君は僕のものなんだよ
今日は夕方から学園の大ホールで全学年が参加するパーティーが開かれる。
そして明日から始まるのは長期休暇。
姿を偽ることからやっと解放されて、自由にのびのびと過ごせる日々がはじまる。
学園で毎日無駄に溜まっていく疲労感とストレスにはうんざりしていた。
休暇中はフォンデル子爵領に戻って存分に冒険者ライフを楽しむつもりでいる。
森で魔獣を狩って狩って狩りまくって、暴れまくってやろう。
冒険者ギルド内でまたおかしな二つ名をつけられるかもしれないけれど、どうでもいい。
私は寮の部屋のベッドに転がってクッションを抱きながら、何をしようかと想像を膨らませた。
まずは洞窟で鉱石集めをして資金を稼ごう。そして剣を一回り大きいものに新調して、黒霧の森で狩り三昧。
久しぶりにグレイトピッグの串焼きが食べたいな。ちょうど今の時期は丸々と太っていて脂がのって最高なのだ。
「ふへへへ……」
串焼きを食べることを想像していたら、よだれが出てきてしまった。
そろそろパーティーの準備をしないといけないので、想像することを止めて立ち上がる。
クローゼットから取り出したモスグリーンのドレスに着替え、髪は編み込んで後頭部で一纏めにして、小さな宝石がちりばめられたバレッタで止めた。
仕上げに幻影魔法を施せば、プラチナブロンドの髪は焦げ茶色に変わる。
いつものように目立たない顔立ちにするが、パーティーということで、今日は少しだけ化粧を施した顔に仕上げ、眼鏡はかけないことにした。
パーティー会場に到着すると、さっそくレベッカさんが来てくれた。
レベッカさんは淡いピンクのドレスだ。
「シーラさん、今日は眼鏡をかけていないのね。とても素敵」
「ありがとうございます。レベッカさんはいつも以上に可愛いです」
「ふふ、ありがとう」
レベッカさんはいつもの数十倍可愛くて素敵だ。
そんな彼女に素敵と言ってもらえたのに、素直に喜べなかった。
だってこれは私の本当の姿ではない。私は彼女に本当の姿を見せたことがない。
偽りの容姿を褒められて胸がちくりと痛む。
その後はもうレベッカさんと会話することなく、ただ静かに佇んでいた。
レベッカさんは私が会話することを苦手としていることを知ってくれているので、無理に話しかけられることはない。
すぐに他のクラスメートたちがやってきた。私は彼らがわいわいと褒め合う様子を眺めていた。
しばらくするとベルンハルト殿下がレベッカさんの下にやって来た。
二人は数日前に正式に婚約したらしいので、もう誰にも邪魔されることなく仲を深めていける。
自分のことのように嬉しくて笑みがこぼれた。
レベッカさんが私の顔をチラリと見たので、手を振って二人を見送る。
ふと視線を感じて目をやると、離れた所からテオさんがこちらを見ていた。
ここでは屋上のように気軽に話をすることはできないので、お互い近づくことはしない。
テオさんとはここ数日話をしていないけれど、それで良い。
このまま長期休暇に入れば、彼は想い人とやらと楽しく過ごして、そうしたら私のことはすぐに忘れるだろう。
悲しくなんてない。
私は私で楽しく過ごすのだから。明日からのわくわく冒険者ライフへの想像を膨らませることにしよう。
負けないくらい楽しく過ごして、美味しいものをたくさん食べるんだ。
……だめだ。今想像してはいけないのを忘れていた。
危うく幻影魔法が解けてしまうところだったので、外の空気を吸って落ち着こうと、急いでホールから出た。
外はすっかり暗くなっていて、手入れの行き届いた庭園にオレンジ色のランプがぽつぽつと灯っていた。
見慣れたはずの庭園がどこか知らない場所のように思えて、物寂しさを覚える。
「もうこのまま帰ろうかな……」
会場にいたところで、誰かと歓談することなく1人で軽食をつまんで過ごすだけだ。
パーティー料理だけは以前から楽しみにしていたけれど、今はとても楽しめそうにない。
庭園をとぼとぼと歩きながら、オレンジ色のランプをぼんやり眺めていた。
ふと後ろに気配を感じて思わず振り返る。
いつもなら気付かないふりをして距離を取るのに、うっかりしていた。
相手の顔を見た瞬間、驚きと恐怖で息が詰まった。
そこにいたのは波打つ黒髪に鋭い茶色の瞳の男子生徒。
彼は私をじっと見ていた。
本当の私をずっと探し続けている執着男、ストラー侯爵令息。
ぞわり。
体が震える。彼としっかり目を合わせたのは久しぶりだった。
怖い。早く離れないと。そう思って前を向き直してゆっくり歩きだす。
「ねぇ君」
後ろから声を掛けられて、ビクッと身体が跳ね上がった。
ここには他に人影がない。どう考えても私にかけられた声を無視することはできない。
足を止めて息を深く吸い込んで、どうにか心を落ち着けてから振り返る。
「……何でしょうか」
恐る恐る返事をすると、ストラー侯爵令息はもう私の目の前に来ていた。
あまりの近さに驚く暇もなく、彼は私の手首を強く掴んだ。
「君さ、僕の顔を見るといつも怯えるよね。何で?」
ストラー侯爵令息は首を左側に少し傾けながら、仄暗い表情で私の顔を覗き込む。
じろりと睨まれて、身体が硬直して動かない。
「……ほら、また怯えてる。ねぇ、何で? 殆ど話したことがないのにおかしいよね。君は僕に何か後ろめたいことがあるとしか思えないんだよね。……君さ、やっぱりあの子のこと知ってるんじゃないの? もし知ってて隠してるなら…………許さないよ?」
掴まれた手首に彼の爪が食い込む。
怒りを孕んだ低い声。
痛い。怖い。早く逃げたい。涙が滲んで視界が霞む。
怖い。感情が揺さぶられて、魔力の流れが不安定になって綻んでいく。
だめ。解けてはだめ。
魔力を巡らせて集中する。いま幻影を解除しては絶対にだめ。
それなのに身体が震えて思うようにいかない。
今解けてはだめ。だめなのに────
「……あぁ、何てことだ」
ストラー侯爵令息の声が上ずったものに変わる。
私は強く掴まれた手首を引き寄せられた。
彼の細く長い手が私の後頭部に伸ばされて、パチンとバレッタを外す音がやけに大きく響いた。
さらりと落ちていくプラチナブロンドの髪。ひと房掬い上げると、ストラー侯爵はうっとりとした顔でキスを落とした。
血の気が引いていく。気持ち悪いのに身体が硬直して動かない。
「やはり美しい……しかし、まさか君だったなんて。魔法で姿を変えていたんだね。 ふふ、そっか、恥ずかしくて隠れていたのかい。僕に怯えていたんじゃなくて、照れていたなんて。可愛いなぁ」
私の手首を掴んだ時とはうって変わった優しい声色、熱をはらんだ瞳にぞわりと悪寒が走る。
「っっ、ちっ……違います……」
震える声で何とか否定すると、ストラー侯爵令息は私に顔を近づけながら首を傾げた。
「…………違う? 何が? 君は僕が好きだから照れていたんだろう。君は僕のものなんだよ。そう、出会ったあの日から僕だけのものだ」
ストラー侯爵令息は微笑を浮かべた。髪に触れていた手が頬に伸びる。
嫌だ。触らないで。嫌なのに身体が動かない。怖い。嫌だ。
「彼女に触るな」
誰の気配もなかったはずの背後から、低く色気を帯びた大好きな声が聞こえてきた。
私の頬に伸ばされていた細く長い手は、頼もしい大きな手によって掴み取られた。
私の手首を掴んでいた手もあっさりこじ開けられる。
テオさんはそのまま私の腕を引いて、その大きな背中の後ろに私を隠した。
「……リュフト、なぜ僕の邪魔をする」
「なぜって、嫌がる女の人を助けるのは当然の行いだと思うが」
「嫌がる? ふふっ、何言ってるのさ。彼女は照れているだけだよ。僕たちは愛し合っているのに、おかしなこと言わないでほしいな。……ねぇ、そうだよね?」
ストラー侯爵令息は、テオさんの背中から様子を窺う私に言葉を投げかける。口元に浮かべた笑みにぞわぞわする。
(違う。愛し合ってなんかいない)
そう言いたいのに声が出ない。怖くて何も言い返せなくて、涙しか出てこない。
「シーラさん、大丈夫だよ」
頭上から降ってきたのは、心から安心できる優しい声。
ゆっくり見上げると、澄んだ青い瞳が真っ直ぐ私を見ていた。
「こんな奴は怖くもなんともないよ。大丈夫、君はどんな魔獣でも一撃で仕留める子なんだから。ほらよく見て。その気になったら片手で軽くひねり潰せるほどひ弱な奴だ。風魔法で少し吹き飛ばすだけでも死んじゃうと思うよ。だから大丈夫。何も恐れることはないよ。それでもやっぱり怖いなら俺が始末してあげるから。だからね、大丈夫だよ」
テオさんは幼子に諭すように、ゆっくりゆっくり、優しく言葉を紡いでいく。
私の心が受け止められるようにゆっくりと。
その言葉に誘導されるように、視界の端に入れるだけでも怖かった男を正面に捉えた。
私はいつもストラー侯爵令息とできるだけ目を合わせないようにしていたから、しっかり正面から見据えるのは初めて出会った日以来かもしれない。
目が合っただけで指先が凍えていく感覚がする。
とても怖い。
怖いけれど今はテオさんが一緒にいてくれるから大丈夫。大きな背中が私を守ってくれている。
私はストラー侯爵令息をじっと観察した。そうしてテオさんの言葉の意味を理解することができた。
(……本当だ。この人すごく弱そう)
ストラー侯爵令息は目付きが鋭くて怖い。だけど、それだけ。
一瞬で首を落とせそうなほど隙だらけだ。
どうして私はこんな人を怖がっていたのだろう。そんな簡単なことにようやく気づくと、恐怖心なんて散り散りに消え去っていった。
「テオさん、この人怖くありません」
そう語りかけると、彼はにっこり笑って『でしょ』と言った。
テオさんに肯定してもらえて心が更に軽くなる。
うん、もう大丈夫。この執着男に自分の気持ちをはっきり言おう。
私はテオさんの背中から離れて、前に数歩出た。
「ストラー様、私とあなたは愛し合ってなどいません。私はあなたにずっと恐怖心を抱きながら隠れて過ごしてきました。初対面でいきなり求婚され、脅されて、その後も執着されてとても怖かった。本当に迷惑です」
嫌悪感を隠しもせずに鋭い視線を向けて、溜まりに溜まった苦情を包み隠さずにストレートにぶつけた。
相手は高位貴族だけど言葉を選んだりしない。
ストラー侯爵令息はきょとんとした顔で固まった。
私の言葉の意味を理解できないようで、しばらく放心状態が続く。
そうして『迷惑……? 僕が?』とブツブツ呟きだしたかと思えばだんだん顔が険しくなり、拳を握って震えだした。
「っ嘘だ。そんなはずない。君と僕は結ばれる運命なんだから」
そう言って伸びてきた手に向けて風魔法を放った。何の抵抗もなくすんなり押し返せたことに驚く。
何だ。こんなに簡単なことだったんだ。
「触らないでいただけますか。心底気持ちが悪いです。あまりしつこいようですと、うっかり首をはねちゃいますよ。それとも消し炭にしちゃいましょうか」
学園内で暴力行為や攻撃魔法はご法度なので本当はできないけれど、そうしたい気持ちがしっかり伝わるように侮蔑の表情を向けた。
「なっ、何てことを言うんだい。美しく清らかな君はそんな野蛮なことはしない」
「…………は?」
意味不明な言葉にひときわ低い声が漏れでた。
この人は誰のことを言っているのだろう。
美しく清らか? 誰だそれは。
本当の私のことなんて何一つ知らないくせに。バカみたい。
そんなに私のことが好きなら、ありのままを見せてあげようではないか。
「それではお見せしましょうか」
一歩前に出て、ストラー侯爵令息の目の前に立った。
にっこり笑いかけると頬を染めたこの男と自分を幻影で包みこむ。
「……ここは!?」
見渡す限り灰色の空間で、ストラー侯爵令息は辺りを見回した。
「私の幻影魔法の中です。視覚と聴覚だけを私の支配下に置きましたが、実際は今も私たちは先ほどの場所にいますから、ご心配なく。あなたとは二人できちんとお話をしたかったので」
「ふふっ、そっかぁ。早く僕と二人きりになりたかったんだね」
「……」
うっとりとした表情で気持ち悪いことを言わないでほしい。二度と話しかけられたくなくて本当にうっかり首をはねてしまいそうになる。
さっきストレートに拒絶の言葉をぶつけたはずなのに、もう気にしていないようだ。
気を取り直して、淡々と説明を続ける。
「……そうですね。他の方々に迷惑をかけてはいけませんから」
「迷惑?」
「ええ。今いる場所に人が来ないとは限りませんから。今から見せるものは、人によってはトラウマになってしまいます。でもあなたには私という人間をしっかりと理解してもらいたいので、特別にお見せします」
丁寧に魔力を練り上げていく。
さぁ、何から見せようか。
貴族のお坊ちゃんには刺激が強すぎるかもしれないけれど、そんなのは知ったことではない。
私の全てをさらけ出して、さっさとこの迷惑な執着から解放してもらおう。




