72、ほとんどサボってました
私は調合室に入って、書棚に直行した。そして、純恋花の写本を広げる。
白く輝く光は、いつもとは形も違う。なんだか、羽根のようにも見える。光の形が変わったから、その導きのページを探すのに時間がかかった。
「レイラ様、湖岸に戻られますよね?」
「うん、すぐに戻るよ」
「じゃあ、お願いしてもいいですか? 私達が運ぶと、護衛が大勢必要なので」
薬師は、私に簡易魔法袋を手渡した。写本に気を取られていた私は、そのまま魔法袋を装備してしまったけど……。
「これは何? ガツンと魔力を吸われたんだけど」
「それは、ピパプルクスという魚の卵巣を、火の魔石と銀砂の……」
「あー、もういいよ。私にはわからない変な物なのね。シャーベットから、私に渡せと連絡が来たわね?」
「はい、今、古い死体の顔の修復をされているらしく、そのための素材です」
「そっか。わかったわ」
「非常に高価な物ですので、雑な扱いはしないでください」
「わかってるわよ。普通、高価なら、盗まれないようにって言うんじゃないの?」
「レイラ様が装備した魔法袋から、誰が盗めるというのです? 装備を外して放り投げられることだけが心配です」
「そんなことしないわよ、たぶん」
(ん? 何?)
調合室にいる薬師達の視線が、なんだか冷たいわ。
そんなことより、えーっと、あったわ!
白く輝く羽根のような光の導きは……。
『軽きモノを求めるなら、重き花と共に。慎重であることより、直感に従うことが大切』
(また、意味不明ね)
軽いものって何? 重き花? 花って普通は軽いわよね? サーフローズでさえ軽かったもの。
とりあえず、慎重になりすぎないようにということかしら。私は基本的に直感で動くタイプだから、いつも通りってことね?
私は書棚に写本を戻し、純恋花の光をもう一度、見てみた。湖の精霊と話していたとき、側にいたのかしら?
そう考えた瞬間、白い光は、一度だけ瞬いた。
(えっ? 今のは返事なの?)
◇◇◇
「シャーベット、何かよくわからない素材を、預かってきたわよ」
私は、転移魔法陣を使って、湖岸へと戻った。氷花祭の最終日だからか、湖岸には大勢の人が集まっていた。
だけど、治療院のある対岸へ渡ると、いつもの避暑地の静けさを取り戻している。養子縁組の会がないと、こんなに静かなのね。
「レイラ様、ありがとうございます。私が掴んでから、装備を外してくださいね」
シャーベットは、魔法袋をガッツリと握ると、オッケーの合図をしてきた。まるで装備を外すと中身が暴れるかのような……暴れてるわ。
私が装備を外すと、魔法袋はまるで生き物のように、うねうねと動いた。簡易魔法袋だから使い捨てなんだけど、装備を解除しただけよね?
(何が入ってるの?)
生きた魔物を入れると、簡易魔法袋は暴れることがある。でも、素材だと説明を受けた。中身の詳細説明は、難しそうだったから、パスしちゃったけど。
「レイラ様が運んでくれてよかったわ。薬師が運ぶと、転移事故を起こしたかもしれない」
「へ? そんなに危険な物なの?」
「あら? 薬師は説明しなかったのかしら」
「難しそうだったから、パスしたの。でも、女性の修復に使う素材なのでしょう?」
「ええ、一気に仕事が進むわ。これは、ピパプルクスという魚の卵巣を……」
「シャーベット、その説明は私には理解できないから、しなくていいわ。じゃ、仕事に戻ろうかしら」
すると、アーシーが駆け寄ってきた。
「レイラ様、もう氷花祭の終わりの儀式が始まる時間です。私も一緒に行きます」
「そういえば、すごい人だったわ」
私は、アーシーからダサい帽子を受け取り、彼女と一緒に治療院を出た。
◇◇◇
「結局、ほとんどサボっていたわね」
私達は、湖が見えないほど混み合う湖岸で、迷子がいないか、一応キョロキョロと見回している。
「ふふっ、レイラ様は、ほとんど休憩されてたんですよね。焼き菓子の店やパン屋での目撃情報が届いていましたよ」
「まぁね。ノース孤児院の定宿に、入り浸っていたわね。結局、ポロくんの記憶は戻ってないし、おしり事件でマザーに睨まれてしまったし……」
「えっ? おしり事件って、何ですか?」
「話せば長くなるんだけどね……まぁ、うん、忘れてちょうだい」
「へ? ふふっ、わかりました。聞かなかったことにしておきますね」
氷花祭の終了を知らせる、笛のような音が聞こえてきた。やっと終わったみたいね。
少しずつ、帰る人が増えてきた。私達の仕事は、まだ終わらない。あちこちで迷子が泣いているけど、近くの迷子捜索の人達が対応している。
「なんだか、暇よねー」
「ふふっ、そうですね。帰る人達の、お見送り係みたいですね」
(あっ、香水をつけてないわ)
アーシーは、いつもなら変装の香水をつけている。知り合いの多いアーシーは、薬師学校の学生から声をかけられて大変なことになるためだ。
「香水はつけなくて、大丈夫なの?」
「ええ、レイラ様から離れなければ大丈夫だろうと、シャーベットさんが言ってましたよ」
そういえば、見られることはあるけど、誰も寄ってこないわね。
「どうして、学生達は寄ってこないのかしら」
「レイラ様のお顔が知られたからですよ。私がレイラ様と一緒にいるときは、学生達は近寄ってきません」
「私が怖がられてるのね」
「怖がられているのとは、少し違うと思います。レイラ様が計画されている施設のことを、薬師学校の学生達は知っています。近づくことは畏れ多いのでしょう」
「そう、なの?」
「はい。おそらく卒業生の多くが、その施設で働くことを希望しているでしょう。下手に悪印象を抱かれると不利になると考えるのですよ。薬師は基本的に、ずる賢いですからね」
「ふぅん、そっか。その感覚はよくわかんないけど、わかったよ」
しばらくすると、スノウ家の次男が、近寄ってきた。
「お疲れ様。最終日、助かったよ」
「私達は、別に何もしてないよ?」
「ハワルド家のお嬢様とハワルド家に仕える調合師が、帰路の目立つ場所に立っていたから、全くケンカや争いが起こらなかった。こんな最終日は、初めてだよ」
「ウチのアーシーは、有名人だからね」
私がそう言うと、コルスさんはゲラゲラと笑った。
(ん? 変なことを言ったかしら?)




