1 盲目の聾者
文中若干「差別用語」らしきものも入りますが、それは登場人物のクズキャラ度合いを表す表現ですので、ご理解ください。
店の扉が開いて、手をつないだ1組のカップルが入って来た。
年の頃は20代前半?
背中まである長いストレートヘアの女が男の手を引いている。
女は素早い目の動きで、店の中をサーチするように視線を巡らした。
男の方の視線はどこを向いているのか分からない。
店にいた客は、ほぼ一斉にその2人を見る。
ざわついていた店内が一瞬静かになって、ピアニシモにさしかかったクラシックの曲だけがその存在を強調された。
が、すぐにまたざわざわとした雑談や食器の音に曲はかき消される。
ただそれは、2人が入ってくる前の雑多なざわめきとは違った。
「スリーセンス・・・」
「スリーセンスだろ? あいつ・・・」
「あれが・・・・」
誰もがそれぞれの目の前のテーブルの上の料理やドリンクの消費に戻ったような態度でありながら、意識はそこになく、2人の方に向いている。
ここは町外れ。
城壁のすぐ外にある煉瓦造りの頑丈な飲食店で、2階には宿泊施設もある。
店の名は『ダンタアナ』。
時々新鮮なゲルドグの肉料理が出る。ということで、城壁の中から金持ちがわざわざ食べに来たりもするが、この店がこんな場所でやっていけるのは、冒険者たちの溜まり場になっているからでもあった。
だが、それにしても店主は度胸がある。
城壁の外に店を構えるなんて。
「所詮、盲で聾なんだろ? 都市伝説だよ、ただの——。」
顎のまわりにまばらな髭を生やした男が、下卑た笑いを浮かべて片手で床に何かを転がした。
鉄鋼弾だ。テニスボールくらいの大きさがある。
上手く当てればゲルドグの甲羅のような皮膚にも穴を開けられる、という3.2インチ砲の弾だ。
それが女に手を引かれた男の、足が今まさに下ろされようとする先に転がった。
転がした男が、にやりと笑う。
女はその鋼鉄の玉を目で追っているように見えたが、特に何もしない。
手を引かれた男の方は、髭の男の目論みどおり、その鋼鉄の玉の上に足を下ろす。
・・・が、髭の男が期待したようなことは起こらなかった。
それどころか・・・
男はサッカーボールでもトラップするように鉄鋼弾を足でぴたりと止め、そのまま足を引いて靴の爪先に乗せると、ふわりと空中に足を浮かせた。
鉄鋼弾は吸い付いたように男の脛まで転がり上がる。
そのまま体を捻って、ミドルキックでもするように足を振る。
鉄鋼弾は脛から足の甲へと滑るように転がり、発射台から放たれるみたいに髭の男の顔面へと飛んだ。
ガッ! と音がしてまばらな髭を生やした顎が天井を向いた。
顎髭の男は椅子ごと仰けにひっくり返った。
そのままピクリとも動かない。
鼻から血が噴き出す。
どうやら昏倒しているだけで、呼吸はしているようだ。
男の手を引いている女が、少しだけ嘲るような微笑を浮かべた。
「あ〜あ。バカな奴がいるもんだ。」
「見かけない顔だな。」
「鼻が折れてる。ムチウチもいったな、こりゃ。」
「しばらくは稼げねーな。」
「賞金に釣られただけの、モグリのシロートじゃねぇの?」
傍観していた他の冒険者たちが口々に言いながら、のびた顎髭の男を引きずって部屋の隅に片付けた。
片付けながら、手を引く女の方に媚を売るように、ひょこっと頭を下げる者もいる。
女はにこりと微笑みを返し、男の手を取ったまま、カウンターまで行って店主に話しかける。
「上、空いてる?」
「もちろん。」
店主はそう言って、女に鍵を渡した。
「あと何か食べるものを。ドリンクも付けて。あ、アルコールはダメよ。それは帰ってから。」
「承知しました。」
2人はカウンターの椅子に座る。
男の名はシャノン。
女みたいな響きの名だが、無駄のないスレンダーな筋肉の持ち主だ。
が、彼は滅多に本名では呼ばれない。通り名の「スリーセンス」で呼ばれる。
盲目で聾者。声は出るが、当然話はできない。
持っている感覚は、触覚、味覚、嗅覚、の3つだけ。
だから、スリーセンスだ。
女の名はユーリ。
シャノンの通訳。兼、相棒である。
「本当は見えてんじゃねーの?」
あまりにもスムーズな動きに、店内にいた誰かが言った。
「いや、間違いなく見えてないし聞こえてない。あの女がいなけりゃ、他人と意思疎通もできねーんだ。ああやって手を繋いでるのは、仲のいい恋人だからじゃねぇ。手のひらに指で何かのサインを送り合って会話してるらしいんだ。」
50がらみの古参らしい冒険者が言った。
「それでいて、あの2人は王国一の冒険者チームだ。狩ったゲルドグの数は、俺の30年の戦果より多いんだぜ?」
「俺は一度だけ、あいつらの狩りを見たことがあるんだ。普通じゃねぇぜ。あんな至近距離でよ。」
ゲルドグは冒険者たちの獲物でもあるが、同時に冒険者はゲルドグの餌でもあるという捕食関係だ。
冒険者などという稼業は、並の神経で務まる仕事ではなかろう。
自らを生き餌にして、それを狩るのだから——。