30 魔界の謎
「師匠! ししょ——お!」
今度はテルクが手を彷徨わせて叫んでいる。
「テルク。もう大丈夫だ。目を開けてもあれは見えない・・・あっ。」
ユーリはテルクの耳に何かが詰まっているのを見つけた。
耳栓をしていたのか。
目と耳を塞いで、真っ暗闇の中で、テルクは糸を頼りにシャノンを導いていたのか!
ユーリはテルクの耳栓を、すぽんと抜いてその穴に声を送り込んだ。
「もう大丈夫。結界に着いた。目を開けても大丈夫だよ。」
テルクが、ぱちっと目を開けて、ユーリとシャノンを交互に見た。
「あ・・・あ・・・、ししょ・・・」
それから口を大きく歪めて、その仔犬みたいな目からぽろぽろと涙をこぼし始めた。
「よかったぁ——。し・・・師匠・・・ユーリ師匠も、シャノン師匠も・・・無事だったぁ——!」
その場にぺたっとへたり込んで、子どもみたいに泣き出した。
「こ・・・怖かったよぉ———・・・。」
よく見れば、テルクは裸足だ。
シャノンを真似て、足で地形を知ろうとしていたのか。
なんてやつだ!
「テルク! よくやった! よくやったよ!」
ユーリは状況を指でシャノンにも伝える。
シャノンから返事がきた。
「シャノンも『おまえがいなきゃ、ゲルドグを振り切って結界まで戻れなかった』と言ってる。・・・って、ゲルドグがいたの?」
『いた。妙に動きの遅いヤツだったが、それで助かった。』
3人は結界の外に出て、開けた場所の小さな石にそれぞれ腰を下ろした。
ユーリがシャノンの言葉とテルクの言葉を、それぞれ音声と指文字に変換して翻訳しながら3人で話し合う。
それぞれの「経験」を突き合わせて、何が起こっていたのかを知るためだ。
知らなければ、次はあり得ない。
今回は運良く脱出できたが、何の備えも無しにまた森に入れば、今度こそ生きて帰れないかもしれないのだ。
あれはいったい何だったんだろう?
『俺には何も起こらなかった。地面もあったし、臭いもあった。』
シャノンはユーリにそう伝えた。
『おまえたち2人が突然まともに立てなくなったんだ。何かの「音」がそうさせたのか?』
『景色が歪んで、それから、光や色のぐちゃぐちゃな・・・』
ユーリはどう説明したらシャノンに伝わるのか、考えたら言葉が見つからなくなってしまった。
「花火の中・・・ううん、花火の濁流の中で溺れてるみたいになっちゃって。そんで、めちゃくちゃな音が聞こえるんだ。ドゴン、ゲロゲロ、ピューン、キャラキャラ、デロデロボコン・・・みたいな。自分がどこにいるかもわかんなくなっちゃって。目を瞑っても見えるし、耳を塞いでも聞こえるんだよ。」
テルクが後を引き継いで話したが、ユーリはこれをどう翻訳してシャノンに伝えたらいいのか困ってしまった。
今回、ユーリとテルクが経験したことはほぼ同じのようだが、「音」と「色」の概念のないシャノンにどう伝えればわたしたちの経験が伝わるのだろう?
『色や形、というものでわたしたちが「世界」を見て、音で「世界」を知っているということはわかる?』
『概念的にだけだけどな。』
『それがめちゃくちゃになっちゃったの。テルクの表現をシャノンにわかる感覚で伝えるなら、ハケで撫でられて、棒で叩かれて、キスされて、針で突かれて、氷に浸けられて、熱湯かけられるみたいな・・・それがいっぺんにやってくるような感じの「色」と「形」が見えて「音」が聞こえるの。・・・わかる?』
シャノンはしばらく指の動きを止めて考えていたようだったが、おもむろにユーリの手に返してきた。
『わかる・・・ような気がする。』
『それで、自分がどこにいるのか、上も下もわからなくなって、パニックになっちゃった。』
ユーリの指が、少し恥ずかしそうに動く。
『臭いはどうだったんだ? 皮膚の感覚は? 地面に触れていることもわからなくなったのか?』
『そんなの・・・』
ユーリはテルクにも音声で翻訳しながら、少し赤くなった。
『シャノンほど敏感じゃないし・・・。普段「視覚」と「聴覚」に頼り切ってるわたしたちは、それがめちゃくちゃになっちゃったら・・・もう、パニクっちゃって・・・。』
「そういえば・・・」
とテルクが思い出したという顔つきで言った。
「皮膚感覚はちゃんとあったよ。上下はわからなかったけど、今思い出したら背中に湿った苔がくっついてるのはわかったし、糸玉も手の中にあったし。シャノン師匠に抱えられたのもわかった。うん、飛んでるみたいだった。命が危なくないってわかってたら、面白かったかも——。」
「はあ?」
「臭いも・・・、うん。あった。森の匂いも、獣みたいな臭いも・・・。んで、もう1つ、なんか嗅いだことのない甘いような匂いもしてた・・・。」
ユーリが、そのままシャノンに伝えると、シャノンから速球を打ち返すみたいな返事がきた。
『俺も嗅いだぞ、その匂い。それからおまえたちがおかしくなった。』
次回、テルクの発想で解き明かされる「魔界」の謎。