第11話 『宣告』
アチェディアの歩く姿はお世辞にも美しいとは言えない。
寝癖のついた腰まで伸びた灰色の髪、猫のように丸まった背中。ゆとりのある衣服の裾は床を這いずっている。
権力者が持つ威圧感や異質の存在が放つ悍ましさというものを微塵も感じさせない。
彼女の雰囲気は例えるなら柔らかな陽射し。何人も拒まずに、善悪等しく照らし包み込むような包容力。
その証拠にすれ違った信者たちは最低限の礼節を保ちながらも親しげにアチェディアに挨拶をしていた。
裸足でぺたぺたと音を奏でながらゆっくり歩むアチェディア。彼女の少し後ろをウェスタが歩き、さらに後ろをエリオットたちは硬い音を立てながら付いていく。
「ここの前身は孤児院だったのだ。大きさは一軒家程度で活動も細々としたものだったのだ。それが新興宗教になって、ここまで巨大な施設に膨れ上がったのはボクの存在が理由なのだ」
「千里眼だな」
「人間というのは未来という不確定要素に大なり小なり不安を抱くものなのだ。そこに希望または絶望を提示する存在が現れれば縋りつきたくなるのだ。前の教祖……院長で育てのお父さんはボクの力を知り、利用したのだ。当時のボクは未来が見えるのは当たり前のことだったのだ。誰でもできて当たり前と思っていたから隠すなんて考えはなかったのだ」
アチェディアは振り向き、袖の中に隠れている指で額の紋様をつつく。
「最初は孤児院の資金稼ぎのつもりだったのかもしれないのだ。でも、想像以上の稼ぎに欲望が暴走した。お父さんは教祖となり、ボクを巫女として祭りあげて信者を増やしていったのだ。この額のヤツ、雰囲気作りのために無理矢理刻まれたのだ。天気の悪い日は痒くて鬱陶しいのだ」
「………………」
「お父さんは信者からありとあらゆる手段でお金を巻き上げたのだ。お布施、なんの効力もない道具販売、ボクへの謁見、助言などなど。信者の中には経営者や政治家も居たからいくらでも搾り取れたのだ。そうして得たお金はお父さんが湯水のように使っていたのだ」
「まるで無関係みたいな言い回しだけど、貴女も加害者じゃないですか」
苛立ちをこめて呟いたのはアルフだ。
拳を強く握りしめて、額に汗を滲ませながら呟いた一言は精一杯の抵抗だ。
「そうなのだ。キミの言う通りボクは加害者なのだ。ボクが行動を起こせば救われた人間はいたかもしれないのだ。でも、それは同時に多くの人間を殺すことになるのだ」
「どういうことですか?」
「ボクは未来を視ていたのだ。お父さんを失脚させて、ボクが教祖になる未来を。ただし、未来の結末は確定していても、そこへ至る道程の細々した部分は行動次第で変わることはあるのだ。だからボクは待っていたのだ、被害者が最小限に収まる好機を」
「……大多数を救うために少数を切り捨てたってことですよね」
「全部を救うことはできないのだ。人間は完全じゃないから、手から零れ落ちてしまうモノもあるのだ。許容するか後悔し続けるかは当人次第なのだ」
「………………」
「お父さんとの対立の末にボクは教祖になったのだ。拝金主義の運営を改善して、困っている人々の拠り所になる場所に作り直したのだ。だから強制は何一つしないのだ。一時的な避難場所として使ってもいいし、交流場所として使ってもいいし、相談所としてもいいし、なんなら休憩所として使ってもいいのだ」
アチェディアは丈の長い袖からわざわざ手を出して親指と人差し指で輪っかを作る。
「お布施だってお気持ちだけしか貰ってないのだ。けれど不思議なことに前よりも収益は増えているのだ。これ教訓なのだ」
さらに少し歩くと渡り廊下へと出た。
広がっていたのは中庭だ。
丁寧に育てられた無数の花が、太陽の陽射しを心ゆくまで浴びて風に揺られている。
花を眺めながら会話をする人たち、設置されている長椅子に腰掛けて寝息を立てる人、無邪気に走り回っている子どもたち──多くの信者たちが集う憩いの場のようだ。
ウェスタが信者の名を呼ぶ。
名前の主であろう女性と娘がいそいそとアチェディアの元へやってきた。
「この人たちがキミたちの仲間だった男の妻と娘なのだ」
「ゴドウィンの……」
エリオットの呟きに女性が肩を震わせる。
その反応を見てアチェディアが語ったゴドウィンのことは真実なのだと確信を得る。
「あの人は来たんですか?」
「来たのだ」
「……アチェディア様は本当に未来が見えるんですね」
アチェディアは娘の頭を撫でながら言う。
「彼を改心させる──そこまでがキミたちとの約束なのだ。そこから先はキミたちの自由なのだ。元のように共に人生を歩んでもいい。別々の人生を歩んでもいい。どちらを選んだにせよ、彼がキミたちに危害を与えることは絶対にないのだ。ボクが保証するのだ」
「お父さん、病気治りそうなの?」
不安そうな表情でアチェディアを見つめる。
優しかった父親がある日を境に人が変わったように口汚く罵り、暴力を振るうようになった。
娘は父親が豹変した理由を病気だと認識していた。
その認識をわざわざ改めさせるようなことはアチェディアも母親もすることはなかった。
若い頃に得た名声に未だに縋りつき、精神が未熟のまま年齢を重ねてしまい、過去と現実の差を受け入れることができず、周りの者に不満をぶつけていた憐れな男。
自分の父親が悲しき存在だったと伝える必要はない、と二人は判断したのだ。
「ボクに任せるのだ。必ず治してあげるのだ」
「本当!? アチェディアありがとう!」
女性は涙を浮かべながら深々と頭を下げる。
「ありがとうございます。もう一度、あの人と向き合ってみようと思います」
「キミたちなら絶対大丈夫なのだ。ボクのお墨付きなのだ」
アチェディアと親娘の会話を眺めていたエリオットたちの表情は苦いものだった。
×××
施設案内が終わり、今は玄関部分の広々とした空間にいる。
設置されたソファーに寝転がりエリオットたちを見上げるアチェディア。
「ひと通り見てもらったけど、キミたちからすればさぞかしがっかりしたのだ? 教団を利用して悪虐の限りを尽くして、信者を骨の髄まで苦しめている──そんな想像をしていたと思うのだ」
アチェディアの予想は図星だった。
魔女であるから残酷なことをしているに違いない、と先入観は混じっていた。
施設を巡った印象としても善意に溢れている。
もちろん案内されていない部分に悪意が隠れている可能性もあるが。
信者のアチェディアに対する接し方を見るに慕われ、崇められている。そこに恐怖というものは存在していない。
「人間というのは願望、欲望、性癖、衝動を満たすために行動しているのだ。その結果として人を傷つけ、壊し、殺す場合もあるのだ。さっきも言ったけど魔女も人間なのだ。被害の規模が違うってだけで行動原理は変わらないのだ」
「じゃあ、貴女は自分の欲望を満たすために人を救っているの?」
ジェーンの問いにアチェディアはかくんと首を落とす。首肯しているのだが、寝落ちしかけているように見える。
「願望を叶える過程で教祖を続けて人を救っているのだ。これがキミの質問に対する答えなのだ」
「その願望ってなに?」
アチェディアはゆっくりと上体を起こして、胸に抱いている願望を口にする。
「確定した未来が変わる瞬間を見たい。──それがボクの願望なのだ」
銀色の瞳は憧憬の景色を思い浮かべながら輝く。
「そのためにボクは多くの人生に干渉するのだ。その結果が良くても悪くてもいいのだ。とにかくボクの視た未来が変わればなんでもいいのだ。ボクは不幸よりも幸福が好きだから、人が幸福になれるように助力してるのだ」
アチェディアは再び寝転がる。
大きなあくびをしつつ、視線をエミリーに向けた。
「最後はキミ」
「それでは質問させていただきます。私が聞きたいのは貴女が先ほど仰った意外性の欠片もない、微塵も面白くない理由の詳細です」
エリオットが創立した『魔女に与える鉄槌』が魔女たちに注目されている事実に言及したアチェディア。
しかし、理由は語らなかった。
その理由を聞き出すためにエミリーは質問したのだ。
「ほらキミの質問は面白くない。答えとしては単純な話……キミたちの中に魔女がいるのだ」
「────っ!?」
アチェディアの答えにエリオットたちは驚愕する。
反射的に各々が顔を見合わせる。
「あー……血縁者と言った方が正しいかもしれないのだ。自覚があるのかどうかは知らないのだ」
「自覚がないなんてことはあるのでしょうか?」
「あるのだ。実の兄妹たちはボクが魔女ってことを知らないのだ」
「兄妹がいるのですか?」
「兄、姉、妹、弟がいるのだ。向こうはボクの存在を知らないと思うけど。だから、キミの親が魔女かもしれない。キミの親戚が魔女かもしれない。キミの祖先が魔女かもしれない──なにが言いたいかというと自覚なくても血縁者が魔女ということはあるのだ」
アチェディアの言い分には一理ある。
魔女という存在は恐怖の象徴として度々語られるが、魔女の血縁者について語られることはない。
エミリーは納得するも腑に落ちない。
「血縁者というだけで注目するのは理由として少々弱いと思います」
「それはキミの価値観なのだ。魔女の中には血縁者を何よりも重要視している者もいるのだ。他の魔女は野次馬なのだ。ボクは野次馬側なのだ」
納得したように頷いたエミリーはアチェディアに対して礼を述べる。
「価値観……そうですね。自分の視点でしか考えていませんでした。反省します。質問に答えていただきありがとうございました」
アチェディアは適当に頷く。
大きなあくびを繰り返しながら伸びをする。
「キミたちの質問に答えたから次はボクが質問する番なのだ。金髪のキミ、そこに座るのだ」
指名されたエリオットはアチェディアの対面側にある椅子にゆっくりと腰掛ける。
「質問は一つにしてもらおう」
「一問一答の時間は終わったのだ。ここからは魔女と魔女を追う者の対話なのだ」
「ささやかな意趣返しだ。気にしないでくれ。対話はこちらとしても願ったり叶ったりだ」
エリオットは真剣な表情を浮かべて、天啓の魔女と対峙する。
単なる対話とは思えないほどに闘気を全身に充実させている。
アチェディアは起き上がって胡座をかく。
服の中に手を突っ込んで身体を掻きながら覇気のない声色で質問を投げかけた。
「キミは魔女をどうしたいのだ? 他の人は察することができるけどキミに関しては感情がよく分からないのだ」
「俺の目的は魔女の殲滅、魔女を滅ぼすことだ」
「あー……あ? 滅ぼす?」
「冗談に聞こえるようだが、俺は本気だ」
「本気がどうかはどうでもいいけど、できるなら是非とも滅ぼして欲しいのだ」
エリオットは少々驚く。
「自分を滅ぼそうとしている者を肯定するのか?」
「客観的に見ているだけなのだ。救われた人と殺された人の数を比べたら、魔女が排除される存在か否かは論ずるに値しないのだ」
アチェディアはひと呼吸おいてから、質問を重ねる。
「キミはなぜ特定の魔女を標的にしていないのだ?」
「俺は根本的な解決を目指しているからだ」
「続けるのだ」
「俺は魔女と関わる機会があって、その時に色々と調べた。最新の文献、古代の文献、誰かの手記──魔女に関する記載があるものはできる限り目を通した。確認できた記載で最も古いのは百年前。各国家が魔女を擁立し行った代理戦争──『魔女戦争』。この戦争によって魔女は全滅したと言われている。しかし、後の文献に魔女は出てくる。そこで俺は思った」
エリオットは胸中にしまっていた推測を告げる。
魔女と関わると決めた瞬間から始まった考察の旅。共に歩む者は居らず、あるのは本や文献、手記の山のみ。
一つ一つ読み進め、孤独な旅路に見つけた一つの可能性。
世界に披露する機会が遂に来たのだ。
それも、誰よりも答えを知っているであろう相手に。
「魔女というのは個人の通称ではない。何かしらの力を継承した者を『魔女』と呼称すると俺は考えている」
「よく文献だけでそこまで辿り着いたのだ。補足するなら、キミが言う何かしらの力に適性があった人間が世界によって魔女として定義されるのだ」
「なるほど継承ではなく適性か。世界によって定義……?」
「キミの探究心は尊敬するけど、話を本筋に戻してほしいのだ」
エリオットは軽く咳払いをしてから続ける。
「つまりだ。俺が滅ぼしたいのは魔女という仕組みそのものだ」
「魔女自体に興味はないってことなのだ?」
「無関心かと言われれば違うな。魔女に対する怒りや憐れみはある。一人残らず罪を認め、罰せられるべきだと思っている。もちろん、君もそうだ」
アチェディアの眉がほんの少し動く。
反射的な反応であり、感情の部分は寸分たりとも揺れていない。
「ボクにはどんな罪があるのだ?」
「私利私欲で他者の人生を弄ぶのは紛れもない罪だ」
「弄んではいないのだ。結末に至るまでの道を整えてあげてるだけなのだ」
「他者によって整えられた道はさぞかし楽だろう。だが、整えるものが居なくなった道を歩む力はその者に備わっているか? 答えは否だ。故に整える者は最後まで責任を果たすべきだ」
「………………」
「君は責任を放棄している。己が欲望のために他者を堕落させている。これを罪と言わずなんと言えばいい」
エリオットの追求にアチェディアは微塵も動じない。
銀色に輝く瞳がゆっくりとエリオットを捉える。
「じゃあ、キミはどれほど険しく、辛い道であっても他者の力を借りてはいけないと。困っている、苦しんでいる人が居ても手を差し伸べるなと」
「協力や助力はもちろん時には必要だ。だが、人生という道は己で開拓するべきだ。困難や試練は自力で乗り越えてこそ意味がある。乗り越えた経験が自信に繋がるんだ」
アチェディアはゆっくりと腕を上げる。
裾に隠れている手の形は分からないが人差し指を伸ばしている。伸びた指の先に居るのはアルフ。
「それ、キミたちの都合で住む場所を、家族を、何気ない幸せな日常を──全てを奪われた彼を始めとした全ての国民にも同じこと言える?」
「………………」
「会う相手のことくらい調べるのだ。調べたのはボクじゃないけど。『国喰いの魔女』に祖国を滅ぼされた王子。生き残った国民を放置して魔女を追いかけるってどうなのだ?」
痛いところを突かれて苦い表情を浮かべるが、エリオットはすぐに持ち直して毅然とした態度で言う。
「国民に対して俺にできることは少ない。所詮、王子だからな。どうすればいいか考えたさ。その結論として魔女を滅ぼすことにした。これは俺なりの贖罪だ。事を成し遂げたら罰を甘んじて受け入れるつもりだ」
アチェディアは小さく溜め息を吐いて、どこか呆れたように言う。
「よく分かったのだ。キミは強い。決して揺るがない芯、何があっても折れない意志、崇高な行動理念。その在り方は高潔の一言なのだ。キミの思想や主義は大いに価値のあるものかもしれない。でも、それに賛同する者は少ないのだ。キミの在り方は多くの人間とは相容れないのだ」
エリオットは首を横に振る。
「俺に対しては過大評価、人間に対しては過小評価だ。人間は美しく強い存在だ。だからこそ今日に至るまで歴史は続いている」
「人間というのは醜くて弱い。だからこそ美しくあろうと、強くあろうと努力し、罪を重ね、他者と手を取り合って生きていくのだ」
沈黙。
エリオットとアチェディアは互いを見つめ、
「俺と君の意見は永遠に交わらないだろう」
「そういうものなのだ。そろそろ疲れてきたからお開きにしてもいいのだ?」
アチェディアは背骨が抜けたように力なく横になる。
銀色の瞳が遠くを見つめはじめ、瞼が徐々に重くなっていく。
「最後にもう一つだけ質問させてくれないか」
「うぅん……これで最後なのだ」
エリオットは最後の問いを口にする。
「俺たちの未来を教えてほしい」
アチェディアが見ていたのは、エリオットの後ろにいた四人の表情だった。
エミリーは分からないが、他の三人は明確に表情が引き攣っていた。
当然の反応だろう。
「キミ、そういうところなのだ」
「これは君との戦いでもある。君の視た未来を俺たちが変える。欲望が満たされれば罪を認め罰を受けられるだろう?」
「分かったのだ。宣言通り未来を変えたら、ボクの命はキミたちのモノなのだ。煮るなり焼くなり好きにしていいのだ。……じゃあ、聞きたくない人は耳を塞いでほしいのだ」
アチェディアは注意をする。
耳を塞ぐものはいなかった。
そして、魔女は未来を宣告する。
「生者は一人、死者は三人、精神的死者が一人。これが君たちの未来なのだ」




