24 噂話
それから数日間、シャノンとユーリとテルクの3人は王都に留まった。
情報を集めるためである。
その間にも、カリンドア大臣の招集に応じた冒険者たちが、次々に西の黒い森へと旅立っていった。
腕に覚えのある者。
賞金の額に釣られた者。
そんな中で3人は街の噂を集めて回っている。
こういう時、テルクはあまり警戒されずに話を引き出すのに役立った。
とにかく、よくしゃべるのだ。しかもその中身に悪意がない。詐欺に出会えばあっさり騙されそうな無防備さが、かえって人を安心させていろんな話を引き出せた。
一方、ユーリは宮廷内であったことを——特にウリル大臣との話は——テルクには一切話していなかった。
どこでテルクが迂闊なことをしゃべってしまうかわからないからだ。
もっともあの日、テルクはなぜかいろんなことにうわの空で、宮廷でのことを全く聞こうともしなかったのだが——。
街の中で聞く噂は、あまり歓迎できるものではなかった。
誰も帰ってこない。
西の森に向かった冒険者は・・・。
「あんたたちも冒険者なのかい? やめといた方がいいよ。命は大事に使うもんだ。」
大衆向け定食屋のおばさんはそんなふうに忠告してくれた。
「あのおばさん、スリーセンスのこと知らないんだな。」
テルクは店を出てから、我慢していた言葉を口に出した。彼にとって、思っていることを口に出さないというのは、かなり努力のいることのようだ。
西の森の魔獣については、これといった新しい情報は何も得られなかった。
三つ目の巨人だとか、姿の見えない悪霊だとか、眉唾ものの噂話をまことしやかに語るやつがいたくらいのものだ。
誰も戻ってきてないんだから、誰も見たことがないだろうに——。
王宮については、それなりに庶民の間にも噂話は出回っていた。
それらを総合してみると、どうやらウリル大臣の言っていた「カリンドア大臣は飛ぶ鳥を落とす勢い」というのは本当らしい。
大臣の私邸も規模こそ小さいが、宮殿に勝るとも劣らない贅を尽くした豪華なものだという。
建設や商業など、国の経済を回す分野の許認可権を一手に持っているかららしかった。
昨年、軍を握っていたシーゲル・バシイ卿を失脚させて、息のかかった若い国防大臣に替えてから彼に敵する者はいなくなったらしい。
テルクにはこうした情報収集も、王都見物とあまり区別がついていないようだった。
「美味しいプリスプ屋さんがあるんだよ。そこも行ってみようよ。」
ユーリとシャノンは苦笑いした。
なんでもユーリたちが宮廷へ行っている間に、すごい美人に街を案内してもらったとテルクは自慢していたが、そこもどうやらその時に教えてもらったらしい。
「こんにちは、タークマンさん! 今日はお師匠たちを連れてきちゃいました!」
タークマンと呼ばれた店のマスターは、きれいに刈りそろえた髭を鼻の下にたくわえた面長の30代くらいの男だった。見ようによってはイケメンに属する。
長い袖を肘まで腕まくりして、手際よくプリスプを焼いている。
「テルクさんのお師匠さん——ということは、噂に聞くスリーセンスさんですか?」
「たぶんね。そういうことになります。」
ユーリが冗談まじりで答えて会話内容をシャノンに伝えると、シャノンはマスターの顔からは少しずれた方向に見えない目を向けて愛想笑いを見せた。
「今度の魔獣退治に応募されたんですか?」
「ええ、そうなんですけど・・・」
と、ユーリはクリームだけが乗ったプレーンプリスプを2つ注文してから言った。
「ちょっとビビってるんです。」
「え?」
と、テルクが意外そうな顔をする。
「ははあ。スリーセンスさんでもビビるほどのヤツなんですか?」
「だって、どんな相手かもわからないんだもの。それで、ちょっとここでぐずぐずしてるのよ。王宮の中も、ややこしいみたいだし。」
「魔獣のことは誰もわかりません。なにしろ森に入って帰ってきた者がいないんですから。ゲルドグのような叫び声を聞いた、という近くの村人の話以外は——。王宮の噂話は、まあ割と聞きますが・・・。あっ・・・。」
タークマンさんはプリスプを3つ、3人にそれぞれ手渡しながら話していたが、あっと顔を上げて輝きを増した瞳をユーリたちの背後に向けた。
「テルクさん? あ、やっぱりそうだ。また会いましたね。」
背後からまろやかな声。
テルクがふり返って思いっきり驚いた顔をした。
ユーリもふり返ったが、シャノンはふり返らない。ふり返ったところで、シャノンには何も見えるわけではないのだ。
ただ小首を傾げている。
「皇・・・ミ、ミ、ミクリーさん?」
テルクが耳まで赤く染める。
その女性は、ユーリが見てもうっとりするような笑顔で微笑んだ。
碧色の瞳。
漆黒の髪。
すると、この女性がテルクの話していた「すごい美人」なのか・・・?
たしかに、これは・・・。
ユーリは一瞬、言葉を失う。
「今日もおひとりなんですか?」
タークマンさんが柔らかく訊ねると、女性は口元に手を持ってきて上品に笑った。
「ふふふ。」
「またですか? そのうち、お父様に叱られますよ?」
テルクは馬鹿みたいに口を開けて、嬉しそうに女性の顔を見ている。
「ミクリー・・・さん?」
ユーリは思わず問い返した。
その名は・・・。
「はい。皇女にあやかりたいと同じ名前を付けられた女の子はけっこういますのよ、この街には——。」
その美人は面白そうにそう言って、また手で口元を隠した。
そうだよな。いくらなんでも・・・。
着ているものはその辺の庶民の服だし。
ユーリが自分のとんでもない空想を恥じかけた時、シャノンがユーリの手に指文字を送ってきた。
『皇女だ。本物の。』
『え? 皇女?』
『匂いだ。以前、皇族の一般拝謁に参加したことがあっただろ。あのとき、バルコニーから降ってきた匂いの中に、この匂いがあった。』
ユーリがまたその美人を見上げて
「あなたは・・・」と言おうとしたとき、テルクが大真面目な顔になって指を口の前に立てた。
タークマンさんもニコニコ笑っている。
知っているのか? 2人とも。
知っていて、皇女のお忍びに協力している?
護衛はどうした?
いや、待てよ。さっきタークマンさんは「また」とか言ってたな。
まいたのかよ? き・・・気の毒に・・・。
こんな顔と雰囲気で・・・この人、そんなじゃじゃ馬なのか・・・?
いや、それより・・・。
テルクだ!
ユーリは思わずテルクの頭を撫でてやりたくなった。
テルク! おまえ。これほど黙ってられない性分のテルクが・・・。
よくぞ秘密を守り通した! わたしたちに対してさえ——。
えらいぞ! おまえ!