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スリーセンス  作者: Aju
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28 魔界

「静かですね、師匠。鳥の声も聞こえないや。」

「少ししゃべるのをやめろ。どこに何が潜んでいるかわからん。糸に集中してろ。」

 さっきのシャノンの言葉は伝えないまま、ユーリはしゃべり始めようとするテルクを制してシャノンに聞き返した。

『どういうこと?』


『木が茂り過ぎている。雨粒が全く落ちてこない。森の匂いも強すぎる。』


   *   *   *


 シャノンは落ちてくる雨粒で、木の枝の茂り具合や木の生えている場所を知覚する。

 足元を流れる水で、微地形を把握する。

 ・・・・が、この森は雨粒が下まで落ちてこない。

 足元は苔が茂っているばかりだ。

 雨の日はよく風も吹くものだが、木々に囲まれたこの空間にはあまり風が吹かず、停滞した空気はむせかえるほどの森の匂いを抱え込んでいる。


 まずい。

 空間が把握できない。

 今のところ変わった臭いはないが、空気が動かなければシャノンが嗅いでいるのはシャノンのまわり数メートル程度の範囲の臭いだけだ。

 地面の振動も、苔のため感知しにくい。


 ユーリにこのことを指で伝える。

『一度戻った方がいいかもしれない。』

 シャノンは己れを大きく見せるようなことはしない。その必要性も感じない。

 ユーリに対して、できないことはできないと正直に伝えている。


『わたしは見えてる。今のところ異常はない。妙な音も聞こえない。』

『テルクは糸を持ってるか?』

『持ってるよ。』


 その時だった。

 前方からのわずかな風に乗って、ゲルドグの臭いが漂ってきた。

 同時に、何か嗅いだことのない甘い匂いもその風に乗ってきた。

 風の速度からすると、ほんの100メートルほど先だ。


 なぜ今まで気づかなかった?


 苔だ。

 苔のせいでゲルドグの歩く振動が感じ取れなくなっている。

 今、ようやく微かに感じ取れるようになってきた。

 動きがゆっくりだ。

 襲ってくる時のスピードじゃない。

 それとも、忍び足のつもりか?


『ゲルドグだ。前方100メートル。』

とユーリの手に伝えたが、返事がない。


 返事の代わりにユーリは、ガシッ! とシャノンの手を強く握りしめてきた。

 そのままユーリの体重がシャノンの手にかかる。

 シャノンがこれまで経験したことのないユーリの反応だった。

 その手のひらが湿っている。

 ユーリの汗の臭いが変わった。

 恐怖を感じているようだ。


 何が起こった?

 ゲルドグはまだ至近距離ではないはず。


 シャノンは弩を地面に置いて、ユーリの腕をたぐり寄せる。

『何があった?』

とその腕に書こうとして、ユーリがちゃんと立てずに手足をバタつかせていることに気づいた。

 パニックになっている。

 ユーリはシャノンの腕に両手で必死にしがみついてくる。

 まるで溺れている人間みたいだ。

 弩は持っていない。

 いつも冷静なユーリがこんなふうになったのは初めてのことだ。


 何が起こった?

 テルクはどうした?

 シャノンがユーリのベルト付近をまさぐると、テルクがユーリのベルトを固く握りしめていた。

 テルクの腕をたどると、テルクもちゃんと立てないらしく、寝転がって手足をバタつかせている。


 何らかの理由で2人は突然パニックに陥り、まともに立つこともできないらしい。

 魔物に取り憑かれたのか?

 これが、魔物か?

 俺はなぜ平気なんだ?


 2人とも怪我はしていないようだ。

 血の臭いがしないのだ。

 しかし、これでは戦闘どころではない。


 ただ、テルクは汗から強い恐怖の臭いを発散させながらも、もう一方の手には糸玉をしっかり握りしめていた。

 指文字がわかるなら()めてやりたいところだが、今はそれどころではない。

 ゲルドグが迫っている。

 すでに80メートルほどまで近づいている。

 このゲルドグが「魔獣」なのだろうか?

 それとも森そのものが「魔界」で、2人の精神をおかしくしたのだろうか?


 ただ、相変わらずこの個体は動きが遅い。

 今のところ、それだけが希望だが・・・。

 しかしそれでも1歩1歩がゆっくりだが、確実にこちらに向かって近づいてきているのがわかる。

 いつ捕食行動のスピードに変わるかわからない。


 どうする?

 このままでは・・・・


 シャノンはしがみついてくるユーリの腕に、指文字を書いた。

『大丈夫だ。俺はここにいる。背中の荷物を下ろすから、一旦手を離すぞ。』


 重い荷物を背負ったままの2人を抱えて逃げることなどできない。

 せめて、背中の荷物だけでも下ろさせなければ。


 シャノンはユーリを安心させるため、体のどこかを常につかみながら背中の荷物を下ろさせた。

 この頃にはユーリも少し冷静さを取り戻してきたようで、シャノンの腕に指文字を送ってきた。

『ここはどこ? 何がどうなってるの?』

『何もどうもなっていない。森の中だ。2人がちゃんと立てないだけだ。だがゲルドグが近づいてきている。俺が抱えて逃げる。』

 ユーリはまたシャノンの腕にしがみついてきた。


『上も下もわからない。あなたの腕だけがわかる。』

 指が恐怖に震えている。


 体はここにいるが、精神だけが魔界に閉じ込められたということだろうか?


 だが・・・。その精神は、まだちゃんと肉体とつながっている。抜けてどこかへ行ってしまったわけではない。

 俺が体を抱えて結界の外まで逃げることができれば・・・。


 両手が2人の体で塞がれば糸をたどるのは足でやるしかないが、それでも俺ならなんとかできるだろう。

 あのゲルドグのスピードが今のままならば、の話だが。


 シャノンはテルクにも荷物を下ろさせるようにユーリに伝えたが、返ってきた返事は異常なものだった。

『うるさ過ぎて何も聞こえないの。テルクはどこにいるの?』


 なんだって?

 彼らをパニックに陥れているのは、俺には聞こえない「音」なのか?


 シャノンはユーリを安心させるように状況を指で知らせ、手を離した。

 テルクの手をユーリのベルトから無理やり引き剥がし、背中の荷物を剥ぎ取る。


 ゲルドグの臭いが強くなってきた。

 あれが「魔獣」だろうか?

 ヤツはなんらかの「音」でユーリたち2人の感覚を狂わせているのだろうか?


 ゲルドグは、ゆっくりではあるが確実にこちらに向かっている。

 我々3人の存在を捕捉しているのは間違いない。


 弩を置き捨て、2人の体を両脇に抱え込んで、シャノンは走り出した。

 足が覚えている地形を、懸命にたどる。

 糸がどこにあるかは、わからない。



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