2 雨の中
空気の匂いが埃っぽさを増した。
『雨が来る』
とシャノンがユーリの手のひらに指で書く。
『うん。空が暗いよ』
とユーリも返す。
シャノンの目はかろうじて明暗だけがわかる。
そんなシャノンはユーリの導きなしでは、部屋の中を歩くことさえ簡単ではない。
だが、雨が降るとなれば別だ。
ひとたび屋外へ出れば、そこはスリーセンスの世界なのである。
『行こう。ゲルドグの臭いがする。』
シャノンがユーリの手に指で書く。
『近いの?』
『風の向きと速度、臭いの強さからして、まだ2㎞ほど先だ。』
* * *
2階から降りてきたシャノンとユーリを見て、1階に屯ろしていた冒険者たちがざわめいた。
「スリーセンスだ。」
「行くのか? この雨の中・・・。」
昨日狩りに出た4人は帰ってこなかった。
おそらくは・・・・
「雨の中だからだろう。」
50がらみの古参冒険者が言う。
「俺たちは雨に視界がさえぎられ、雨が木の葉を叩く音でゲルドグの気配すらわからなくなってしまう。
だが、あいつは違う。あいつは元々、視えも聞こえもしないんだ。」
* * *
2人が店の玄関を出てゆく。
小さなポーチの先は、土砂降りの雨だ。
手を引いているのはシャノンの方で、ユーリがそれに続く。
2人ともフード付きのレインケープを着ているだけで、シャノンに至っては靴も履いていない。裸足だ。
『いい雨だ。』
シャノンがユーリの手のひらに送る。
『指示、よろしくね。』
ユーリが返す。
シャノンの歩には迷いがない。
足元を浸す水流が微地形を教えてくれる。
どこに窪みがあり、どこが盛り上がっているのか。
アスネモの樹の花の香りが、吹き荒れる風に乗ってシャノンに届く。
顔に当たる風の強さと向きと、そして香りの強弱から、どこにその樹が何本あるかまでシャノンにはわかる。
このあたりはアスネモの樹が多い。
皮膚に当たる雨粒の量によって、樹木はどのあたりまで枝を伸ばしているか、まさに手に取るようにわかるのだ。
こんな日は、シャノンにとって世界がいつも以上にはっきりと形をとる。
それが、シャノンがユーリを先導している理由だ。
こういう条件下では、シャノンの方がユーリよりも行動能力が高い。
シャノンは裸足の足で、地面に生えている草や枯れ葉の種類まで感知する。
それによって周囲の地形や植生や、生息する小動物の生息範囲まで概ね把握するのだ。
風と匂いと雨粒によって、周囲の空間状況を把握する。
そうしてゲルドグと戦う時のフィールドを頭の中に構成しつつ、進むのである。
屋外は、特にこんな天候の日は———
スリーセンスのための世界だと言っていい。
風に乗ってゲルドグの臭いが届く。
向こうはまだ気づいていないようだ。
動いていない。
店側が風下になっているからだろう。
もちろん、ラッキーなんかじゃない。
そういう風向きになるまで待ったのである。
しかし風は息をする。
主たる方向と違う方へ渦を巻く。
そんな時、こちらの匂いがヤツに届くこともあるだろう。
ヤツは気づくに違いない。
餌が近づいてくる——と。
だが・・・。
とユーリは思う。
この餌は手強いぞ。
なにしろ「スリーセンス」だ。
おまえたちゲルドグにとっては、地獄の使者だよ?
さて。
シャノンとユーリが狩りに向かうシーン。
この部分は「視覚と聴覚に由来する言葉」無しに書いたつもりですが、いかがでしょうか。
もし気づいた点があれば、ご指摘いただければ幸いです。