chapter9:会えないのに、再会
僕の部屋からユキミがいなくなって、何か変わったかというとほとんど変わらない。僕がまた、部屋の真ん中で堂々とタバコを吸うようになったことくらいだ。
それなりにバイトしながら、大学も卒業した。必要以上に人と関わらないところも、何もかもすっかり元通りだ。そう、何かを失くしたわけじゃない。元に戻っただけだと、そういうことにしたんだ。
去年の四月に、就職もした。でも、さすがに微塵も興味のない職業には就けなかった。大企業ではないが、何店舗か系列店くらいはある楽器屋。気付けば、あと少しで入社から一年経とうとしている。そうは言っても、まだ二月。肌を刺す寒さに余計に猫背になりながら、今日も仕事へ向かう。
店長の楽器の搬入に、完全に荷物持ち要員として同行する日。大手レコード会社から、MV撮影で使う楽器のメンテナンスを頼まれている。大きなビルの中の長い廊下を、楽器と道具を持って歩く。普通の人なら、どんな有名人とすれ違うかもわからない期待でここではまわりを見ながら歩くのかもしれない。僕は無愛想にならない程度にすれ違う人に会釈しながら、あまり目を合わさないようにしていた。代わりに、喫茶店の優しいマスターのような雰囲気の店長が、隣でにこにこと僕を守るように歩いてくれる。店長には、頭が上がらない。
廊下の目立つ一角に、遠目から見ても事務所の気合いが伝わる、イチオシの新人だろうアーティストの特大サイズのポスターが貼ってあった。その目の前までたどり着く頃には、猫背でうつむき加減に歩いていた僕には、ポスターが大きすぎて左下のデビュー日しか視界に入らなかった。
『2/14 Debut』
なんだ僕の誕生日じゃん…関係ないけど、いったいどんな新人だよ、と思いふと顔を上げた。デビューシングルのタイトルは、
【あなたの仕草】
その大きく引き伸ばされたジャケット写真に映っていたのは、僕が知っている人だった。少し大人になり、ふわふわの自分の髪をくしゃくしゃにしながら、向けられたカメラに自然にくしゃっと笑っている写真だった。
ポスターの前で、固まって動けなくなった。アーティスト名を確認する。いかにも洒落た書体の横文字で『Yukimi』と書いてある。思わず、ポスターの前であまりの驚きに膝をつきそうになるがなんとか耐えた。代わりに、運んでいた自分の店のギターケースを強く握りしめて、立ち尽くした。
いや、危ないだろいくら英字表記でも本名でデビューすんなよ。なんなら、ひらがなで『だいふく』の方が可愛らしくて似合ってただろ…?どうせなら、どこまでも僕の事をおいてけぼりにしてほしかった。僕には似つかわしくない、死ぬほど綺麗で美しくてカッコイイ曲でデビューして、僕のことなんか誰ですか?って顔して現れてほしかった。ユキミの声には、そんな歌が似合うはずだろう?
なんで僕の真似してあの日みたいに笑ったまま、誕生日に迎えに来るみたいな演出してくれるんだよ。…そうか、ユキミどSだもんな。言ってたよな、「コウタくんがポロッと泣くとこも、号泣して咽び泣くとこも見てみたい」って。 ポスターの前から足が動かない。ギターケースを持つ手に力を込めるが、震えが止められない。ポロッと最初の一粒が左目からこぼれ落ちたら、その先はコントロールが効かない。人通りのある、レコード会社の廊下。声こそ我慢したが、立ち尽くして顔がぐしゃぐしゃになった。あの日のユキミみたいに。
数歩先で、僕が立ち止まったことに気付いた店長がゆっくり歩み寄ってきて優しく尋ねる。
「お知り合い、なんですか?」
「僕の妹…」
「え、そりゃすごい」
「いえ、妹の…友達なんです」
おや、とすぐ一瞬の勘違いに気付いた店長が言葉を選んでくれた。
「大事な人、なんですね」
自分ではどうにも前に踏み出せなくなっていた僕の足の緊張を解くように、そっと店長が僕の背中を押してくれた。やっとポスターの前から、離れることが出来た。
どうだユキミ、こんな僕が見たかったんだろう。だいぶ満足いただける仕上がりだろう?なんでいないんだよ、ポスターなんだよ。ぐしゃぐしゃになった僕を見て、「それそれ!」ってくしゃっと笑ってくれよ。背伸びして、「よく出来ました」って頭をくしゃくしゃに撫でてくれよ。
ビルの外に出ると、冷たい風がぶわっと来たので思わず空を見上げる。ユキミが好きだと言っていた、雪の降り始めだった。




