第2話 『自己開示』
私の父は研究熱心な魔術師でした。
寝食を忘れ、伴侶──私の母──には逃げられてしまうほどに研究に打ち込んでいました。
もちろん、私のことなど眼中にありませんでした。
最低限の親としての義務をこなす程度。親子らしい交流は全くありませんでした。
血の繋がった他人と同居している、そんな感じでした。
母が居なくなってからしばらくした頃、父は一人の女性を家に連れてきました。
最初、再婚相手だと思いました。
言い忘れていたのですが、父は男爵の爵位を持っていました。
体裁を整えるための再婚かと考えたのですが、勘違いだとすぐに分かりました。そんなこと気にするような人ではありません。
共同研究者として父が勧誘したと聞いて多少驚いたのを覚えています。
そして、彼女が魔女と知り恐怖で体が震え上がったのを今でも強烈に覚えています。
父は気が狂ったのかと思いました。
実際、正気ではなかったのでしょう。
そうでなければ魔女を見つけ出し、共同研究など持ちかけないです。
行き過ぎた探究心は狂気と大差ありません。
それから魔女との共同生活が始まりました。
当初、同じ屋根の下で暮らすとは思っていなかったので事実を知った時には絶望しました。
毎日が死と隣り合わせ。
魔女の姿が視界に入るたびに寿命が縮む思いでした。
この時ばかりは父に直談判をしました。
当然、無意味でしたけど。
私は魔女から逃げるように生活していました。
まだ、子どもだったので家を出る選択肢もありませんでした。
そんなある時、魔女が二人きりのお茶会を提案してきました。
私は二つ返事で了承しました。
断ったら殺されると思ったからです。
中庭に置いてあるテーブルに座り、見上げた空の色は今でも鮮明に覚えています。
心が締め付けられるような澄み切った青色でした。
魔女は紅茶に造詣が深く、私に紅茶を淹れてくれました。
差し出されたティーカップを持つ手は激しく震えていました。魔女が出した物を口にするなんて恐怖以外のなにものでもありません。
私の反応を見た魔女は驚くことに悲しそうな表情を浮かべました。
魔女にも感情があるんだ、と思いました。
その瞬間、漠然とした存在だった魔女に輪郭が生まれたんです。
魔女も人間だと理解したんです。
いつの間にか震えは止まり、自然と紅茶を口に運んでいました。
人生で最も美味しいひと口でした。
インヴィディア。
それが魔女の名前でした。
慣れというものは恐ろしいものです。
共に暮らす日々が重なるにつれて、インヴィディアとの仲は深まっていきました。
ご飯を食べて、湯浴みをして、夜更けまでお話をしたり、眠りに落ちる瞬間まで彼女と一緒にいました。
一緒にいることを願ったのは私の方です。
きっと、人の温もりに飢えていたんです。
私の願いを嫌な顔せず受け入れてくれたインヴィディアはそれだけではなく、研究の合間を縫って魔術の手解きをしてくれました。
インヴィディアはいつしか最も心を許せる存在になっていました。
彼女への想いが大きくなるにつれて、比例するかのようにある感情が膨れ上がっていきました。
父に対する嫉妬です。
私より一秒でも長くインヴィディアと居る父のことが妬ましくて仕方がありませんでした。
二人が徹夜で研究室にこもっていた日には嫉妬の炎に身を焼かれ、自室にある物を手当たり次第に破壊しました。
そうでもしないと自分を抑えられなかったのです。
客観的に見ることができる今ならよく分かります。
あの時の私は異常でした。
第三者が見ていたら、悪いものに取り憑かれたと思われても仕方ないほどに狂っていました。
自分の異常さに気付くことなく、日々は過ぎていきました。
その時は来ました。
毎日、インヴィディアの姿を眼球に焼きつけんばかりの勢いで見つめていた私にはすぐに気付きました。
平静を装っているのですが、一瞬だけ酷く沈んだ表情を浮かべるのです。
私はすぐに事情を聞きました。
すると、彼女は涙を流しながら告白しました。
父に乱暴されている、と。
父の性分を考えると、そんなことするはずがありません。
魔術の研鑽以外に興味がない人です。
結婚したのも、私を作ったのも周りや親族を黙らせるためです。
仮に極上の美女と古びた魔術書、好きな方を選べるとなったら美女を一瞥すらせずに魔術書を取るでしょう。
しかし、当時の私はインヴィディアの言葉を真実だと疑いませんでした。
インヴィディアを魔の手から救う。
私は父を殺すことを決意しました。
深夜に決行したのを覚えています。
殺しは夜中にするものだと勝手に思っていたからです。
ナイフを持って研究室に行きました。
父は見向きもしません。もし、顔を見ていたのなら私が殺意を剥き出しにしていたことはすぐに分かったと思います。
私は躊躇なく、向けられていた背中にナイフを突き刺しました。
困惑に満ちた悲鳴が響き、父はようやく私の顔を見ました。みるみるうちに険しい表情になり、『エミリー、なのか?』と呟きました。
ナイフを父から引き抜き、再度襲いかかりました。
死んでいようが、いまいが憎悪の赴くままにナイフを振り下ろすつもりでした。
父は己が命を脅かす存在を排除するために魔術を行使しました。生命の危機において娘か否かは関係ありません。
風の刃が半身を切り裂き、炎の渦が半身を焼き焦がしました。
鮮血を撒き散らし、骨や臓物が焦げて吹き出す煙を纏いながら私は憎悪に身を任せて襲い続けました。
そうして私は父を殺しました。
私は意気揚々とインヴィディアに報告しました。
その時でした。
それまで渦巻いていた憎悪の感情がなくなり、自分の犯した罪の重さを認識しました。
私はインヴィディアに泣きつきました。
見上げた時の彼女の顔は今でも脳裏に焼きついています。
その顔を見た瞬間、全てを理解しました。
私はインヴィディアの手のひらの上で踊らされていたのだと。
優しさ、虚偽の告白、それら全ては私に父を殺させるための演技でしかなかったのです。
私は必死に震える唇を動かして問いました。
──なぜ、こんなことを?
インヴィディア……魔女は答えました。
「羨ましかったから」
×××
「答えを聞いた後、私は意識を失いました。意識を取り戻したのは一ヶ月後のことでした。私を引き取り、治療を施し、看病してくれていた親戚から事の顛末を聞きました。父が研究にのめり込んだ末に発狂し、屋敷に火をつけ、それを止めようとした私は意識不明の重傷を負った、と。屋敷は全焼、出てきた遺体は父のみでした」
己が過去を語ったエミリーは小さく息を吐いた。
「私は真実を訴えました。罪を償いたかったのです。しかし、誰も信じてはくれませんでした。魔女の存在を証明できなかったからです。彼女は屋敷に火を放った後に姿を消しました。恐らく自分が居た痕跡を消すためでしょう。結局、私たち親子を狙った理由は分からないままです」
エミリーはこの場にいる全員の顔をベール越しに一人づつ見つめて言う。
「私は加害者です。正直に申し上げるなら私の目的は復讐ではありません。皆さんがお認めにならなければ、私はすぐにこの場から消えます。もちろんこの集まりのことは口外しません」
それからエミリーは持っていたバッグから一冊の手帳を取り出す。端が焼け焦げていて、大小様々な傷と乾いた血で汚れた手帳だ。
「ここにはインヴィディアから聞いた他の魔女についての情報が記されています。お詫びとして提供させていただきます」
室内に沈黙が流れる。
すると、いつの間にか正気に戻っていたマクシーンが落ち着いた口調で言う。
「わたしの標的は『無辜の魔女』だ。尊厳を踏み躙ったクソ女を地獄に叩き落とすためにここに居る」
エミリーに慈悲に満ちた表情で言葉を贈る。
「お前さんは自分のことを加害者と思っているようだけど全然違う。間違いなく被害者だ。それに他は知らないけど、わたしはどんな目的だろうと魔女が絡んでいるなら歓迎するよ」
マクシーンの言葉に感化されたジェーン、ゴドウィンが続く。
「私は『忘却の魔女』に奪われた記憶を取り戻すのが目的。復讐するかどうかは記憶が戻ってからじゃないとちょっと分からないかな」
「家族を連れ去った『天啓の魔女』をブチ殺すのがオレの願いだ。正味、他のヤツらの目的なんざどうでもいい。有益なら手を組む、それだけだ」
エリオットはカウンターの中に入っていき、コップに水を注いでエミリーに渡す。
「各々の思う復讐を遂げればいい。魔女によって人生を狂わせられた者同士、協力しようじゃないか」
エリオットの言葉に全員が頷く。
「ありがとうございます。エリオットさん、皆さん」
エミリーは立ち上がって、深々と頭を下げた。
新たな仲間に士気がある面々。
だが、一人だけ空気の異なる者がいた。
アルフは誰とも目を合わせず俯いていた。
その様子をエミリーは黒いベールの奥から見つめていた。
×××
他の面子が帰り、残ったエリオットとエミリーは店の片付けと掃除をしていた。
「手伝ってくれて助かるよ」
「いえ、これくらい大したことではありません。それにエリオットさんに伝えておきたいことがありましたから」
エリオットは掃除の手を止めて、エミリーの方に顔を向けた。
「俺に?」
「ええ。ですが、あの……」
エミリーは言葉に詰まってしまう。
伝える必要はあるが、何か言い出しにくいことなのだろう。
「言いあぐねるということは、今は言うべき時ではないのかもな。その時が来たら教えてくれ」
「申し訳ありません」
エリオットはハッとして、エミリーに近寄る。
端正な顔立ちは若干怒りに色付いていた。
「俺はエミリーに言いたいことがある」
「なんでしょう?」
「さっきの手帳だ。もし皆が受け入れなかったら、本当に提供するつもりだっただろう」
「そのつもりでした」
「それは君の思い出だろう。たとえ結末が悲劇だったとしても、魔女が施した偽りの優しさだったとしても、その時その瞬間に君が感じた想いは紛れもない真実だ。他人に渡していい物ではない」
エリオットの毅然とした言い分に、エミリーは「確かにそうですね」と呟く。
「エリオットさんも魔女との間に真実はありました?」
「ああ。だからこそ、魔女を滅ぼすと決めたんだ」
純粋な決意、使命感に燃えた澄んだ瞳だった。
「エリオットさんが標的としている魔女は誰なのでしょう? ある程度の予想はついているのですが」
「言ってなかったか。魔女は全て標的だが……」
エリオットは瞑目し、確固たる意志を宿しながら言葉を紡ぐ。
「──『国喰いの魔女』。彼女だけは俺が滅ぼさなければならない魔女だ」