第4話 『接触』
マクシーンはこの町に滞在して魔女と接触することに決めた。
本音を言うなら、魔女が支配する町など一刻も早く出ていきたい。
精神や思考を調整された子どものことは不憫に思うが、命を懸けてまで助けたいとまでは考えられない。
自分の命が一番大事だ。
しかし、路銀がないのだ。
最低限の旅費を稼いでからでないと痛い目を見る。
実際、痛い目は何度も見ている。
魔女と接触する理由は二つある。
こちらに敵意がないことを示し、町での活動許可を貰う。
こそこそ動いて見つかった時、妙な疑いをかけられたとして釈明は厳しいだろう。疑わしきは罰するの精神だったら終わりだ。
それなら堂々と会った方が疑惑は生まれにくく誠実さも伝わるはずだ。
もう一つの理由は単純に魔女を見てみたいからだ。
話ではいくらでも聞く魔女だが実際に遭遇するものは多くない。
故にマクシーンは興味があった。
魔女はどんな見た目をして、どんな声をしていて、どんな視点で世界をみているのか。
「おーい、おねえさん!」
井戸の近くにある石に座り、思考を巡らせていたマクシーンはこちらに向かって走ってくる子どもの声に反応して顔をあげた。
「魔女様会ってくれるって!」
「本当かい?」
子どもの報告に驚きを隠せない。
彼が魔女との約束を取り付けると行って町の中心部へ走って行ったのは三十分ほど前のことだ。
そんな簡単に事が進むのか疑念を持ってしまう。
「うん! ここで待ってるって!」
子どもが渡してきたのは簡易的な地図だ。
印のあるところが集合場所らしい。
罠の可能性も十分にあるが……。
「助かったよ。えっと……そういえば名前聞いてなかったね。お前さんの名前は?」
「ジェイミーだよ」
「色々とありがとうね、ジェイミー」
マクシーンは子ども──ジェイミーに礼を行ってから魔女の元へと向かった。
×××
魔女が集合場所に指定したのは町の中にある喫茶店だった。
まさかすぎる場所にマクシーンは気が抜けてしまう。
「友達との待ち合わせじゃないんだよ」
マクシーンは気合いを入れ直す。
想定していた展開とは違うが、これから会うのは魔女──常識から逸脱した異常存在であることには違いない。
これといった実力も功績も持ち合わせていない凡庸な魔術師が腑抜けていたらあっという間に飲み込まれてしまう。
喫茶店の扉を開けて店内へ。
その勢いは戦いに行く者だった。
「いらっしゃいませ」
朗らかな声色の店員と顔が合って入れた気合いが抜けかける。
平穏な昼下がりとマクシーンの精神状態の温度差が激しすぎる。
店員はマクシーンを見上げ、青色の髪に気が付いて慌てて案内を始める。
「待ち合わせのお客様ですね。魔女様は一番奥の席にいます」
「あ、うん。ありがとう」
一歩、また一歩と指定された席へと向かう。
重力が数十倍になったと錯覚するくらいに足が重い。水の中に居るような息苦しさ。極度の緊張で呼吸が浅くなっている。
実際は数十秒、体感時間は数時間の長い移動の果てに目的の席に辿り着く。
「──────」
そこに居た人物に目を奪われた。
日の出前の澄んだ空を切り取ったような藍色の髪を持つ女性だ。
その果てしない美貌は黄金比に整い、老若男女問わず虜にしてしまうだろう。
しかし、その表情に自信というものは皆無で怯えと羞恥の色が濃い。
完成された肢体をあえて隠すような服装を着ている。
想像していた魔女とは何もかも異なっていた。
おどろおどろしく邪悪な気配を撒き散らしている陰湿な老婆が現れる、と勝手に思っていたマクシーンは再び気が抜けてしまう。
マクシーンは深呼吸をしてから魔女と呼ばれる女性に話しかける。
「お前さんが魔女かい?」
女性は藍色の瞳をマクシーンに向けるが、すぐに手に持っていたカップに向ける。
何かに怯えているような声色で問いに答える。
「周りがそう言っているだけ。別にワタシは魔女を自称したことない」
「そうなのかい? その割には敬われているようだけど」
「ワタシは何もしていないのに周りが勝手に怖がって顔色を伺っているだけ」
「怖がられるには理由はあるんじゃないかい」
反射的に言ってしまい、マクシーンは慌てて口を抑える。
しかし、発した言葉は二度と戻らない。
責任転嫁をするならば彼女が魔女としての威厳や雰囲気を持ち合わせていないのが悪い。
どんな反応が返ってくるのか恐れていると、魔女は瞳に涙を溜めながら身体を震わせているだけだった。
「ワタシ、本当に何もしてない。ただ静かに暮らしたいだけなのにみんなが虐めてくる。だからちょっと反抗したら怖い怖いって。みんなの方がよっぽど怖い」
とにかく調子が狂う。
目の前にいる人見知りの美女が魔女とはどうしても思えない。
想像していた魔女像との乖離が激しすぎる。
圧倒的な美貌に嫉妬した周りが揶揄して魔女と言っているのではないか、とマクシーンは訝しむ。
「責めるつもりはなかったんだ。悪かったよ」
「ぐすっ……うん。……座ったら?」
「じゃあ、お言葉に甘えて」
マクシーンは対面側の椅子に座る。
店員が持ってきた水を一気に飲んで気持ちを切り替えて話を進める。
「まだ名乗ってなかったね。わたしはマクシーン・バーンズ」
「ルクスリア・ジャスミン」
「よろしくルクスリア」
それからマクシーンは路銀稼ぎのことを話し始める。
話している間、ルクスリアは一瞬たりともマクシーンの方を見ない。俯いていたり、コップの中身を眺めていたり、皿の上に残っているナッツを指で弾いたりしていた。
だが、ちゃんと話は聞いていたようで話終えると一言。
「好きにして」
「本当かい! 助かるよ」
「ワタシにお礼を言われても……ねぇ、困りごとならなんでもいいの?」
ここにきて初めてルクスリアからの質問が飛んでくる。
「わたしにできることならなんでも」
「じゃあ、ワタシの頼み聞いて」
まさかの魔女からの依頼にマクシーンは驚くが、表情には出さないように努力する。
「もちろん構わないよ。因みにどんな頼みだい?」
「家の片付けと庭の整理」
平凡極まりない依頼にマクシーンの気が三度抜けてしまうのであった。
×××
魔女と呼ばれていた女性──ルクスリア・ジャスミンとの接触を穏便に終えることができたことに、マクシーンは胸を撫で下ろす。
町での活動に対する不安要素も無くなり、安堵すると同時に疲労が一気に溢れてきた。
「今日はよくやった。前金貰ったし贅沢するか」
自分を労わりながらマクシーンは食事処で早めの夕食を食べ、宿で部屋を借りて、公衆浴場で汚れと疲れを洗い流す。
帰りに酒屋で酒を何本か購入して宿へと戻る。
窓際に膝を立てながら腰掛け、酒を片手に夕陽で赤く染まる町並みを眺めていた。
「ルクスリア・ジャスミン」
脳裏に鮮明に残る美貌。
今まで出会ってきた人間の中で最も美しいと断言できる。
常に何かに怯え、一挙手一投足恥じらう姿は異様に庇護欲を掻き立てる。
時間にして一時間にも満たない接触だったが、脳髄は常に彼女のことを考えている。
「あれは魔女というよりは傾国の美女だね」
各地を巡っていれば危険なことに巻き込まれることも多々ある。
危険人物というのは独特の気配があり、長年の経験で感じることができる。
ルクスリアには危険な気配を感じなかった。
だからこそ腑に落ちない。
ジェイミーの発言──魔女の恐怖と支配を証明する証言は確かにある。
「魔女は別にいる? ルクスリアは影武者? そうだとしたら人選としては酷いね」
色々考えてみたが満足できる結論は浮かばなかった。
路銀を稼いだらすぐに去る町のことだ。
真実が分からなくても関係ない。
マクシーンは少し温くなってしまった酒を一気に流し込み、ベッドに飛び込み眠りについた。
ここが分岐点だった。
依頼を反故にして貰った前金を握りしめて町を出て行っていれば、今まで通りの人生を歩めた。
しかし、魔女と関わる選択をしてしまった。
その選択がどのような結末を迎えるか、今の彼女は知る由もない。