16 母と子(後編)
仔と言っても、身長は人間の2倍はある。
ピギャアアアアアアア!
ピギアアアアアア!
2匹とも成獣とは違う鳴き声をあげながら斃れた母ゲルドグの傍に寄り、それからユーリたちに気付いたのか動きと鳴き声を止めた。
その目に、明らかな怯えが見える。
それでもそこに佇んで逃げようとはしない。
ユーリの目には、その姿があの時のシャノンの姿と重なった。
胸の奥から、えも言われぬ感情がえずくように上がってくる。
そうか・・・。
このゲルドグは、仔を守ろうとしていたのか。
だから・・・あんなに凶暴に・・・・。
その母の傍を離れようとしない仔ゲルドグ。
まだ幼獣だ。
しかし・・・。
幼獣とはいえゲルドグである。
襲われればひとたまりもないだろう。
こちらが餌になる。
ユーリは弩を構えた。
シャノンも地面の振動と臭いで状況を察知したのだろう。
爆裂矢をセットして、弩を構えた。
ユーリの顔が歪む。
逃げて!
お願いだから、逃げて!
しかし、仔ゲルドグは母の遺体の傍を離れようとしない。
ユーリたちに怯えた目を向けながらも・・・。
おねがい・・・。
殺らなければ殺られる。
人間とゲルドグの間には、その関係しかない。
向かってこられたら、撃つしかない。
だけど・・・・
この姿は・・・あの時のシャノンそのもの・・・。
突然。
背中に当てたユーリの膝を振り払って、シャノンが立ち上がった。
弩をやや下に向けて放つ。
爆裂矢は、2匹の仔ゲルドグの手前3メートルほどの地面に突き刺さり、そこで爆発した。
煙と共に土や苔や小石が跳ね上がって激しく飛び散った。
ピギッ!
ギィア!
立ちすくんでいた2匹は縛りつけていた何かが切れたように跳び上がって向きを変え、森の奥へと逃げ出した。
「あは・・・あ・・・」
ユーリがへたり込むようにしてその場に崩れる。
苔だらけの地面に両手をついた。
「ごめんなさい・・・」
そう口にした途端、涙と鼻水が止められなくなった。
「ごめんなさい! ごめんなさい! ごめんなさい! ごめんなさい!・・・・」
苔むした地面に向かって叫ぶユーリの背中に、シャノンの温かい手のひらがそっと置かれた。
服の上からもわかるように、大きく指文字を書いてくる。
『僕たちも、逃げよう。』
シャノンの指も震えている。
その手でユーリの手を取って、シャノンは歩き出した。
斃したゲルドグにエンブレムを付けることさえしない。
互いの手のひらに何の言葉も交わすことなく、2人は森の外へ出る道を歩き続けた。
シャノンに元気がない。
いや、ユーリだってそうだ。
指文字は交わさなくても、ユーリはシャノンの思っていることはわかる気がした。
ユーリだってそう思ったのだ。
だから、エンブレムのことは何も伝えなかった。
あれは・・・あの遺体は、あの仔たちに残しておこう。
せめて、シャノンが母を弔わせてもらえたように・・・。
やがて種々の野生動物の餌になり、苔に覆われていくのだろうが、あんな場所まで他の冒険者が行くことはあるまい。
解体されて、資源や金に換えられることはあるまい・・・。
それはただの独りよがりだ。
とは分かっている。
人はゲルドグの餌になり、ゲルドグもまた狩られて人に喰われる。
殺したなら、ちゃんと喰ってやるべきなんじゃないか・・・?
だけど・・・
シャノンのお母さんは、骨も残さず喰われてしまった方がよかったのか・・・?
神様はどうして、こんな酷い仕組みに世界を創ったのだろう?
ただ手をつないで歩き、やがて人里が近づいた頃、シャノンがユーリの手のひらに指で伝えてきた。
『あの仔らが、「人間は怖い」と学習してくれるといいけど・・・』
その指に力がない。
こんなことは、長い付き合いの中でユーリには初めてのことだった。
* * *
「明日通る道から少しそれたところに、ゲルドグが棲息しているって噂の黒い森があるんですけど・・・」
3人で宿の少し贅沢な夕食をとっているとき、テルクが地図を広げて話しかけてきた。
相変わらず嬉しそうな表情をしている。
初めて金貨の袋を持ったせいかもしれない。
「寄らないよ。」
ユーリがにべもなく言う。
通訳されたシャノンも、指でテルクへの言葉をユーリに伝えてきた。
『真っ直ぐ王都に向かう。依頼もないのに、こちらからわざわざ出向いていって狩ることはしない。』