75、様子のおかしいアルベルト
「チャンス、というのは?」
いつも鋭いシャーベットなのに、ピンときてないみたい。だけど、アーシーは、私の考えに気づいたのかな。微かに頷いたように見える。
アルベルトは、やはり喋らないし、反応が薄い。
「シャーベット、私が造る施設では、大勢の人が働くでしょ? 敷地内に食堂があると便利じゃない?」
「まぁ! では、料理長のハンスさんを?」
「ええ。惜しむ声が多いなら、しばらくは行き来してもらってもいいかもね。施設の食堂から、この宿が忙しい時間に手伝いに行く、という形なら、年齢なんて関係ないわよ」
シャーベットが、しーっと指を立てた。料理長らしき足音が近づいてくる。別に、聞こえてもいいのに。
「レイラ様、そろそろ、デザートをご用意してもよろしいでしょうか」
「ええ、お願いするわ。料理はとても美味しかったわよ」
「ありがとうございます。デザートで台無しにしてしまわないことを、湖の精霊様に祈ります」
料理長はそう言うと、テーブルの片付けを始めた。
(これは、スカウトのチャンス?)
だけど、シャーベットは首を横に振っている。筋を通すタイプなのよね。まぁ、先にオーナーに話すべきことではあるけど。
チラッと、アルベルトに視線を向ける。
(どうしたのかしら?)
ずっと静かだし、反応も悪い。まさか、体調が悪いのかしら? でも、林檎酒は飲んでいたわよね。アルベルトは体調が悪いときは、お酒は飲まないわ。
「お待たせいたしました。例のパイが焼き上がりました」
大きなワゴンで運ばれてきたデザートは、とても大きかった。しかも、まるで絵画のように美しい。
「立っていいかしら? いいわよね? よく見たいもの」
私は立ち上がって、テーブルに置かれたパイを眺める。パン屋で話していたときの料理長の意気込みが、そのまま反映されているような素晴らしい出来だわ。
チラッと料理長に視線を向けると、緊張しているように見えた。個室の外にも、他の料理人が来ているみたい。
「夕日に染まった湖ね。湖面がキラキラと輝くように見えるのは、ノースオレンジだけじゃなくて、ベリーも使っているわね。本当に絵画のようだわ。料理長、貴方ってば天才ね!」
「いやぁ、あはは、厨房の皆で作り上げたんですよ。ベリーは、レイラ様から教えていただいたように、少し甘く煮てから使いました。色が鮮やかに出ます。甘すぎないように、パールライムを焼き上がり後にふりかけました」
「とても爽やかな香りだわ。食べるのがもったいないわね。こんなに大きいなら、4人でも食べきれないかも。残ったら夜食にしようかしら」
私が大袈裟に騒いだことで、料理長や個室を覗いていた料理人達が笑顔を浮かべた。
食事中に立ち上がる非礼は、少し子供すぎるかと思ったけど、これくらいしないと感謝は伝わらないもんね。
チラッとシャーベットにも目配せをすると、彼女も立ち上がって、私のそばに移動してきた。
「本当に、絵画のようですね。湖面がキラキラと輝いているようで、本当に食べるのはもったいないわ。アーシーさん、記録の魔道具を持ってない?」
「あ、はい、あります」
アーシーは緊張した顔で、魔法袋から小さな魔道具を取り出した。シャーベットはそれを受け取り、パイに魔道具を向ける。魔道具から光が出てきた。
(写真みたいなものね)
「おお! それは……」
料理長は、その魔道具を知っていたみたい。
「ええ、王都で買ったの。錬金術師が創った記録装置よ。王都にいけば、この魔道具で記録した物を紙に複製してもらえるわ。料理長にも、1枚差し上げますね」
「そのような貴重な記録魔道具を使っていただけるとは! 紙に複製すれば、絵のように見えますな」
(すっごく嬉しそう)
写真という技術があれば簡単なのにな。この魔道具は、魔法を使って記録するから、使える人も限られていて、とても高級品らしい。
でも、さすがシャーベットね。この魔道具を使った記録は、絵画のような美しいパイを作ってくれた彼らに対する最高のお礼になる。
「では、そろそろ、切り分けてもよろしいでしょうか」
「ええ、お願いするわ」
私は、シャーベットに促されて、席に座った。
チラッとアルベルトの方を見てみると、穏やかな表情をしていたけど、やっぱり何だか変ね。何も喋らない。
「お待たせしました。どうぞ」
「切っても美しいわね。いただくわ」
整然と切り分けられたパイは、まるで湖のパズルみたい。バラバラにされたら、難しいパズルになりそう。
私が口に入れる瞬間、たくさんの目が集まっていた。
「わっ! 甘ずっぱくて美味しいわ。これなら食べ切れるかも」
私がそう言うと、シャーベットとアーシーが同時にパイを口に運んだ。二人とも目を見開いている。甘いパイが苦手なアルベルトも、静かに食べていた。最後にふりかけたというパールライムの香りが、とても爽やかにまとめている。
「本当ね。こんなに美味しいデザートパイは、初めて食べたわ。ノースオレンジとベリーの組み合わせも絶妙ですね」
シャーベットは、もう二つめに手を伸ばしている。私も負けてらんないわね。
「紅茶のおかわりを用意してまいりますね」
料理長は、軽く会釈をして、ワゴンを押して出て行った。頭が上機嫌に左右に揺れている。
「レイラ様、先程の件は本気ですか」
シャーベットは、いくつめかわからないパイに手を伸ばしている。食べやすい大きさに切り分けられているとはいえ、ちょっと食べすぎじゃない?
「ん? スカウトの話?」
「ええ、もし本気でお考えなら、オーナーに打診してみなければなりません」
(シャーベットは、やはり筋を通すのね)
「もちろん、本気だよ」
「わかりました。では、私達は先に失礼して、オーナーに話をしてきます。ごゆっくり」
(へ? ごゆっくり?)
シャーベットはそう言うと、アーシーを連れて、個室から出て行った。私はアルベルトと二人っきりだわ。
アルベルトの方を見てみると、やはり様子がおかしい。
「アルベルト、もしかして体調悪い?」
「えっ? いえ、問題ありません」
「それならいいのだけど……なんだか、いつもと違うから」
「えっと、服が違うからでしょうか」
そう言うと、ぎこちない笑みを浮かべるアルベルト。もしかして、緊張してるの?




