71、氷花祭の最終日
「えーっ? 井戸の氷は、まだ溶けてないの?」
私は、アーシーを治療院に残し、ノース孤児院の定宿に来ている。今日で氷花祭が終わるから、もうあまり来られないと、マザーに伝えようと思って来たんだけど……。
「まだ、カチコチらしいよ。見に行く?」
「子供は井戸に近寄ってはいけないのよー」
「レイラ様がいればいいんだよ」
「レン兄に叱られるよ」
(ケンカが始まっちゃったわ)
マザーは不在で、比較的大きな子供達が、部屋の片付けをしていたようだ。氷花祭が終わると、対岸のスノウ領側の宿に移るんだっけ。
「井戸に近づいてもいいのは、冷たい井戸に落ちたとしても、自力で上がってくることができる子だけだよ」
私がそう教えると、子供達のケンカはピタリと止まった。
「レイラ様は、井戸に落ちても戻って来られるの?」
「ええ、短剣1本あれば、井戸くらい簡単によじ登れるわ」
「すげっ」
「あたし、泳げない」
しょんぼりする子供達。みんな、素直ね。
(くぅ〜、かわいい)
「でも、マザーはそんなことできないのに、井戸を見に行ったよ」
「ほんとだぁ。全然運動ができない太っちょの職員さんも、見に行ったよ」
(そうきたか)
私にキラキラとした目を向ける子供達。どう説得すればいいかしら? あっ、そうだわ。
「みんな、秘密にできる?」
私は、少し小さな声でそう尋ねた。
「できるよ」
「何? 内緒話?」
子供達も、小さな声で答える。
「あのね、井戸は途中から狭くなるの。だから、太っている大人は、お腹がつっかえるから落ちないのよ」
「えっ? マザーも?」
「そうよ。マザーは、おしりが引っかかると思うわ。だから、井戸に近づいても大丈夫なの」
「へぇ、そうなんだ!」
「シッ! 大きな声を出しちゃダメ。レイラ様が秘密だって言ったでしょ」
子供達は、頷き合ってる。絶対にマザーには言わないでよ? 私が叱られるわ。
「あら? 静かね。何のお話をしていたの?」
(ひゃん!)
恐る恐る振り返ってみると、マザーや、噂の太った職員を含めた数人が立っていた。
私は改めて子供達に、シーッと人差し指を口に立ててみせた。子供達は互いにシーッと合図してる。
「マザーを待っていたのよ。この子達は、おとなしくしていただけよ」
私がそう言うと、子供達はみんな真顔でうんうんと頷いている。だけど、マザーのおしりの大きさを確かめる子もいるのよね。
「ふふっ、レイラ様は、すっかり子供達のリーダーのようですね。あっ、先生になるのかしら?」
(先生? 何のこと?)
私が首を傾げていると、マザーが近くの椅子に座った。すると、おしりを気にする子供達が、彼女の後ろに回って、コソコソと何か喋ってる。
「みんな、そんな所に座ってないで、荷物の片付けの続きをお願いね。夕食が遅くなってしまうわ」
マザーにそう言われて、子供達はパッと弾けるように散って行った。これで、おしり問題は忘れてくれるかしら。
子供達がいなくなると、マザーがクスッと笑って口を開く。
「確かに、私のおしりは井戸に引っかかってしまいそうね」
「聞こえていたのね。ごめんなさい。上手い説得方法が思い浮かばなかったのよ」
「ふふっ、上手いと思いますよ。井戸に落ちると危ないと、理屈で説明しても理解できない子が多いですからね」
(目が笑ってないわ)
「えっと、マザー達は、どこに行っていたの? もう、養子縁組の会は終わったと聞いたわ」
私は慌てて話を変えた。
「レイラ様の施設の件で、打ち合わせですよ。以前にお話していた治療院の南側の広大な土地を、所有者から譲り受けることが決まりましたから」
「へぇ、早いわね。あっ、もう時間がないものね」
「ええ、アルベルトさんの提案で、施設部分に関しては、王都から錬金術師を呼んで建ててもらうことになりました。併設する学校や宿舎は、スノウ領の学校を建てている魔導士に依頼済みだそうですよ」
「王都の錬金術師? よく呼べたわね」
「昨夜、視察に来られていたんですよ。夜盗騒ぎがあったのは、そのためだろうとおっしゃっていました」
「私も知らない情報を、盗賊が知っていたなんてね。錬金術師側から情報が漏れたのね。夜盗が暴れ回る場所なんて、彼らは建築を引き受けるかしら」
「王家に出入りする商人が漏らしたようです。ですが、夜盗のことで話が潰れることはなかったですよ。素早い対応で、ほぼ全員を捕らえたのは、ハワルド家のチカラです。また、湖全体を凍らせて氷のゴーレムを撃退するなんて、通常の魔導士にも剣士にもできないことですからね」
「あぁ、ちょっと物騒な魔道具を使ったからね」
(マズイわ)
魔道具は、まだアーシーに預けたままになっている。早く屋敷に戻さないと、私がどこかの領地を滅ぼしにいく気だと、父が勘違いするわ。
「昨夜の件で、投資の話や、新たな学校についての問い合わせが、殺到しているようです。レイラ様が、夜明けまで湖岸に立って見張っておられた姿は、多くの人が見ていたそうですよ」
(えっ……)
あれは、私が嫉妬して動く気になれなかっただけだ。ただ、ボーっと湖を見ていただけなのに。
「そう。とりあえず、宿舎から先に造ってもらう方がいいわね。ノース孤児院の子がみんな入れるように。あと、記憶を失った子達や、食事ができなかった子達は、どんな感じかしら?」
「はい、宿舎や寮から造ってもらいますね。あの子達は、少しずつですが、馴染もうと努力しています。まだ、時間はかかりそうですが」
マザーは、少し暗い表情をしている。また、自分の力不足だなんて考えてるのかも。
「学校が出来たら、元気も出るかもね。今日で氷花祭は終わるけど、私は夏休み中だから、また来るわね。宿は対岸に移るのかしら?」
「はい、対岸に用意してもらうことになっています」
「わかったわ。じゃあ、仕事に戻るわ」
◇◇◇
私は、アーシーからリュックを受け取り、ダサい帽子を預けて、一旦、屋敷に戻った。
そして、持ち出した魔道具をソッと倉庫に返して、ホッと息を吐いた。
(これでよし! すぐに戻らなきゃ)
転移魔法陣のある部屋に行く途中で、チラッと調合室を覗いてみた。何があるわけではないけど、いつもの癖だ。
(あっ! 白いわ)
純恋花の導きの光が、真っ白に変わっていた。
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次回は、8月6日(火)に更新予定です。
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