表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/18

第7話 『破壊された尊厳』


 最後の一人が腹の上で死んだ。

 マクシーンは一糸纏わぬ姿で大の字になり、虚ろな瞳で天井を見つめていた。

 何日も飲まず食わずの肉体は衰弱し、脳内麻薬の過剰分泌と睡眠不足で脳は深刻な機能低下に陥っていた。


「………………」


 感覚が無くなりかけている左腕に微かだが違和感を感じ、眼球だけを動かす。

 自ら食いちぎった部分は化膿して蛆虫が湧いていた。


 天井に視線を戻す。

 涙が滲み、血が流れるほど唇を噛み締める。

 右手を強く握りしめて頭部を何度も何度も殴り始めた。


「クソッ! クソッ! クソクソクソクソクソクソクソクソ! 死ね! 死ね! 死んでしまえ! あ゛あ゛あ゛ああああぁぁぁぁ──────っ!!!」


 マクシーンは身体が焼け焦げるほどの激しい自己嫌悪に襲われていた。

 複数の死体と同じ空間に横たわり、白濁に汚れているのは自らの選択が生み出した結果だ。


 別の選択肢もあった。

 意図的か、偶然かは不明だが魔女が作った選択肢。

 それを選べば魔女の支配から逃げることができた。


 魔女に本能を操られていたとしても、最終的な決定権はマクシーンにあった。

 そして、マクシーンは自分の意思でここに残った。

 

「……気持ち悪い」


 ハンカチで鼻と口を覆うルクスリアが呟く。

 嫌悪感を剥き出しにした美貌、汚物を見るような藍色の瞳。


 いま最も殺したい人間の声を聞いて、マクシーンは身体を強引に動かしてルクスリアの元へ這いずる。


「ルクスリアァァァ────ッ!!!」

「イヤッ! 来ないで汚らしい!」


 ルクスリアの言い放った一言はマクシーンの心を深く抉った。

 滂沱の涙を流しながら、右手で地面の砂を掻きむしる。


「お前が……お前が!!! お前が私を穢したんだ!!! お前がぁぁぁ…………」


 ルクスリアは何度か咳き込んだのちに冷たい口調で反論する。


「責任転嫁って言葉知ってる? ワタシは無理強いはしてない。マクシーンちゃんがしたくてしたんでしょ?」

「お前が脳味噌を弄ったから……」

「またワタシのせいにして。ちょっと刺激しただけで理性を無くしちゃうマクシーンちゃんがおかしいだけ。色情魔なんじゃないの?」

「ルクスリアァァァァァァ────ッ!!!」


 マクシーンの激昂にルクスリアは驚いて頭を抱えて勢いよくしゃがむ。

 藍色の瞳には涙が薄らと浮かんでいた。


「どうして怒鳴るの!? ワタシはマクシーンちゃんのこと心配だったから来たのに!」

「あ?」

「ちょっと早く来て!」


 ルクスリアが誰かに声をかける。

 駆け足でやって来たのは少年──ジェレミーだった。

 見知った者の登場にマクシーンは驚愕し、羞恥に押しつぶされそうになる。


「ごめんなさい、魔女様。何すればいいの?」

「マクシーンちゃんをこっちまで連れてきて」


 指示を出してルクスリアは家の中に入っていく。

 ジェレミーは倉庫の中に入って、マクシーンを視界に捉えて困惑する。


「おねえさん、なんで裸なの? それにこの変な臭いなに?」

「聞かないでくれ……」

「その腕……虫! 虫いっぱい付いてる! 早く何とかしないと」


 マクシーンはジェレミーの助けを借りて、おぼつかない足取りで倉庫の外へと出る。

 久方ぶりの空は茜色に染まっていた。


 不自然に設置されている椅子にマクシーンを座らせ、左腕は椅子の隣にある台に乗せる。


 丁度、ルクスリアが家から出てきた。

 その両手は斧によって塞がれている。


「ジェレミー君はマクシーンちゃんと知り合いなんでしょ?」

「う、うん。おねえさんに井戸使わせてあげた」


 ルクスリアは斧をジェレミーに手渡す。

 不思議がるジェレミー。

 マクシーンは悪寒に震える。


「マクシーンちゃんの腕見たでしょ。蛆虫が湧くほど酷い状態。このままだと毒素が全身に回って最悪死んじゃうかも」

「そんなのダメだよ!」

「そう。じゃあ、ジェレミー君が助けてあげて」

「え?」


 柔らかな笑みを浮かべるルクスリアは紛うことなく魔女だ。

 悪辣な遊び。

 邪悪な悪戯心。

 彼女はマクシーンという玩具を使って、子どもに癒えることのない罪悪感を刻もうとしているのだ。


「──────」


 マクシーンは左腕をすでに諦めている。

 放っておいても腐るだけだ。

 左腕を失う代わりに魔女の命を奪う。


 まともに回転しない脳を無理矢理動かして、術式を構築しつつ魔力を練り上げる。

 この隙だらけの魔女が最も隙を見せる瞬間を待つ。


「……切り落とすなんてできないよ」


「自分の手を汚すのが嫌だからマクシーンちゃんを見殺しにするの? そのことをお父さんとお母さんが知ったらどうなると思う? ジェレミー君のこと嫌いになって捨てちゃうかも。それで新しい子どもを作って幸せに暮らすの。君のことは頭から綺麗に消して」


「────っ」


 ジェレミーは想像してしまう。魔女の声色は、言葉はどんなに拒絶しても魂に響き蝕んでいく。

 ありもしない現実を恐れ、思考は限界まで狭くなる。


「すてられたくない! おねえさんのうでを切り落とせばお父さんとお母さんはおれをすてないよね!?」


 ジェレミーは斧を強く握りしめて、左腕が置かれている台の前に立つ。

 ルクスリアはジェレミーの顔を優しく撫でながら耳元で囁く。


「もちろん。マクシーンちゃんを助けたら、きっとお父さんお母さんは褒めてくれる。凄いね、偉いねって」


 瞬間、ジェレミーの顔から迷いや不安が抜け落ちる。

 代わりに浮かび上がるのは理性を失った笑顔だ。


「ほめてくれる! ほめてくれる! すてられない! すてられないんだ!」


 ジェレミーが大きく斧を振り上げる。

 そして、迷いなく振り下ろす。

 鈍い音が響き、次いで苦悶の悲鳴が漏れる。

 斧は左腕を完全に切断することは叶わず、肉と骨が損傷して鮮血が噴き出す。


「切れろ! 切れろ! 切れろ! 切れろ切れろ切れろ切れろ切れろ切れろ!!!」


 何度も何度も叫びながらジェレミーは斧を左腕に叩きつけ続けた。

 鮮血が飛び散り、蛆虫が舞う。

 一撃ごとにマクシーンは意識が飛びそうになるが、熱を帯びた痛みは強制的に意識を覚醒させる。

 絶え間なく続いた激痛に脳が、肉体が痙攣する。眼は焦点があっておらず、半開きになった口からは涎が垂れ流しになっている。


 やがて一番の鈍い音が茜色の空に轟く。

 台の上に肉体から切り離された左腕が転がる。

 切り口は決して綺麗ではなく、筋肉繊維、骨、神経がめちゃくちゃに飛び出していた。


「やった……やったやった! やったよ、魔女様! これでほめてくれるかな!」


 返り血で真っ赤に染まり、肩で息しながらジェレミーは達成感に満ちた表情をルクスリアに向けた。


「手当てもちゃんとできたら、ワタシが君の両親に『ジェレミー君はとても偉いことをしたからいっぱい褒めてあげて』って言ってあげる」

「うん! 手当てがんばる!」

「じゃあ、救急箱取りに行こう」


 ルクスリアはジェレミーと共に家の方へと向かう。

 魔女の意識からマクシーンは完全に消えていた。


 ──好機。


 何度も途切れかけそうになった意識を魔女への殺意だけで繋ぎとめていた。

 椅子から必死の思いで立ち上がり、ふらつく脚で地面を捉える。

 震えながら右手を魔女の背中に向けた。


 そして、魔術を行使する。

 魔女を殺す──たった一つの純粋な感情から生み出された業火は後にも先にも二度と再現できないであろう洗練された魔術だった。

 マクシーンの人生における最高で最大火力を叩き出した会心の一撃。


 魔女を屠らんと業火が舞い狂う。


「──魔女様っ」


 業火が魔女を飲み込む瞬間、ジェレミーが危機をいち早く察知して己が身を盾にした。

 今のジェレミーにとっての欲求は『両親に褒められる』こと。

 それを満たすためにはルクスリアが必要だった。

 己の命よりも欲求を優先した果ての行動。


「きゃあぁぁぁぁぁぁ────っ!!?」


 ルクスリアは振り向き、火だるまになったジェレミーを目視して悲鳴をあげる。

 膝から崩れ落ちて地面を這うように後ずさる。


 轟々と燃えるジェレミー。

 覚束ない足取りで向かうのは呆然と立ち尽くすマクシーンの元だ。


「おねえ、さん……な、ん……で」


 ジェレミーは右脚に抱きつく。

 マクシーンは耐え切れずに倒れる。業火に包まれ、焼き爛れていくジェレミーと目が合い息が止まる。

 自分の右脚が燃えていく。耐え難い熱と痛みが襲ってくるがジェレミーを振り払うことはできない。


「ちが……わ、わたしは……あ、あぁ……あああああああああああ…………っ!!!」


 マクシーンの精神は破綻した。



×××



 気付くとマクシーンの目の前には黒い塊があった。

 それの下敷きになっている右脚は炭化してしまい、感覚がなくなっていた。


「信じられない。どっちが魔女?」


 ルクスリアは軽蔑の感情に美貌を歪ませる。

 彼女を見上げるマクシーンは唇を震わせながら、大粒な涙を流しながら懇願する。


「殺して……殺してください」


 ルクスリアはゆっくりとしゃがんでマクシーンと同じ目線にする。

 恍惚混じりの艶然を浮かべて、


「どうしてワタシがマクシーンちゃんを殺さなきゃいけないの?」


「…………………………ぇ」


「ワタシは他人の尊厳を蔑ろにすることがどれほど酷いことか身を持って知って反省して欲しいだけ。殺すなんてとんでもない。それじゃ反省できなくなっちゃう」


「………………………………………は?」


 ルクスリアはマクシーンの頭に両手を優しく添える。

 直接流し込まれる力に脳髄が愛撫される。


「あ゛っ、あ゛あ゛っ、あ゛あ゛あ゛」

「だから、自殺で罪から逃れるなんて絶対に許さない。寿命を全うするその瞬間まで自分の犯した罪を懺悔して」


 噴き出す脳内麻薬による快楽の深淵で脳髄が造り替えられていくのを確かに感じた。

 自死の拒絶という呪いを刻んだ力は霧散する。

 だが、マクシーンは無意識に力の残滓を感知してしまう。

 潜在意識に刻まれた魔女との縁を象徴する『それ』と残滓を結びつけて勝手に創り出してしまった。


「む、虫が! 蛆虫が頭の中に!!」

「なに言ってるの?」


 ルクスリアは発狂しているマクシーンの耳元で心底愉しそうに囁いた。


「壊れるのはまだ早いでしょ? これからもっともっと遊ぶんだから。── 玩具(マクシーン)ちゃん」



×××



 それからマクシーンは拷問を受け続けた。

 分かったことは、マクシーンと同じような境遇の人間は町中に無数にいるということ。

 表面的には何の変哲もない町。

 だが、ひとたび裏を覗けば魔女の快楽のためだけに尊厳を奪われ続ける玩具たちが転がっている。


 町の人間は決して裏を覗き込まない。

 不用意な干渉は身の破滅を意味する。

 だから、玩具になった者たちに同情はするが手を差し伸べることはない。

 皆、他者より自分の命が大切なのだから。


 本音を言えば絶対に関わりたくないが、魔女は当たり前のように姿を見せる。

 買い物をする。物を売りに来る。喫茶店で休憩する。──彼女の平凡な行動は他者からすれば災害でしかない。

 町の人間は魔女に好意も敵意も向けない。

 必要以上の感情を向けた瞬間に魔女の玩具に早変わりだから。


 魔女は確かに町を支配していた。

 能動的ではなく、受動的に。



×××



 さらに月日が経ったある日、マクシーンは町の入り口まで連れてこられた。


 青い髪は殆ど白くなり、若々しかった容姿は見る影もなく老いていた。

 左腕、右脚を失い、正気を保っていられる時間は限られてもなおルクスリアへの殺意は以前として燃え盛っていた。


 ルクスリアは手に持っていた松葉杖をマクシーンに渡す。


「なんの真似?」

「支えなしで歩くの大変だと思ったから。ワタシからの餞別(せんべつ)

「あ?」

「マクシーンちゃんずっと殺そうとしてくるから嫌になったの」


 それは開放を意味した。

 永遠に続くかと思われた地獄の日々からの開放は信じられないくらいに呆気なかった。


 理解が追いつかずに呆然としているとルクスリアはひらひらと手を振った。

 別れ際の友達に挨拶するくらい軽い口振りで言う。


「ばいばい、 玩具(マクシーン)ちゃん」


 ルクスリアは背中を向けて町中へと歩いていく。

 目を奪われる猫背がちな歩き姿、背中からも溢れる魔性。


 消えていく魔女をただただ見つめるマクシーンの頬を一筋の涙が伝った。



×××



 開店前のエリオットの店。

 マクシーンはエミリーに過去を語り聞かせていた。


「──別の町で長い療養生活を送った後、わたしは再び魔女のいる町へ向かった。無謀としか言いようがないね。でも、止まることはできなかった」


 マクシーンは過去の行動を口にして苦笑する。


「魔女と再び戦ったのですか?」

「いいや、ルクスリアは町を去っていたよ。町人を一人残らず廃人にしてね」

「そうですか」


 エミリーの反応には過剰な共感も同情も入ってこない。内容を把握していることを伝える頷きとおうむ返しがあるくらい。

 だからなのか、マクシーンは恥辱に塗れた過去を自然に語っていた。


「わたしは魔女を追い続けた。追い続けていないとわたしは正気を保てないんだ。魔女への憎悪のみがわたしをマクシーン・バーンズとして成立させているんだ」


 マクシーンは松葉杖を強く握りしめて、悔しそうに呟く。


「わたしはルクスリアに生かされているんだ」


 エミリーはマクシーンの手を優しく握る。


「私には貴女の痛みや苦しみを全て理解することはできません。ですが、貴女の目的を達成するお手伝いはできます」


 マクシーンはくすりと笑い、エミリーの肩に右腕を回す。


「頼りにしてるよ、エミリー! あと、色々と迷惑かけると思うから先に謝っておくよ」

「それはお互い様です」


 この瞬間だけ、脳髄の疼きは治っていた。




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ