70、精霊『氷花』からの伝言
「アルベルトは、私を待っていたの?」
私の姿を見つけた彼が、ふわっとやわらかな笑みを浮かべた。私の心は、甘い期待に膨らんでいく。
「はい、レイラ様、精霊『氷花』様からの伝言です」
(何、それ)
変に期待をした私がバカだったわ。そうよね、彼の周りを飛び回っていた湖の精霊の姿はない。彼に何かの仕事を託して、今頃は氷花祭に戻ってるんだわ。
「そう、何かしら?」
「井戸の水が凍っている件です。氷のゴーレムが湖底で眠りにつくと、昼間の暑さで氷は溶けるはずだそうです。明日、溶けないようなら、明後日の朝に、スノウ領側の湖岸に来るようにとのことです」
「まだ、井戸の水は凍っているのね。でも、明日の昼間に溶けないのがわかったら、すぐに報告すれば良いんじゃないの?」
「私も、そう申し上げたのですが、明日は氷花祭の最終日だから、氷花様はお忙しいそうです」
(加護を与えるのだったかしら)
でも、そんなに長い時間じゃないはず。祭の終わりを告げる儀式のときに、湖面が揺れるだけじゃないの?
「もしかして、氷花様は、お酒を飲むのに忙しいとか?」
私がそう言ってみると、アルベルトはクスッと笑った。その笑顔に、ちょっとイラッとしてしまう。小さな精霊と親しげに、ずっと話していたものね。
「レイラ様、湖の精霊と話したのですか? ノース家とスノウ家にしか、関わらない精霊のはずですが」
シャーベットが驚いた顔をしている。確かに、ハワルド家は精霊信仰じゃないから、精霊が姿を見せることはない。純恋花様でさえ、光だけだったもの。
「話したというか、私が誘き出したというか……こびとサイズに実体化していたわ」
「あぁ、アルベルトさんが一緒だったからかもしれませんね。さぁ、少しお休みください。もう、空は明るくなってきましたよ」
「ええ、そうね」
私がそう返事をすると、アルベルトは軽く一礼をして、くるりと背を向けた。
「あっ! 待って、アルベルト」
(呼び止めてしまったわ)
振り返った彼の表情は、少し疲れているように見えた。徹夜で働いていたんだから、当然ね。
「何でしょうか? レイラ様。あぁ、井戸の件はこちらで調べます。明日の……というか、もう今日ですね。氷花祭のミッションでいらっしゃる夕方までには、結果をお知らせしますよ。氷が溶けないことはないと思いますが」
「氷が溶けなかったら、なぜ私が翌朝、湖岸に行かなきゃいけないの?」
「理由はわかりません。精霊『氷花』様が、二人で来なさいと仰っていました。施設の話の続きをしたいのかもしれませんね」
「巣箱だらけにしたいんじゃないでしょうね」
「ふふっ、どうでしょうね。では……」
「あー、ちょっと待って!」
私がまた呼び止めると、アルベルトは首を傾げた。だけど、嫌そうには見えない。
「アルベルト、夕方の報告の場所を指定するわ」
「えっ? あ、はい」
「ハワルド家がいつも使っている定宿はわかるわよね?」
「宿屋、ですか」
(ハッ! 夕方に宿に来いって……)
私は、とんでもないことを言っているのではないかしら。だけど、アルベルトはキョトンとしてる。変な意味だとは思ってないわよね?
「ええ、定宿の料理長に、パン屋で会ったときに依頼したの。氷花祭の後、パイを取りに行くって。でも、持ち帰って壊れたら困るから、その場でいただこうかと考えていて……」
「なるほど、レイラ様は、あの宿の食堂か調理室にいらっしゃるのですね。わかりました。私が行けるかはわかりませんが、使いの者に……」
「使いの人はダメよ! アルベルトが来なさい!」
(あっ、しまった)
アルベルトは困った顔をして、シャーベットに視線を移した。そうよね。宿屋に来いって、おかしいわよね。
「じゃあ、私達もご一緒しましょうか。私も夕方まで居ますよ。治療院での修復の手伝いをしようかなと思っていたので。アルベルトさんも、一緒にそのパイを食べましょう」
シャーベットがそう言うと、アルベルトはふわっと笑みを浮かべた。私と二人きりじゃなくて安心したのね。
「わかりました。では、夕方に」
アルベルトは、また軽く会釈をすると、スタスタと離れて行った。
「レイラ様、宿屋に男性を誘うのは、妙な誤解を生みます。そのうち、そのあたりのことも教えなきゃいけないわね」
(シャーベットはお母さんみたいね)
「お説教ならいらないわ。早く仮眠しなきゃ」
私は、わざと不機嫌な表情をつくり、治療院へと入っていく。でも、シャーベットがいなきゃ、きっとアルベルトは断ったわよね。
◇◆◇◆◇
「レイラ様、おはようございます。起きてください」
アーシーの声が聞こえる。でも、まだ眠いのよ。
「レイラ様、スノウ家のご子息が来られていますよ。氷花祭のミッションの受付時間が、もうすぐ締め切られるそうです」
「えー? お昼までに行けばいいんでしょ」
「もう、お昼です!」
(えっ? ほんと?)
私は慌てて飛び起きた。服は着替えなくていいように、ミッション用の軽装を着ていてよかったわ。
泊めてもらった治療院の部屋から出ると、部屋のすぐ前には、スノウ家の次男がいた。私の顔を見て、なんだか驚いた顔をしてる。
「おまえ、髪ぐちゃぐちゃだぞ」
「あっ、失礼。飛び起きたとこだから」
手ぐしで整えていると、彼は黄色いダサい帽子を私に被せた。
「受付時間を過ぎているから、特別に持ってきてやったんだぞ」
「また、迷子捜索?」
「あぁ、よろしく。それから、昨夜は、ウチの兵達を助けてもらったんだよな。ありがとう。俺は、最終日の準備のために、屋敷に戻っていたんだ。悪い」
「別に助けたわけじゃないわ。私は、私の利益を守ろうとして動いただけよ」
「そうだろうけどさ。でも、レイラさんがいなければ、氷のゴーレムにあちこちを破壊されたと思う。俺がいても、止められなかったしな」
「コルスさんは、かなり強いじゃない。まぁ、昨夜の件は、私への嫌がらせもあるかもしれないから、気にしないで」
「本当に、イブル家が来たんだな」
「ええ、姿は見てないけどね。まぁ、遭遇したら殺すけど」
「そ、そうか。じゃあ、最終日、よろしくな」
(あっ、怖がらせちゃった)
スノウ家の次男は、引きつった笑顔で、治療院から出て行った。




