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第12話 『とある国の罪過』


 ふと漂ってくる酒と酒樽の微かな香り。

 鼻腔にするりと入っていき、脳が香りの正体を認知した途端に緊張が和らぐ。

 日常に戻ってきた、と身体が理解する。


 ここはエリオットが営む酒場。

『天啓の魔女』──アチェディア・ランプランサスとの会談を終えて、行きと同じく魔法陣で戻ってきた。


「………………」


 時間にして二時間程度。

 失ったものは仲間、得たものは魔女の残酷な宣告。


 重い沈黙を破り、アルフは誰とも目を合わせずに酒場から飛び出していく。

 反射的にエリオットが手を伸ばす。


「アルフ──ッ!」

「やめな!」


 後を追って一歩踏み出すエリオットをマクシーンが一喝した。

 マクシーンは首をゆるゆると振って、松葉杖をぶっきらぼうにテーブルに立てかけてから椅子に腰を下す。


「そっとしておきな。あんな宣告されて動揺しない方がおかしいのさ」

「では、私たちはおかしい側ですね」


 エミリーが自嘲気味に言う。

 マクシーンは白混じりの青髪をかき上げながら、椅子の背もたれに体重を預ける。


「魔女に好き好んで関わろうとしている時点でおかしいのさ。アルフの反応が普通なのさ。意外だったのはお前さんの反応だね」


 視線の先に居るジェーンは椅子に座り、細い指で赤髪を梳くっていた。橙色の瞳はぼんやりと床を見つめていたがしゃがれた声に反応して顔を上げる。


「なんか、実感が沸かないっていうか。ううん、違う……いざ死ぬかもしれないって分かったら変に落ち着いちゃった」

「色々なことが一気に起こると返って冷静になることってありますよね」


 会話はしている。

 だが、普段通りにとはいかない。

 反りが合わなかったと言えど、仲間だったゴドウィンがあっさりと退場してしまった。


 それに加えて魔女が落とした爆弾。


 ──この中に魔女の血縁者がいる。


 お互いが無意識に警戒をしてしまっているため、壁が生じてしまっている。

 その者に罪はない。

 それでも、意識するなという方が無理な話だ。


 疑心暗鬼の空気が流れる中で口を開いたのはエミリーだ。

 申し訳なさそうな声色でエリオットに尋ねる。


「どうしても気になってしまったのですが、彼女が仰っていた『キミたちの都合で──』というのはどういう意味なのでしょうか?」


 その疑問はマクシーン、ジェーンの二人も胸中に抱いていた。


「隠しているつもりはなかったが、語る義務を怠っていた」

「嫌なら話さなくてもいいんだよ」

「いや、本来なら最初に語るべきだった。少し長くなるから、どうか楽にして聞いてくれ」


 エリオットは毅然とした面持ちで三人を見つめる。

 そして、己が罪を告白し始めた──。


「その当時、俺の国では自殺、行方不明が頻発していた。一過性のものだと判断した王政だったが、要人の自殺と行方不明が連続して起こったことで重い腰を上げて調査を始めたんだ。俺も調査に参加していたが、情けないことに数ヶ月経っても原因を掴むことができなかった。それからしばらくして有名な治癒術師が王都に滞在しているという噂を聞いて、俺は藁にもすがる思いで会いに行った。結果的に正解の行動だった。その治癒術師はこれと同じ現象を他の国でも見たことがあるといい、その原因を教えてくれた」


「その原因ってのはなんだったんだい?」


「──『忘却の魔女』。国は知らず知らずのうちに攻撃を受けていたんだ。魔女自身に攻撃している自覚があるかどうかは分からないが。魔女が敵と分かり王政は頭を悩ませた。魔女と事を構えるとなれば甚大な被害を被るのは想像に難くない。連日、被害を最小限に抑える方法を思案した。すると、王──俺の父親がある提案を打ち出した」


「………………」


「魔女に魔女をぶつける。自分の耳を疑ったのはこれが初めてだった。他の者も唖然としていた。我ながら妙案だと思ったのだろう。王はこちらの苦言を無視して魔女の捜索を命令した。はっきり言って無理難題。現に捜索隊の殆どは帰還することはなかった。王以外が諦めかけていた時、協力してくれる魔女が現れたんだ────」



×××



 王城の中でもごく一部の者しか入室を許可されていない部屋がある。

 広くもなく、狭くもない、最低限の家具と調度品が置かれた質素な空間。

 ここで行われる会談や行事は超極秘扱いとなり、公には決して公開されることはない。


 現在、部屋には四人。

 王、王子エリオット、宰相は嫌悪感と若干の緊張感を漂わせて三者三様の様子を見せていた。

 一人は興奮に鼻を膨らませ。

 一人は恐怖に身体を縮こませ。

 一人は警戒で神経を張り詰めさせていた。

 各々が抱く感情は全て一人に注がれている。


「やっほー、ルピちゃんだよー」


 気の抜けるほど軽い挨拶をした少女。

 バレッタで束ねた桃色の髪に大きな紺碧色の瞳。

 整った顔立ちは、悪戯っぽい笑みが似合う小悪魔的な可愛さをしていた。少しだけ尖った耳は彼女の存在を特別にしている。

 豊満な胸、くびれた腰付き、長い脚──完成された肢体をビキニにホットパンツといった露出の高い服装で惜しげもなく披露しているが、上に天秤と百合の刺繍が施された外套を羽織っていて統一感が無い。


「まさか『国喰いの魔女』が協力してくれるとは思わなかった!」


 魔女の中でも知名度の差はある。

 そして、最も存在が知られているのは間違いなく『国喰いの魔女』──ルピナス・グリザイアだ。


「グリザイア一族……本当だったのか。それが魔女なんて最悪の組み合わせ……」


 桃色の髪、紺碧の瞳が特徴的なエルフがグリザイアと呼ばれる。

 世界から忌み嫌われ、迫害され続けている哀しき一族であるが、ルピナスの凶行により今では厄災の象徴として恐れられている。


 エリオットは内側から湧き出てる恐怖を強靭な精神力で捩じ伏せ、果敢にルピナスの前に立つ。


「なぜ協力を? 魔女は仲間ではないのか?」

「同じ釜の飯を食べた的な感じ?」

「か、釜?」


 けらけら笑いながらルピナスは空中で自由自在に漂う。当たり前のように浮遊術式を行使しているが、魔術の知識がある者が見たら泡を吹いて卒倒する芸当だ。


「お茶会とか食事会はたまにするけど仲良しこよしってわけじゃないよん。協力したのはね、これ以上無駄な犠牲を増やさないためのルピちゃんのや・さ・し・さ」


「優しさ、か」


「っていうのはもちろん嘘だよ。周りを嗅ぎ回られて鬱陶しかったからこっちから出向いてあげたの。話を聞いたら、それは魔女の手も借りたくなるよねって思っちゃった。でも、協力を頼む魔女はちゃんと選ばないと駄目だよ」


 腕でばつ印を作るルピナスは空中で一回転をしたところだった。


「イヴァちゃん、ルクルクは出会った時点で終わりでしょ。イラランはどうだろう? 今、若くて健康な人を見たらイライラして殺すかも。アッチェンは命の危険はないけど人格破壊されるし……どう転んでも善人になるから周りからしたら良いのかな? つまり、安全なのはルピちゃんだけってこと。外れ引いた捜索隊の人はごしゅーしょーさまー。およよ……」


 ルピナスは悲しそうに眉を下げて泣いている振りをする。やたら大袈裟な手の動き、薄っすらと笑みが滲む口元──悲しみの感情など微塵も存在しない。それどころか嬉しそうでもある。


 命を命と見ていない、見ようとしていないルピナスの態度にエリオットは怒りを覚える。

 今すぐにでも拒絶したいが、国の混乱を収めることが最重要事項。

 そのためには業腹ながら魔女の力が必要なのだ、と己を律する。


 エリオットが葛藤している間、王がルピナスに問う。


「我が国を脅かしている魔女の討伐に協力してくれるのか?」

「いいよー……って言いたいけど、そうは問屋が卸さないよね」

「ど、どういう意味だ?」

「じゃあ、ここで契約内容発表! いぇーい! パチパチパチ!」


 困惑する三人を差し置いて、ルピナスは一人で盛り上がる。

 場の空気は異様に冷たい。


「ルピちゃんが提示するのは魔女の捜索協力、国及び国民への攻撃行為の禁止。要求はルピちゃんへの攻撃行為の禁止、魔女討伐後にルピちゃんの探し物の協力。お互いに契約内容を遵守する。こんな感じでどう?」


「探し物というのは?」


「ちょっと珍しい霊装だよ」


「攻撃禁止は我々への配慮か?」


「そだよー。ちゃんと言わないとずっと怖がる人がいるからねー」


 ニヤニヤしながらルピナスは宰相の方へと近寄る。

 宰相は酷く狼狽し、身体を震わせながら顔を逸らす。

 齢七十近く、確かな手腕で国を支えてきた宰相がこんなにも感情を剥き出しにするところをエリオットは初めて見た。


「あ、あの失礼なのは承知ですが顔を隠してはいただけないでしょうか……?」


「怖いんだ? この髪、この眼、この顔が。ルピちゃんが怖い?」


「はいぃ……すみません……すみません……」


「素直だねー」


 ルピナスは宰相に対してくるりと背中を向けて指を鳴らす。

 すると、三人の認識に変化が生じた。

 そこにいるのは間違いなくルピナス・グリザイアなのに正確に捉えることができなくなった。

 まるで霧の中にいる人影を見ているような曖昧な感覚に違和感を覚える。


「認識阻害の術式。これで怖くないでしょ? それで契約はどうする?」

「異論はない」

「じゃあ、契約成立だね。契約書に署名とかしておく?」

「いいや、この件は極秘。記録は何一つ残すつもりはない」


 王の発言にルピナスは意味深に頷く。

 それから腕を天井へと突き上げて、悪戯な笑みを浮かべた。


「ふぅん……じゃあ、楽しく魔女狩りしよっか!」



×××



 ルピナスは表向きでは王の賓客として扱われることになった。名前や身分は完全にでっちあげだ。

 客室に通されたルピナスは間髪入れずにソファーへと飛び込む。

 外套がはだけて肌色の部分が多く晒される。


「んんー、捕らえて離してくれない座り心地。やっぱり良いもの使ってるね」


 世話役兼監視役として行動を共にすることになったエリオットは資料をテーブルの上に置く。

 ルピナスの扇情的な格好については無反応だ。


「一連の事件をまとめたものだ。気になることがあったら教えて欲しい」

「見つけるのリッツィでしょ。結構骨を折ることになるよー」


 指を少し動かすと、テーブルの上に置かれた資料が吸い寄せられるようにルピナスの手元に収まる。


「リッツィ、というのが『忘却の魔女』なのか?」


「本名はリツィア・グロキシニア。とっても欲深くて凄く可愛い女の子だよ。多分、魔女の中じゃ一番姿を隠すのと人探しが上手いね」



「詳しく教えてくれ」


「その場に溶け込むのが抜群に上手いの。何の違和感もなく当たり前に生活しているからね。誰もリッツィを魔女だと思わないし、正体を明かしても関わってきた人は誰も信じない。『え〜、リツィアちゃんが魔女とか。もう少し上手い嘘つきなよ』ってねー」


 エリオットは納得したように頷く。


「怪しい人物を探っていたが、それ自体が間違いだったわけか。先入観に囚われていたようだ」

「魔女は目立つから……って思ったけど、目立ってるのルピちゃんだけ?」

「魔女と聞いて真っ先に思い浮かぶのは君だな」

「やーん、ルピちゃん有名人」

「君は大罪人だ。罪を認め罰を受け入れるべきだ」



 反射的に言葉が出てきてしまい、エリオットは慌てて口元を引き締める。

 紺碧の瞳に見つめられて息が止まる。首元に刃物を添えられているような、心臓に杭を突きつけられているような、死の気配がすぐ側に居る。冷や汗が滲み、体温が急激に冷めていくのを感じた。──が、それが己の中に潜む魔女への恐怖が作り出した幻想だったとすぐに気付く。


 ルピナスは口元を緩め、


「正義の人だねー。そんなエリエリにリッツィの行動範囲を教えちゃおう」


「エリエリ……? というか、もう分かったのか!?」


「被害者一覧を眺めていたらすぐに分かっちゃった。例えば、自殺したアデラ・ソーンダイクを起点に他の被害者を確認してみる。するとびっくり、父親、学友、先輩後輩、恋人……関係者がどんどん出てくる。これは他の被害者にも当てはまる。地図開いて」


 エリオットは言われた通りにテーブルに地図を開く。

 ルピナスは地図と資料を交互に確認。指を動かすたびに地図に文字や図形が描かれていく。


「被害者の住まい、学校及び職場を含んだ行動範囲を予測するでしょ。それを数十人分、地図に書き込むと範囲が重なる部分が……ほら出てきた」


「王立学園、俺の母校だ。つまり、魔女は学園の生徒として潜伏しているのか?」


「潜伏っていうか普通に学生として生活しているよ。もちろん正規の方法で入学したとは思わないけど」


「学生……先ほども女の子と言っていたが魔女は歳若いのか?」


「えっと、確か十三か十四歳だったかな」


 想像以上の若さにエリオットは愕然とする。

 そして、自分の偏見を反省する。


「考えを改めないといけないな」


 魔女というだけで子どもという可能性を除外し、基本的な捜査を蔑ろにしていた。

 結局は漠然とした恐怖に目を逸らし、魔女個人を見ようとしてこなかった結果が現状だ。


「さてさて、行動範囲を絞り込めたけどここからが難しいよ」


「というと?」


「こっちの狙いがバレたらリッツィは間違いなく権能を使ってくる。そうなると見つけるのはほぼ不可能になっちゃうね。だから、着実に逃げ道を埋めて大人数で一気に捕まえるのが吉だね」


「君は対処できないのか?」


「気を逸らすとかならできるけどー。周りの被害を考えながら戦うってなると分が悪いかも。


「………………。準備している間の被害には目を瞑れというのか」


「あーそういうこと言っちゃう? ルピちゃんが提示したのは捕まえる確率を少しでもあげる方法だから。運が良ければ捕まえられるよ」


「早速、討伐隊を組む。後で魔女の特徴を教えてくれ」


 エリオットはルピナスに背を向けて部屋を後にする。

 ルピナスは後を追ったりすることもなく、伸びをしてからクッションに顔を沈めながら呟く。


「正義の人は守るモノが多くて大変だねー」


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