姉、アリーシェの事情
母の再婚でランブレヒト伯爵家の一員となった私。
新しいお父様、ランブレヒト伯爵は優しくて頼りになりそうな方。妹になるマルレーは同い年で生まれた月も三ヶ月しか違わない。凛として気品があり、いかにも伯爵令嬢。自分が姉になったような気はしなかった。
「アリーシェよ。これからよろしくね」
と言うと、
「マルレーです。よろしくお願いします」
と言ってスカートをつまみ、丁寧な礼をした。
伯爵家の令嬢だけあってきれいな所作だったけれど、ちょっとよそよそしく思った。
自分専用の部屋を与えられ、普段着もドレスも既に数枚用意されていた。なかなか趣味がいい、素敵な服。
来週からはマルレーと同じ学園に通うことになっていて、制服もあった。王都の王立学園に通えるなんて思ってもいなかった。田舎の小さな男爵家の娘として生まれたものの、その生活も五歳まで。それ以降ずっと平民として暮らしてきた私には全てが新鮮だった。
その日の夜、新しい家族を歓迎し、ごちそうを用意してくださっていた。
どれもおいしくて、メインの子羊の香草焼きはおかわりもいただいた。
「なかなかいい食べっぷりだね」
お父様が笑顔でそうおっしゃったので、
「本当においしいわ」
と答えると、シェフも
「お気に召していただき、光栄です」
と喜んでくれた。
それなのにマルレーは少し顔をしかめていた。
食事を終えて食堂を出たところで、マルレーに呼び止められた。
「アリーシェさん、学園には我が家より高位の貴族の方もたくさんいらっしゃいますので、マナーが重視されます。学園に行く前に、少し練習しましょう」
そして今更ながら、テーブルマナーを学び直すことになった。
マルレーの指導は厳しくて、わずかな音やソースの飛び散りも許してはくれなかった。ちょっと意地悪だと思うくらいだったけれど、マルレーにとってはそれが当たり前なようだったので、家族として同じ席で食事をする以上、こっちが折れなければいけない。
せっかくのおいしい食事に水を差され、あまり楽しくなかったけれど、我慢してマナーのレッスンを受けた。朝・昼・晩、一週間。なかなか及第点はくれなかったけれど、多少は認めてもらえるようになった。
学園に行くようになると、周囲はマルレーレベルの人間が半数を占めていることがわかった。もう半分は私のように貴族と言っても庶民に近いか、平民の中でも裕福な商家の者。それぞれ育ちの違いもあって、派閥もあるようだったけれど、貴族の家の者にとっては有力な商家とつながりを持つチャンスであり、下級貴族にとっても普段は話すこともできないような家の子息子女と友達になることも出来、家格を超えて交流できる良い機会だった。
マルレーのお友達に誘われて一緒に昼食を食べた時、マナーを学んでいて良かったと思った。どの人もがっつく事なく、ちょこっとお上品にのったお皿の上のものを美しく時間をかけて食べている。
これがこれから私が生きていく世界なんだと思うと、堅苦しさに少し息がつまりそうになった。
私の成績は学園では決して良い方ではなかった。街の学校で習っていた内容は、王都の学園とは数段レベルに開きがあった。田舎ではそれなりに一目置かれていたのだけど、ここに来て劣等生になろうとは…。
初めてのテストで今までに取ったこともないようなひどい点を取り、見かねたマルレーが教えてくれて、なんとか及第点をとれるようになった。だけどちょっと見下されているようで居心地が悪く、あとは自分で勉強することにした。
以前住んでいた街の友達と手紙でやり取りしていて、新しい生活のことを少し愚痴ると、「がんばって」「いつでも戻っておいで」と励ましてくれた。いつも行っていたお店の話や友達のことを読むと、何となく前の街に帰りたいなあ、と思うことがあった。
それでも学園生活になじんでくると友達も増えてきた。私の友達とマルレーの友達はほぼ重ならず、学園の中で一緒に過ごすこともなくなった。姉妹になったものの、つかず離れず。家族でなければ恐らく話をすることもなかっただろう。それでも慣れない学園生活に戸惑う中、私がなじめるまで側にいてくれたことは心強かった。
二ヶ月後、突然私に婚約者ができた。
ユルゲン・アイブリンガー様。アイブリンガー侯爵家の嫡男。
ランブレヒト家とアイブリンガー家の間で先代から決められていた縁組みで、何故か私が指名された。格上のアイブリンガー家に対し、我が家に拒否権はないのだそうだ。父も申し訳なさそうにしていた。
初めて会ったユルゲン様は、細身ですらりと背が高く、銀色に光る髪はさらさらで、瞳は深いグレー。絵から出てきたかのような整った顔立ちをしていた。
「よろしく頼む」
そう言って微笑みながら差し出された手をぎゅっと握り、
「よろしくお願いします」
と言うと、少し驚いたような顔をしながらも、ゆっくりと頷きながらやさしく握り返してくださった。その手は大きくてすべすべしていた。
ふと気がつくと、マルレーが唇をかみしめていて、私の視線に気がつくとそっと目を背けた。
もしかして、マルレーはユルゲン様のことが好きだったのかも。
でも先方が決めたことだし、従うしかないのに。
週に一度侯爵邸に伺い、婚約者としてユルゲン様とお話をすることになった。
おいしいお茶とお菓子、それに目の前には王子様のようなすてきなユルゲン様。
少しクールな方だけど、お優しくて、この人とだったらうまくいくかもしれない、そう思えた。
だけど、ユルゲン様との婚約が決まってから、マルレーの態度は明らかにとげとげしくなり、家でも学園でもこれまで以上に話すことはなくなった。
それなのに、一月経った頃から一緒に侯爵家に呼ばれるようになり、マルレーから侯爵家のことを教わるようになった。
何でもマルレーは幼い頃から侯爵家に出入りしていたから、侯爵家のことをよく知っていて、ユルゲン様に頼まれたのだそうだ。いかにも乗り気でない様子で侯爵家とお付き合いのある家の方の話や、お屋敷にある肖像画から歴代の家族構成の話、親戚関係、絵や骨董品などのいわれなんかも聞かされた。
とてもじゃないけれど覚えきれないのを蔑むような目で見られて、ちょっと嫌な気になった。
でも長い時間をかけて覚えたマルレーと私は違うんだから。自分のペースで覚えていけばいい、そう思うことにした。
二週間後、侯爵家で開かれるガーデンパーティに参加することになった。
ユルゲン様から新しいドレスが贈られた。淡い黄色地に白と濃いオレンジ色の花の刺繍が入り、ふんわりと広がるドレスはとても素敵だった。だけど、マルレーは私にだけドレスが送られてきたのが気に入らないみたいで、ドレスを睨み付ける視線が恐いくらいだった。
当日は侍女に髪を整えてもらい、さすが伯爵家の侍女、すてきな編み込みに仕上げてくれた。こんなお姫様みたいな恰好は初めてだった。
パーティにはマルレーも招待されていて、同じ馬車で侯爵家に行くことになったけれど、ドレスのこともあって気まずく、会話はなかった。
パーティが始まるより二時間も前に着き、着くや否やマルレーは侯爵家の人に呼ばれ、一足先に会場に向かった。マルレーはお手伝いを頼まれているみたい。
私は応接室に招かれたものの待ち時間が長く退屈だったけれど、やがて迎えに来てくださったユルゲン様にエスコートされて会場に入った。
婚約者として紹介され、あちこちでご挨拶。せっかくのおいしそうな軽食やお菓子を目の前にしながら手を伸ばす暇がないなんて。
ユルゲン様が他の方と話している間に、他国のお客様が話しかけてきた。
何を言っているのか全然わからず、困っていると、後ろから
「ユルゲン様の新しい婚約者の方ですか、と聞いているわよ」
そう声をかけてくれたのは、マルレーだった。
マルレーに通訳してもらい、その場は何とかやり過ごせてちょっとほっとした。
「ありがとう」
とお礼を言ったのに、
「レーナ語も話せないなんて…」
と呆れたように言われた。
「仕方ないわ、だって習ったことないんだもの」
「アイブリンガー家には外国からもお客様が来るわ。外国語も身に付けておかなければ、いざという時に困ることになるわよ」
それはごもっともな意見だけど、語学が得意な人は簡単に言うのね。
「侯爵家はお金持ちなんだから、通訳を雇っていただければいいのよ」
私がそう言うと、マルレーは私を睨み付け、何か言いたげにしながらも言葉を飲み込んでその場を去った。
その後も二度ほどマルレーと一緒に侯爵家に行き、侯爵家の事を学んだけれど、私が休憩している間にマルレーとユルゲン様が険悪な感じで話をしていた。あえて私を部屋に残し、二人で話をしていたみたい。
何を話しているのかはわからなかったけれど、マルレーはひどく怒っていて、家でもあんな風に取り乱したところは見たことがなかった。
ユルゲン様はマルレーを追いかけたけれど、結局マルレーは一礼するとその場から立ち去り、私を置いて一足先に家に戻ってしまった。
どう見ても、痴話げんかにしか見えなかった。
もしかして二人は、…愛し合っていた??
その日から、マルレーは侯爵家には立ち寄らなくなった。数日落ち込んだ後、今度は妙に開き直り、何もなかったかのようにふるまっていた。ただ私のことは学園でも家でも無視し続け、食事も一緒に取らなくなった。
マルレーの周りにいた貴族の方々もみんな私を遠巻きで見るようになり、時には皮肉めいたことを言われ、蔑む目が居心地悪かった。貴族に睨まれるのを恐れた平民の子達も私から距離を置くようになり、クラスでも孤立することが増えていった。
ユルゲン様はマルレーとけんかしてから少し様子がおかしくなり、それまであんなに優しくしていただいたのに、次第に笑顔をなくし、贈り物も減っていった。
やっぱり、二人は密かに愛し合っていたんだわ。なのに私と婚約したことで二人は喧嘩し、別れることになってしまったのね。
急にマルレーのようになれなんて言われても、そんなの無理。
そのうち、何かとマルレーと比較されるようになり、もう少し語学を勉強しろとか、これくらいの国政は知っていてほしいとか、頻繁に屋敷に呼ばれてはどんどん要求がエスカレートしてくる。たまりかねて
「そんなの無理です。私はマルレーじゃないんですから。私をちゃんと私として見てください」
そうお願いしたけれど、ユルゲン様は
「侯爵家に嫁ぐんだ。それ位できて当たり前だ。もっと努力を望む」
と言って、冷たい視線を投げて席を離れた。
学校でも侯爵家でも居場所をなくしかけていた頃、かつて住んでいた街の幼なじみ、フランクから手紙が来た。王都まで来る用事があるから会わないか、と書かれていて、すぐに返事を出した。
一週間後、久々に会ったフランクはあの頃と何も変わらず、変な気構えもなくて、話をしていてとても楽だった。
もう愚痴に愚痴を言いまくった。
新しく家族になったマルレーと仲が悪いこと。私には婚約者ができたけどうまくいってないこと。マルレーと婚約者が実は裏で付き合っていたのではないかと思われること。
もしそうだとしたら、私こそお邪魔虫だったのかもしれない。
話しているうちにそのことに気がついて、そこから言葉が続かなくなった。
思わずぽろっと涙がこぼれてしまったら、フランクは涙を拭ってくれた。大きくてごつごつした手はユルゲン様とは全く違ったけれど、温かくて安心する手だった。
フランクは商用で三週間ほど滞在すると聞いて、その後も何度か会って話をした。もちろん侯爵家からの呼び出しを優先しつつ、行く度にたまるイライラを全部吐き出して、すっきりした私に、
「おまえさえその気になったら…。あの街に戻って来いよ。おまえの面倒くらい、見てやるからさ」
あの無骨なフランクにそんなことを言われて、ちょっと顔が赤くなってしまった。
「ん。…ありがとう」
だけど、侯爵家の婚約をお断りすることなんて、できるわけない。
いっそフランクと一緒に逃げてしまおうか…。そんな風に思うこともあった。
ところが、あと三日でフランクが街に戻るという時、お父様に呼び出された。
部屋にはお母様もマルレーもいた。
そこで聞かされたのは、アイブリンガー家から私とユルゲン様の婚約を解消したいと申し出があったという話だった。やはり、私のような下位貴族出身の者ではお役に立てないということがわかったのだろう。
即、
「お受けします!」
と答えた。
「私、ずっと無理だと思っていたんです。あんな家に嫁ぐなんて、絶対無理。先方からお断りしていただけるなんて、何てラッキー! 是非、受けてください。お願いします!」
ユルゲン様にはマルレー並みの人間を期待されているようだけど、私にはとても無理。ユルゲン様にはマルレーが似合っているんだから、ここでマルレーを売り込まなくちゃ。
「あのおうちでマルレーの評判はすごく高くて、何かあったらマルレーならできた、って言われてました。私が男爵家にいたのは五歳までで、ずっと平民で、ついこの間伯爵家の家族になったばかりだって言ったら、びっくりしてました。私なんかより、絶対マルレーの方が侯爵家に向いてます」
父とマルレーは顔を合わせ、少し苦笑いをしていた。
「ならば、この婚約は解消する方向で持っていくよ」
その言葉に、私も
「是非! お願いします、お父様!」
と答え、人生の希望を見出した。
両家の先代が取り交わした約束は、「アイブリンガー侯爵家の嫡男にはランブレヒト伯爵家の長女を婚約者としてあてがうものとする」という取り決めだった。先に生まれた者同士が結婚する、その人のことなんて全く見ていない約束。いかにも貴族的。
それでもアイブリンガー家から断ってもらわなければ、ランブレヒト家では何ともならない。それが貴族の階級というもの、らしい。
お父様も願ってもないチャンスだときっちりお断りしてくださり、私とユルゲン様は穏便に婚約を解消することになった。ああよかった。これでマルレーも幸せになれるね。
私は間もなく王都を去ろうとするフランクにそのことを報告した。
するとフランクはにっこりと微笑んで、大勢の人がいる前で私をぎゅっと抱きしめた。
「よし、じゃあ結婚しよう」
「一度婚約してたけど、いい?」
「貴族じゃあるまいし、全然問題ないよ。こんなに早く解消してくれるなんて、なんてありがたいんだ。これこそ神のお導きってやつだな」
「神のお導き」に従い、私はフランクと一緒にあの街に戻ることを決意した。
さすがに三日後に一緒に行くことは許されなかったけれど、三カ月後には迎えに来てくれたフランクと一緒に王都を離れ、かつて住んでいた街で暮らすことにした。伯爵家の令嬢ではなく、フランクの幼なじみとして。
こんな無理を許してくれたお父様、お母様に感謝しなくちゃ。
マルレーも婚約したと聞いた。
これって、婚約者を奪われたことになるのかな?
姉妹としてはあんまり仲良くできなかったけれど、お互い、好きな人と一緒になれたんだもの。幸せになれるといいね。