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52、風景画のようなパイ

「は? ハワルド家のお嬢様が、こんな場所にいるわけないだろ。だから、変な帽子を被った冒険者がウロウロしてるんだ」


 そう言いつつも、3人の表情は青ざめていく。


 アルベルトが私の名前を出したのは、もっと大きな抑制効果を考えてのことだったのかもしれない。対岸では祭をしているし、ノース領側では養子縁組の会をしている。


(アルベルトは策士だもんね)


 平民の姿をしたハワルド家の娘が、湖岸をウロウロしているという噂が広がれば、両方のイベントはきっと、今よりも安全になる。コソ泥には効果はないだろうけど、貴族や名のある盗賊には、大きな抑制効果がありそう。



「アナタは、随分と頭が悪いのね。私が素顔をさらしていたら、多くの貴族が警戒するじゃない。祭の楽しい雰囲気を潰してしまうでしょう?」


「あ、あぁ? いや……」


「ミッションは、スノウ家の次男に頼まれたから受けたのよ。コルスさんとは、スノウ剣術学校でクラスメイトなの」


「えっ、スノウ家の……」


「それから、パラライト家に仕える、アロン・ロジックさん? 私は個人的に、パラライト家は嫌いなのよね。パラライト家には気の合わないお嬢様がいるから、パラライトという名を聞くだけで、イラっとしてしまうわ」


「は、はぅ……」


「それから、何? 孤児の何に気をつけなければならないの? まともな人間に育たない? どの口が言ってんの? アナタ達のようなくだらない大人より、この子達の方が、百倍マシだわ!」


 ここまで、私は一気に話した。


 まさかパン屋の店内で剣は抜けない。だから、少しだけハワルド家の特有能力を使った。3人だけをターゲットに選び、威圧の中で最も弱い覇気だけを使っておいた。


(あっ……しまったわ)


 彼らの私を見る目が、ガラリと変わった。それに、チビっ子達の視線も、私に集まっている。


 私の身体から、変装の香水の匂いが消えちゃった。




「あっ……貴女は……」


 店内にいた別の男性客が、声をあげた。


(知らない顔ね)


 私は覚えてなくても、私の素顔は、湖岸に避暑に来る貴族には知られているのかも。幼い頃から10歳までは、何度も来ていたっけ。


「変装の薬の効果が切れてしまったかしら」


「はい、大きく成長され、美しくなられましたね、レイラ様。私は、湖岸に来られたときにご利用いただいていた宿屋の者でございます」


 そう言って、帽子を取った男性の頭には記憶がある。つるんと見事にハゲた頭に、大きなシミのようなほくろがある。


「あっ! 食堂のオジサンね。えっと、料理長かしら?」


 私がそう言うと、彼はとても嬉しそうに笑った。


「はい、料理長をしております。毎年レイラ様が来られるのを楽しみにしておりました」


「そんなことを無理に言わなくていいわ。私はいつも迷惑をかけていたのよね」


「いえ、本当に楽しみにしておりましたよ。レイラ様はいつも、驚くような提案をされる。それに応えることができたときのお嬢様の満足げな笑みは、まるで精霊様のようでした」


「よく、パイを作ってと、無理を言っていたわね。あっ、でも、アナタが作ってくれた甘いベリーのパイは、今も屋敷で作らせているのよ。少しレシピは変えたんだけど」


「おお! あれは美味しくできましたよね。我ながら大成功だと自負しておりました。どう変えられたのでしょう?」


「ベリーを少し甘く煮てから挟むのよ。アナタは、フレッシュベリーを使っていたでしょう? 煮てから使う方が、色が綺麗なの」


「ほう! この店のジャムパンの中身のような感じですな?」


「そこまで煮詰めないわ。あっ、ジャムのようなものを使ったパイも美味しそうね。いろいろな色のジャムを用意すれば、一枚のパイでいろいろな味が楽しめるわ」


「それならば、絵画のようなパイもできそうですね。簡単な風景画なら可能だと思います」


「料理長、アナタは芸術家ね。素晴らしいわ! この美しい湖のようなパイはできるかしら?」


 そう提案すると、彼は目をキラキラと輝かせながら、少し考えている。そして、ポンと手を打ったときには、自信に満ちていた。



「レイラ様、朝の湖は難しいですが、夕方の湖なら可能です。この湖の近くで採れるノースオレンジが、夕日に染まった湖の色に似ていますから」


「素敵ね! 私は、対岸の氷花祭の期間中のミッションを受けているの。その期間中に、夕方の湖のパイはできるかしら?」


「明日には素材は整います。試行錯誤の時間をいただき、明後日には完成できるかと」


「そんなに焦らなくていいわよ。その代わり、素敵なパイを期待しているわ。そうね、対岸の氷花祭が終わってから、アナタの務める宿に行くわ」


「かしこまりました! それだけ時間があれば、いくつか試すこともできます。ご期待に添えるよう頑張りますよ。じゃあ、お先に失礼しますね。厨房の者達にも声をかけなくては!」


 彼はイキイキとした表情で、急ぎ足で店を出て行った。幼い私の無茶振りを、彼らは楽しんでくれていたのね。




「ハンスさんがあんな顔をするなんて……」


 パン屋の店員が少し驚いた顔をしている。


「いつもは違うんですか?」


「えっ? あー、はい。パンについて、厳しく叱責されることも少なくないのです。当店の店長は、ハンスさんのお父さんの弟子だったので、まだまだ未熟だと思われているようで」


「へぇ、そうなのですね。でも彼は、少なくとも7〜8年前から、この店を認めてますよ? 私にこの店を紹介してくれたのは、彼ですから」


「まぁ! 店長に言っておきます。きっとすごく喜ぶと思います」


「ええ、それがいいわ。そういえば、料理長が作る焼き立ての塩パンは、絶品だったわ。あれを食べるために、母は、あの宿を利用していたのだと思う」


 この店には、あのシンプルな塩パンは置いてない。


「他のお客さんからも、よく言われます。ただ、店長には、あれは作れないようです。あの味を出すのは、とても難しいらしくて」


「そう。シンプルなものほど難しいのね」



 この長いやり取りを、チビっ子達はジッと聞いている。すごい忍耐力ね。一方で、さっきの3人はずっとオロオロしてる。


「じゃ、みんな、整列して。宿まで帰るよ」


「「はいっ!」」


 ビビる3人を無視して、私達はパン屋を出ていった。



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