彼の想い人
人間とは噂好きな生き物だ。
学園内では常に何かしらの噂が飛び交っていて、皆が憶測を交えて楽しげに話している。
信憑性が薄いものや、尾ひれが付きすぎて原形を留めていないものまで様々。
そんな中、最近主によく耳にする噂は二つだ。
一つは、ストラー侯爵令息が相も変わらず、血眼になってプラチナブロンドの少女を探しているというもの。
これは入学式の次の日からずっと噂されている。
あの執着男は今でも全学年に聞き込みをしながら私を探し続けているようだ。
もはや狂気の域である。いや、あの人は最初から狂っていたか。
そしてもう一つの噂は、リュフト辺境伯令息が町で女の人とデートしていたというもの。
尚、相手の女の人は帽子に眼鏡姿で、室内でも帽子を脱ぐことはなかった様子から、貴族令嬢のお忍びではないかと言われている。
その場に居合わせたクラスメイトによると、同じ学園に通う女生徒が変装しているのだろうかと遠目で観察したものの、その顔立ちから思い当たる生徒はいないとのこと。
おかしなことに、二つの噂に登場する謎の女は両方とも私のことなのである。
前者はもちろん放っておく。
私は今まで田舎から出たことがなかったから、入学前には貴族の知り合いがいなかった。なので情報は全く出てこないようだ。
後者は大丈夫なのかなと不安になり、テオさんに尋ねてみた。
迷惑になるのなら付き合いをやめましょうと切り出してみたけれど、気にしなくてもいいとのお言葉をもらえた。
元々、そういった噂がたつことを想定した上で私に頼んだらしい。
本人が良いのなら良いかと納得して、今まで通りの付き合いを続けている。
そんなこんなで、今日もレベッカさんたちと一緒に昼食を取り終えた私は、屋上に向かうことにした。
食堂を出て廊下の角を曲がり、中庭に向かうまでの渡り廊下を歩いていると、遠くの方にテオさんの姿が見えた。
彼の前には小柄な女生徒が1人。私と同じクラスの女生徒だ。
テオさんは一方的に話をされているようで、告白中のような雰囲気がひしひしと伝わってくる。
どんな話をしているのか気になってしまう。
良くないと思いつつ、どうしても我慢できずに気配を消しながら近づいて、茂みの中から聞き耳をたてた。
「あの、せめてお友達になってもらえないでしょうか」
「ごめん。勘違いされたら困るから、異性の友人は作らないようにしているんだ」
「それなら一度だけ、思い出に一度だけデートしてもらえませんか?」
「悪いけど、そういうこともしないようにしているから」
「本当に一度だけでいいんです。それですっぱり諦めますから」
「ごめんね」
聞こえてくる会話から、やはりテオさんは告白されているようだと分かった。
相手の女生徒は食い下がるも、テオさんは淡々と断り続けている。
告白され慣れた感じで、何を言われても全く動じていない。
「あの、好きな人がいらっしゃるのですか?」
女生徒はおずおずと質問した。
ずっと淡々と返事をしていたテオさんは、少し間を置いた後に口を開く。
「……うん、そうだよ。数年前から想い続けている人がいるんだ」
「そう、ですか……それって、あの────」
二人の会話はまだ続いているけれど、私はいてもたってもいられずにその場から立ち去った。
それ以上は聞きたくなくて、急いで校舎に入り、御手洗いに向かった。
個室に入るとすぐに幻影魔法を解除して、ホッと息を吐く。
そして、ここまでの道中は考えないようにしていたことを考え出した。
(テオさん、好きな人がいるんだ……)
数年前から想い続けている人────テオさんはそう言っていた。
数年前だなんて、その時点でもう私ではないことは確定だ。
テオさんは私以外の誰かを、ずっと一途に想い続けているらしい。
誰なのだろう。私の知っている人だろうか。
そんな相手がいるのなら、その人を誘ってスイーツを食べに行けば良いのに。
誘うのは恥ずかしかったのかな。だから何とも思っていない私を誘ったのかな。
そんなことをするから、私との噂が立ってしまった。本命に誤解されるような噂されちゃって、ばかみたい。
「……あ、そっか。そもそも学園にはいないんだ」
想い人が近くにいないから、どんな噂をされても平気なのだろう。
彼の領地までは王都の噂なんてきっと届かないから。
頭の中がグルグルもやもや。
黒い感情が止まらない。嫌な気持ちでいっぱいになって、少しだけ涙も出てきた。
今日はもうテオさんに会いたくない。
いつも昼休みに屋上に行って会っていたけれど、今日は会いたくないから行かないことにした。
放課後になっても気分は晴れない。
屋外で気分転換がしたくなり、午後の授業が終わるとそのまま屋上に向かった。
テオさんと放課後にここで会ったことはないから、会う心配はない。
幻影魔法を解いて、柵にもたれかかって座った。
何も考えたくない。
ぼーっと雲を見ていたら、後ろの柵がカシャンと音をたてた。いつもなら嬉しいその気配が今は煩わしく感じてしまう。
「こんにちは」
「……こんにちは」
後ろからかけられた声に、私は振り返らずに挨拶を返した。
顔を見たくない。早く帰ってくれないかな。
そんな願いも虚しく、テオさんは私の隣に座った。
「お昼は来なかったね」
「……そうですね。用事があったので。そしてこれからしばらくは昼休みにお話しすることができません。もうすぐ学力試験があるでしょう。勉強に集中したいので放課後も付き合えません。ごめんなさい」
テオさんの顔を見ずに前を向いたまま、できるだけ優しい口調を心がけて言い放った。
「……そっか。分かった。お互い試験に集中しよう」
「ありがとうございます。ではお先に失礼します」
「うん。またね」
“またね”という言葉に返事はできなかった。
もう次なんて無くていい。
私は幻影魔法でいつもの地味な姿に変わると、すぐに地上に飛び降りた。
最後まで一度も顔は見れなかった。
勘違いしてしまうような眼差しを向けられるのは嫌だから。
もう勘違いはしたくない。
息をきらして寮まで急いで走って帰って来た。
試験勉強に集中しなければいけないのは本当のことだから嘘なんてついていない。
あれで良かった。
授業をまともに聞けない私は、もちろん試験もまともに受けられない。
だから全てを丸暗記する必要がある。
試験中は頭を悩ませることなく、すらすらと回答できるようにしなければならない。
だから良いんだ。
「……よし!」
余計なことを考えるのはやめよう。
今の私に必要なことは勉強だけ。とにかくひたすら勉強することに決めた。
赤点をとってしまうと、長期休暇の最初の数日は補習を受けなくてはならない。
長期休暇が減ってしまう。楽しみにしている長期休暇が短くなることは、絶対に避けなければいけない。
今は勉強のことだけを考えよう。
この日から私はひたすら勉強に集中することにした。
学園内では相変わらずいろんな噂が聞こえてきて、テオさんには好きな人がいるという噂も耳にするようになった。
嫌だ。聞きたくない。
テオさんの想い人について何も知りたくないので、彼の名前が聞こえてきたら、すぐにその場から立ち去るようにした。
何も考えなくて済むように、放課後は一心不乱に勉強に打ち込んだ。
勉強に集中している間は嫌なことを忘れられる。
そして、あっという間に試験当日。
努力の甲斐あって、問題の大半はパッと見ただけですらすら解けた。
二日間にわたる試験は無事終わり、結果はとても良かったため補習は免れた。
長期休暇までの登校日はあと残り五日。
最終日は学園でパーティーがあり、それが終わったら長期休暇が始まる。
早く実家に帰りたい。
試験は終わったけれど、私はもう屋上に行くことをやめた。
屋上にさえ行かなければ、クラスが違うテオさんと会う機会はほとんどない。
廊下などですれ違っても、向こうから話しかけてくることはない。
話をしなければ放課後の約束をすることもない。
もう勘違いするのはこりごりだ。