82、誤解とイラつき
「今、なんて言ったの?」
私は、彼の口から出た言葉を聞き間違えたと感じて、聞き返していた。
「私は、今も、レイラ様の婚約者ですよ」
アルベルトはそう言うと、ふわっと柔らかな笑みを浮かべた。ホッとしたような顔にも見える。
(どういうこと!?)
「私、アルベルトに婚約破棄を言い渡したわよね?」
「ですが、私は承諾していません。レイラ様はスタスタと行ってしまわれましたが、あの時、私は、今後は決して他の女性の誘いは受けないと誓いました」
「聞こえてなかったわ。だけど、そんなことを誓ったとしても、あれだけ大勢の前で、しかも公爵家のあの女性がいる前で、私は貴方に言い渡したのよ? 発した言葉は消えないわ」
あんなことを言うつもりじゃなかったのに、私は妙な意地から、心にもないことを言ってしまった。
「あの時の私は、正しく理解できてなかったようです。私がレイラ様を裏切ったとき、当主様から追放されると聞いていました。だから、何も問題はないと思っていました」
アルベルトは、少し恥ずかしそうな顔をしているように見えた。こんな話をしているのに、彼の表情が緩んでいることに、私は少しイラついてきた。
「アルベルトは、何をわかってなかったというの?」
「今回は証人が居なかったから、レイラ様自身が当主様に直接訴えない限り、婚約破棄は成立しないそうです。私は、それを知らなかったのです」
「証人だらけだったじゃない!?」
私が強い口調で反論すると、アルベルトの表情は少し固くなった。
「レイラ様、多くの貴族では、地位が高い者が複数人がいる前で宣言することで、婚約破棄は成立するようです。しかし、ハワルド家のような暗殺貴族では、様々な陰謀があるため、婚約破棄には、当主様の許可が必要となると聞きました」
「そんなの知らないわ」
「私も知りませんでした。ですが、あの騒動の後、レイラ様が倒れられた。私は当事者として、その騒動を見ていた方と一緒に、ある方に呼び出されました」
「べ、別に、倒れたのは……」
婚約破棄のせいではない、とは言えない。
私がハワルド家の特有能力の発動を抑え込んで、そのまま転移魔法陣を使ったから、なんだか変なことになったと説明を受けた。
幼い頃ならまだしも、もう大人なのに、あんなことになったのは、私が精神的に強いダメージを受けていたせいだ。
「いろいろと誤解させたまま放置していたことをお詫びします。申し訳ありませんでした」
(ちょっと待ってよ)
アルベルトは、前国王様の子なのに、私にそんな風に頭を下げるなんて……。
でも、これでいいのかしら。彼の気持ちはスッキリしたはずだもの。アルベルトに口止めをした人物は、尋ねなくてもわかっている。
(シャーベットね)
口止めした理由はわからないけど……いや、わかるわ。きっと、私がわがまま放題だったからだわ。
「それで、シャーベットが常にアーシーを私のそばに付けていたのね。たぶん、アーシーは何も知らない。シャーベットは、私を監視していたんだわ。腹黒いわね、やっぱり薬師だわ」
「えっ……あはは、どうなのでしょうね」
アルベルトは、何だか意外そうな顔をしている。事実を明かすと、私が怒り狂うとでも思っていたのかしら。
どうして、こんな私のような悪役がピッタリすぎる娘のことを、愛しているなんて言ったの? 初恋って……。
「あー、もう! いろいろとムカつくわね!」
「申し訳ありません……」
「アルベルトが謝ってばかりなのが、ムカつくのよ!」
(何を言ってるの、私……)
私自身にもわからない言葉に、アルベルトは首を傾げている。だけど、必死に考えようとしてくれているみたい。
何だか急に、すっごくイライラしてきちゃった。湖に霧が出てきたせいかしら。
「じゃじゃーん! 見てみてー」
私の目の前に、とても小さな背中が見えた。手に乗りそうなくらいのこびとサイズ……手でパァンと潰せそうなこびとサイズね。
私とアルベルトの間に入り、私には背を向け、アルベルトに何かを見せている。
「あの、精霊『氷花』様……。レイラ様にお尻を向けた登場というのは……」
「む? いいのいいの。そんなことより、ちゃんと見てよーっ! 綺麗な羽根でしょ? これを箱に付けてほしいの」
(うぷっ)
こびとサイズの湖の精霊は、アルベルトが見えやすいようにサッと後退し、私の鼻に激突した。目に精霊の羽が突き刺さりそうでコワイ。
「ちょっと! 痛いんですけど!」
「あら、変な子も居たのね」
「はい? 私が見えてなかったというの?」
「見えてなかったよっ。この湖にゆかりのない子なんて、見えないもん」
「はぁ? 湖の精霊でしょ? 毎年、氷花祭で誕生日を祝ってもらってるんでしょ? 私は、氷花祭の警護のミッションを受けたんだからね」
「ふぅん、変な子がいなくても、氷花祭は毎年やってくれるのよっ」
(この精霊……)
ツーンと知らんぷりをして、アルベルトに何かを見せている。私の顔に近づいているのは、私に見せないためね。
顔を動かすと、湖の精霊も動く。夏の蚊なみに、ウザいわね。蚊よりも大きいから外さないわ。パチンと潰してやろうかという気になってくる。
「精霊『氷花』様、対岸の井戸が凍っている件ですが……」
「それなら今日溶けるよ。昨夜は氷のゴーレム達にも、お酒を分けてあげたのーっ。でね、綺麗な羽根が落ちてるって言うから、探してもらってたのーっ」
(いい加減にしなさいよ?)
氷のゴーレムが眠らなかったのは、湖の精霊のせいじゃない! 私達をここに呼びつけたのは……ん? 氷の花を見つけさせるため?
(痛っ!)
おでこを蹴られた。しかも、アルベルトが見てない一瞬の隙をついたわね?
「そうでしたか。じゃあ、もう大丈夫なのですね」
「うん、そんなことより、箱はいつできるの? シュワシュワな林檎酒は?」
「それは、レイラ様にお尋ねください。私には、よくわからなくて」
すると湖の精霊は、くるりと私の方を向いた。その手には、純恋花の導きの光に似た、白い羽根が握られていた。
「変な子、いつできるの? 私の箱の色は、この羽根に合う色にしなさいよねっ」
「精霊『氷花』様、いえ、氷花ちゃん。そんな嫌な言い方をするなら、正方形じゃなくて丸い巣箱にするわよ!」




