32 テリトリー
「え? どうして・・・?」
シャノンの言葉に、テルクが怪訝な顔をした。
ユーリもそのままの疑問をシャノンの手に返す。
『考えてもみろ。目隠しをして耳栓をするにしろ、息を止めるにしろ、我々の戦闘力は著しく落ちる。』
『そもそも、俺がちゃんと戦えるのは、ユーリやテルクが見えて聞こえているからだ。3人とも見えず聞こえずになって、どんなフォーメーションが可能になるんだ?』
言われてみれば、そうかもしれない。これまでは、ユーリとシャノンで補い合って戦ってきたのだ。
「で・・・でも! 3人いれば、何か・・・方法が・・・」
テルクが発言したが、後ろの方は声が小さくなっていった。
『それだけじゃない。あそこに正体不明の魔獣がいる限り、あの森には誰も入ることができない。それは・・・』
とシャノンはその見えない目をテルクがいるであろう方向に向ける。が、視線はやはり微妙にずれている。
『カリンドア大臣の野望を不可能にすることになる。王も皇女も望んでいることだ。そして同時に、この国を西の大国から守ることにもなる。』
『あいつもまた、自分のテリトリーを守っているだけだ。ただ生き延びるために・・・。他のあらゆる生物と同じように——。その証拠に、結界が近づいたら引き上げていった。出てくるつもりはないんだ。』
『テリトリーを侵したのは、我々人間の方なんだ。』
「そうかもしれないね。」
とユーリも小さく呟く。
「わざわざ森に入っていって、殺す必要なんてないよね。」
ユーリはかつて遭遇したゲルドグの親仔のことを思い出している。
この森の魔獣ゲルドグには仔はいるだろうか?
その仔は、同じような能力を受け継いでいるのだろうか?
ささやかなテリトリーを守って、この先も生きてゆけるだろうか?
『あいつはある意味、弱い個体だ。他のゲルドグよりも弱い体で生まれて、けれど他のゲルドグの持たない能力を与えられて・・・。あいつも必死に生きてるんだろう。』
そうか。
とユーリは思った。
シャノンもきっとあのことを思い出し、ユーリと同じところに思いを馳せているに違いない。
自らを、この特殊な魔獣に重ねるようにして——。
『だから、これから俺たちがするべきことは、恐怖の表情を浮かべてほうほうの体で宿に逃げ帰ることだ——と俺は思う。』
「そんな・・・。スリーセンスの伝説は・・・」
テルクが情けなさそうな顔で小さく言った。
彼にとっては「スリーセンス」はずっと憧れ続けてきた存在であり、無双でなくてはならない。
それが・・・
薄みっともなく逃げ帰るなんて・・・・。
『スリーセンスでさえ逃げ帰ってきた——となれば、もはや魔獣を狩ろうとするような者は誰もいなくなるだろう。』
シャノンはその見えない目をわずかに微笑ませた。
『この先は、俺たちの場所じゃない。お互いのために、この結界を守ろう。』
ユーリはシャノンの言葉を声に出してテルクに伝え、岩に張られた結界の綱に目をやった。赤い紐がわずかに風に揺れている。
ワゴウ村の人々は、あるいはこのことを知っていて、決して口にしないだけなのかもしれない。
『そのためにも、魔獣は無限の恐怖と謎の対象でなければならない。匂いのことは絶対に秘密だ。 できるな? テルク。』
テルクはシャノンの白濁した瞳をじっと見つめていたが、やがて大きく、こくん、とうなずいた。
結界の赤い紐を揺らして、雨上がりの爽やかな微風が広場を吹き抜けていった。