21、ノース領の治療院へ
「まだ、あまり話さない方がいい。今は、ゆっくり眠って、身体を治すことです」
スノウ家の次男は、初老の女性に優しい言葉をかけつつ、暗い顔をしていた。正義感の強い彼は、怒りに震えているみたい。
「カルロスさん、早くお母さんを休ませてあげる方がいいわ。私の屋敷にいらっしゃい。迎えを呼ぶわ」
「えっ!? ハワルド家のお屋敷ですか……」
(あれ? 怯えてる?)
まぁ、仕方ないか。ハワルド家は暗殺貴族だもんね。でも、狙われている薬師にとってハワルド家の屋敷は、一番安全だと思う。無謀な襲撃者は頻繁に来るけど、裏庭で、すべて始末されるもの。
「レイラさん、ハワルド領までは少し距離があるだろ? 転移魔法は、距離が長いと身体に負担がかかるよ」
「転移魔法って、疲れるの?」
「疲れるよ。身体の表面がマナに包まれるだろ? 体内のマナが少ない人は、息苦しくなることもある。こんなに衰弱してる人には厳しいよ」
(へぇ、知らなかったわ)
「コルスさんって、物知りなのね。ハワルド家の屋敷なら、絶対に安全だと思ったんだけど……」
「確かに、この事件に絡んでるイブル家から身を隠すには、ハワルド家の屋敷ほど安全な場所はないと思うけどね。ここから近いスノウ領の薬師院で……いや、逆に危険か」
スノウ家の次男は、頭を抱えてしまった。スノウ領の薬師ギルドが襲撃によって全焼したって言ってたもんね。
「あの……」
カルロスが遠慮がちに口を開く。
「カルロスさん、どうしたの?」
「あ、はい。アルベルト様が、ノース領の治療院に泊まる手配をしてくださいました。まさか、こんな状態だとは想定してませんでしたが、ノース領の治療院は治癒魔導士が運営しているから、ここよりは安全だとおっしゃって」
(さすが、アルベルトね)
「えっ? ノース領の治療院は、貴族専用では?」
スノウ家の次男が、目を見開いてる。
「はい、そうなんですが、僕はノース家で雇われているので、アルベルト様が使用される専用室を使わせていただけると」
「それなら安全だね。じゃあ、移動しようか。この人数でも、正確な位置に転移できるから安心して」
すると、カルロスが慌てた。
「コルス様にそんな……転移の魔道具があるので帰還も……」
「転移の魔道具は、ノース家の屋敷が着地点でしょ? 気にしなくていいよ。俺としても、ノース領の治療院に行ってみたい」
(ちょっと悪い顔をしてるわね)
スノウ家の次男としては、ノース領の中心地に入るチャンスだもんね。
隣接するスノウ家とノース家は、あまり仲は良くない。スノウ家の方が爵位は上だけど、今ではノース領の方が発展してるからかな。
(私も行ってみたいかも。それに……)
この場所での会話は聞かれてるみたい。空に浮遊する不自然な綿毛。あれは、暗殺者ギルドに出入りするアサシンがよく使う魔道具だ。
薬師を全滅させると言ってる愚か者は、相当、執念深いわね。イブル家だけでなく、他にも依頼してるらしい。
(スノウ家も、狙われてるかも)
「じゃあ、治療院に行ってみましょう。私も見てみたいわ。私の恩人の薬師を預けるわけだから、ハワルド家からも警護を出そうかしら」
「ええっ!? そ、そんな……」
ここにいる全員が目を見開いた。それと同時に、綿毛がスッと消えた。ふふん、これでもう、彼女のことは諦めたかしら。
「近衛魔導士さん、お願いできる?」
「は、はい! もちろんです」
初老の女性は、カルロスに抱きかかえられ、私達は転移魔法の光に包まれた。
◇◇◇
「レイラ様、本当に貴女という方は……」
ノース領の治療院のロビーに入ると、なぜか、呆れ顔のアルベルトがいた。スノウ家の人達を連れてきたからかな。
「あ、アルベルト様! あの、母さんが……」
慌てて説明しようとしたカルロスに、アルベルトは優しい笑みを浮かべている。
「事情は、貴方が持っていた魔道具を通じて、聞かせてもらいました。そのままでは辛いでしょう。すぐに案内させますね」
「えっ? あっ、通信の魔道具を切ってなかった。す、すみません」
「大丈夫ですよ。さぁ、早くお部屋へ」
(きっと、盗聴ね)
私もついて行こうとすると、アルベルトが手で制した。スノウ家の次男はついて行ったわよ?
「何? 私も見ておきたいわ」
「レイラ様、綿毛をつけて病室に入る気ですか?」
「綿毛? 居なくなったよ?」
「ちょっと失礼」
アルベルトが急に距離を詰めてきた。彼の手が私の肩に触れ、そして……彼の顔がだんだん近づいてきて……。
(きゃあぁ〜、まだ心の準備が)
ボウッ!
(ん? 何の音?)
彼の視線を追って、左側を見てみると……消えたはずの綿毛の魔道具が、アルベルトの手のひらで燃えていた。
「あっ、綿毛の魔道具! 私の髪についてたの?」
「ええ、だから、そう申し上げておりますが。何を勘違いして慌てていたのですか」
(ひぇっ、気づかれてる)
「べ、別に何も慌ててないわ」
即座に否定したのに、アルベルトはクスッと笑ったように見えた。気のせいかもしれないけど。
◇◇◇
「質素な部屋ですね。あっ、変な意味ではなくて」
「コルスさん、貴族用の他の病室は、付き添い用の家具を置いていますよ。ここは、私が非常用に確保している部屋なので」
「なるほど、参考になります。治癒魔導士は、すぐに来るのでしょうか」
(完全に、調査目的ね)
スノウ家の近衛魔導士まで入ってきて、キョロキョロしてる。兵は、部屋の外に立ってるけど。
「ええ、すぐに来ますよ。我々は、そろそろ退出しましょうか」
(ちょっと待って)
アルベルトは盗聴してたのなら、なぜ、誘拐された坊やの話をしないの? このままだと、彼女は孫を心配して眠れない。
「アルベルト、半月前に殺された薬師の子が、誘拐されたみたいよ。ノース領で起こった誘拐事件だよ」
「そのようですね」
「は? それだけ? 探し出して助けなきゃ! カルロスさんの甥っ子だよ?」
「レイラ様、それはできません」
「どうして? 使用人の家族だよ?」
「それは、幼い少年の運命です。私達が関わるべきことではありません」
「何それ? 私の恩人の息子だよ? ノース家には見つけられないのね?」
(あっ、マズい)
アルベルトの表情から、スーッと笑みが消えていった。




