアルフ。
思考より感情が先行してしまう悪い癖だ。
「そのようなつもりはありませんが、少しアルフさんに肩入れしてしまったのは事実です」
「どういうことですか?」
エミリーはバッグから手帳を取り出す。
「この手帳には以前お話したように魔女についての情報が記されています。その中にアルフさんの国と思われる話があります。魔女が国を襲った理由も書かれています」
「────っ!」
「エリオットさんはアルフさんに重要なことを隠しています」
「隠し事ってなんですか?」
前のめりになるアルフ。
凄まじい食いつきにエミリーは少し困ったように頬に手を添える。
「これをお伝えしたら本当に唆すことになってしまいます」
「そこまで言って教えないなんて無しですよ。あまりにも酷な話です。どうして国が滅びたのか、元国民として真実を知る権利があります。……教えてください」
「分かりました。少しお耳を拝借──」
エミリーはアルフの耳元で語り始めた。
魔女と王政の間で起こっていたことを。
エリオットの隠し事を。
国が滅んだ真実を。
×××
エミリーと別れたアルフは覚束ない足取りで街を歩いていた。
周りの音が聞こえない。
周りの色が霞んで見える。
手脚がやたらと冷たい。
それなのに身体の奥底から沸き立つドス黒い感情は悍ましいほどに熱い。
「そんな……そんな下らない理由で僕の家族は死んだのか?」
あまりにも苦しくて、アルフは跪いて胸を押さえる。
その様子を好奇の目で見ながら声は一切かけない人々が次々と通り過ぎていく。
エミリーから聞いた話が頭の中を延々と繰り返されている。
それが真実かどうかは証明できない。
わざわざ嘘を吐く理由はない……はずだ。
しかし、真偽はどうでもいい。
「……殺してやる。絶対に殺してやる」
アルフはその瞬間を待つ。
憎悪に魂を焼かれ続けながら。
×××
エリオットの店。
エリオットはテーブルに座り、手に持っていた便箋の内容を読んでから、大きく息を吐いて天井を見上げる。
かれこれ何回も同じことを繰り返している。
「さて、どうしたものか」
もう一度、便箋の差出人を確認する。
「──『天啓の魔女』か」
それは、魔女からの招待状だった。