第6話 『玩具遊び』
マクシーンは一歩も動けずに砂の上に横たわっていた。
眼球を動かして辺りを確認する。
至って普通の木造倉庫だ。
建ててから年数が経っているようで天井が破損し、亀裂から光が差し込んでくる。
隅にある樽の中にいくつもの木材が収納されており、壁にはノコギリや鎌が立てかけられてある。
入口の側にはよく使うであろう農機具と肥料が積まれている。
「ゔぅ……」
単なる世間話だったつもりが、魔女の逆鱗に触れてしまい異常な飢餓感を植え付けられて監禁されている。
数時間前の自分に今の状況を説明しても信じることはないだろう。
マクシーンは嵐のように渦巻く食への渇望を、全身に走る痛みを必死に抑えながら、ここから抜け出す方法を思考する。
最優先で対処しなければならないのは当然この飢餓感だ。絶望的なのは対処のしようがないことだ。
そもそも何をされたのか理解できていない。
魔術の可能性は限りなく低いだろう。
魔術を行使する際には必ず予兆がある。様々な予兆があるが、一般的には魔力の揺らぎなどが分かりやすい。
しかし、ルクスリアには魔術行使の予兆が一切なかった。
いつどの時点で飢餓感を植え付けられたのか全く分からない。
そもそも、人間の本能に干渉する魔術なぞ聞いたことがない。
残る可能性は魔女の力だ。
詳細は不明だが人間が積み上げてきた叡智とは乖離した埒外の力。
それをなんの躊躇いもなく行使できる精神性──。
「これが……魔女って、こと」
呟くマクシーンは無意識に舌を砂につけようとする。
自分のしようとしていることに寸前で気付き、顔を強引に上げる。
それから上体を起こして柱に寄りかかる。
マクシーンを苦しめる要因は一つではない。
密閉された空間を包み込む熱気。
ジッとしているだけでも汗が吹き出してくる。
異常な飢餓感と暑さの二重の苦痛が肉体と精神を蝕んでいく。
×××
数時間後。
マクシーンは滝のような汗を流しながら這いずり回っていた。
暑さを忘れてしまう飢餓感に我慢できずに、少しでも食べれそうな物は片っ端から貪った。
木材の柱、砂、肥料などなど。
どれも口に入れた瞬間、吐き出してしまった。
吐き出してすぐに我に帰り、自分の行いを惨めに感じて奥歯を噛み締める。
しかし、そんな感情は数分もしないうちに飢餓感に塗りつぶされてしまう。
ずっと、この繰り返しだ。
すると、倉庫の扉が開いた。
揺らめく景色の中から現れたのはルクスリアだ。その両手には水の入った桶を持っていた。
「みっ、みず!!」
ルクスリアの怒りや憎悪よりも水にありつける感動の方が大きかった。
桶が地面に置かれると同時にマクシーンは汗を撒き散らしながら這い寄る。
絶対に逃さないと言わんばかりに桶の縁を掴んで、大きく舌を伸ばして水を飲む。
「そんなに飲みたかったんだ。ならもっと飲ませてあげる」
ルクスリアは両手でマクシーンの髪を掴み思い切り水へと押し込む。
突如、水の中に顔面を沈められたマクシーンは呼吸ができずもがき苦しむ。
数十秒後、ルクスリアはマクシーンを水中から引き上げる。
求めていた酸素を大きく吸い込み、鼻や口の中に入った水を咳き込みながら吐き出す。
そして、また水の中に沈められる。
水責めの拷問をするルクスリアは頬を赤らめ、心底楽しそうな声で言う。
「ほらほら、いっぱい飲ませてあげる。こんなに暑い中にいたから欲しかったでしょ?」
「あ゛っ、がっ!」
「苦しい? 息ができない? 貴族に嫁ぐのってことは精神的な息苦しさを永遠に感じながら生活するのと同じなの。少しでもワタシのことを尊重してるなら絶対に勧めないことをマクシーンちゃんは平然と勧めてきた」
「がっ、ぐ、あ゛っ」
「痛みを知らないから、理解してないから無責任に人を傷付けることが言えるの。自分の今までの幸福と無知をしっかり反省して」
拷問はルクスリアが「手がふやけちゃった」と萎えるまで続いた。
マクシーンは全身水浸しになりながら拷問の余韻と水っ腹になっても襲う飢餓感に体力と神経を著しく消耗していた。
「また後で遊びにくるから」
満足したようにふやけた手を振って倉庫を後にするルクスリアを、マクシーンは血走った眼で見送ることしかできなかった。
×××
放置と拷問は数日に渡って続けられた。
日にち感覚はとうに失われた。
付け加えるならマクシーンは一睡もできていない。
魔女の力によって睡眠を禁じられており、どんなに眠気に苛まれたとしても眠ることが叶わない。
それはつまり飢餓感から一秒たりとも逃れられないということだ。
偽りの飢餓感、本物の空腹、不眠──マクシーンの精神は限界にきていた。
「ゔーっ、ゔーっ……」
マクシーンは自分の左腕を噛んでいる。
発狂しかける己を律するために痛みを常に与えている、と自覚しているが真実は異なる。
強く噛み締めているせいで血が溢れ、肉は裂けている。その肉体の破損部分を彼女は無意識のうちに捕食していた。
自分で自分を食べる。──精神はとうの昔に破綻していた。
扉が開かれる。
その音にマクシーンは激しく動揺する。脳内によぎる拷問の苦痛が身体を硬直させる。
今回はルクスリア一人ではなかった。
彼女の周りには全裸の男が数人いた。その誰もが理性を失ったように目を血走らせ、ある一部を膨張させていた。
「マクシーンちゃん、次は気持ち良い……らしい遊びだから」
藍色の瞳に射抜かれた瞬間、ずっと苦しめられていた飢餓感が嘘のように消失した。
飢餓感からの解放は理性を少しだけ回復させた。
だが、回復した理性は次の地獄を鮮明にさせてしまった。
「ここにいる肉人形は死ぬ瞬間まで性を吐き出すためだけの存在。それ以外の理性は全部欠落させた。凄いでしょ? 結構造るの大変だったの」
「やめて……やめろ、ルクスリア」
「妊娠は安心して。絶対にしないように調整したから。望まない妊娠なんて誰も幸せにならない。そういうのは嫌だから」
「お願いします……やめて、ください。やめてください」
懇願するマクシーンに魔女は頬を赤めて心底愉しそうに言う。
「もちろん無理矢理なんてしない。選ぶのはマクシーンちゃんだから」
突如、マクシーンの身体に変化が起こる。
飢餓感に変わって襲ってきた新たな欲求。
子孫を残せと本能が激しく訴えてくる。
魔女により欲求の蹂躙。
マクシーンは本能を塗りつぶす勢いで殺意を撒き散らす。
「クソッ! 魔女が! 殺す! 絶対に殺す!」
「なんでそういうこと言うの? 先に酷いこと言ったのはマクシーンちゃんなのに」
「黙れ! 異常者が!」
「もう知らない!」
ルクスリアは肉人形を倉庫内に置いて出ていってしまう。
マクシーンは身体が熱くなるのを感じながら魔女への憎悪を膨らませる。
今すぐにでも殺してやりたい。
渦巻く憎悪と殺意の中で、とあることに気付く。
「──鍵かけたか?」
半泣きで出ていった魔女は倉庫の鍵をかけ忘れていた。
千載一遇の機会がここにある。
動けなくなるほどの飢餓感はなくなり、肉が抉れた左腕の痛みが先ほどより鮮明に感じる。
疲労、精神的消耗は酷いが動ける。
逃げ出すことができる。
だが、マクシーンの本能は理性を失った男たちに惹かれている。
「わたしは……わたしは……」
そして、マクシーンは決断する。