嫌がらせにはお仕置きを
そよそよと吹く風が心地よい。
ここは学園の校舎の屋上だ。
入り口が施錠されている屋上に人が来ることはまずないので、人目を気にせず一人でのんびりするのに最高の場所。学園で唯一、ゆっくり落ち着ける場所である。
私は今日も昼食をとり終えるとすぐに屋上にやってきて、幻影魔法を解除した。
眼鏡を外して柵にもたれかかり、口を開けてぼーっと座っていると、カシャッという音と共にふっと影が落ちた。
「やぁ」
真上から声を掛けられる。
「こんにちは」
顔を上げて、上から覗きこんでくる人物に挨拶を返す。もう慣れたものだ。
リュフトさんは昼休みにはこうやって私の元を訪れるようになった。
ぼっちに優しい人だ。
並んで座って一緒にぼーっと過ごしたり、世間話をする相手ができて嬉しい。
「あのさ、ラムズ通りのクレープ店って行ったことある?」
「ありますよ。クレープ片手に一人で町をぶらぶらするのが好きです」
リュフトさんからの質問に素直に答えた。
喫茶店と違って屋台なら一人でも気軽に購入できるから、食べ歩きはよくしている。
「そっか。えっとさ……」
リュフトさんは表情を少しくもらせた。
何か言いたげで、だけど次の言葉が続かないようだ。
これはあれだろう。あれに違いない。
私はリュフトさんが望んでいるであろう言葉を口にすることにした。
「一緒に行きますか?」
「ほんと?」
「はい。私で良ければ喜んで」
「わー嬉しいな」
リュフトさんははじける笑顔になった。青い瞳がキラキラと輝いている。
思った通り、彼はその屋台に行きたかったようだ。
一人でクレープを食べる勇気がなかったのだなと思ったら少しキュンとなり、人懐こい犬のようだな、なんて失礼なことも思ってしまった。
いつ行こうかと話を進めていると、下の方から話し声が聞こえてきた。
屋上から二人でそっと覗きこむ。
どうやら校舎裏に女生徒が集まって話をしているようだ。
しかし遠目から見ても明らかに不穏な空気が漂っている。
話の内容までは分からないが、1人に5人がよってたかって声を荒らげながら詰め寄っている。
詰め寄られている女生徒は、私のクラスメイトだ。
「同じクラスのレベッカ・フロークスさんです。あとの5人は知らない人たちですけど、すごく嫌な感じがしますね」
「彼女たちは俺と同じクラスだよ。ベルンハルト殿下を慕っているようで、殿下と親しくしているフロークスさんのことをよく思っていないようだ」
「それは……妬みですか」
「そうだと思う」
(フロークスさんは王子と親しいんだ。さすがだなぁ)
特別親しいわけではないが、フロークスさんはいつも私に優しく接してくれる。
彼女は本当に素敵な人だから、王子は見る目がある。
だがしかし、この状況はいただけない。
5人の表情から察するに、『調子に乗るな』『殿下に近づくな』などと文句を言っている真っ最中だろう。
(大丈夫かな……)
よってたかって責められているフロークスさんがとても心配だ。
しかし、しがない子爵家の娘である私にどうこうできる問題ではない。相手は伯爵家以上の貴族なのだから。
どうしたものかと考えながら様子を見続けているうちに、どんどん不穏さが増していく。
令嬢の一人が前に出てフロークスさんの肩を強く押した。
真ん中にいる令嬢が尻餅をついたフロークスさんに向かって両手を向けた。
手のひらから発せられる小さな火の玉。
これはいけない。
私は瞬時に下に向けて魔法を放ち、フロークスさんの全身を風で包み込んだ。
風の壁に阻まれて、火の玉はフロークスさんに当たることなく消滅する。
間に合って良かった。
安心と同時に怒りがこみあげてくる。さすがに今のは許せない。
「お仕置きしてやらないと」
すぐさま魔力を練り上げて、遠隔で幻影魔法を展開させる。
とりあえず5人をフロークスさんから隔離するように、四方を黒い壁で囲いこむ。
さて、どうしてやろうか。
うーん、何がいいかな。
少し考えた末、5人の目の前におぞましい亡霊のような幻影を作り出すことに決めた。
「ぐぬぬ……」
これはなかなかキツい。魔力を練りながら眉根を寄せる。
ただでさえ幻影魔法は苦手なのに、今私がしていることは遠隔操作。こうも離れていると制御しきれない。
たまに幻影がぐにゃりと歪んでしまう。
だけど作り出した物が亡霊なので、これはこれでいい味を出している。結果オーライだ。
彼女たちには目にものを見せてやりたい。
とにかくこれでもかと怖がらせてやる。
視覚だけでなく、聴覚も支配して徹底的に。こういうことには全力を注ぐのが私のポリシーだ。
亡霊から滲み出るいくつもの黒い影が地面を蠢き、空洞の目から血の涙を流す。
ううぅ……ううぅ……と不気味な呻き声をあげながらゆっくりした動きで向かってくるという特別な演出を手掛ける。
逃げ場のない状況で、じわじわと追い詰められる気分はいかがだろう。
自分で作り出しておいてなんだが、とても気持ち悪い。
若干引きながらも、なかなかの力作に満足する。
「ヒィッ」
「来ないでぇぇ」
「っっ、いやぁぁぁ……!」
「ひぃぃぃ!」
「きゃァァ」
じわじわ迫ってくる亡霊を前にして、5人は校舎の壁に追いやられた。
彼女たちを囲んでいる黒い壁は幻影なので実態はないが、その背中に当たる校舎の壁の感触だけは本物だ。
その場から逃げられないと思い込んで絶望しながら、迫りくる亡霊にひたすら恐怖していることだろう。
期待通りの反応にほくほくする。
思う存分怖がらせたところで幻影を解除すると、すぐに5人は慌てて逃げだした。
その内の2人は足が震えすぎてまともに歩けないようで、何回もこけながらどうにか逃げていった。
「ふふっ、ざまぁみろですね。やってやりましたよ」
少しも傷つけることなく追い払ってやったことが誇らしい。
疲れて額に汗が滲むけれど、満足して拳を握りしめながら隣のリュフトさんに話しかけた。
「……っ、くっ、くくく……」
リュフトさんは顔を押さえながら下を向いて震えていた。
「っは、なに今の。シーラさんえげつない。どうやったらあんなの作り出せるのさ。高度な魔法の使い方が最高すぎる。ほんとおっかしい。くくく……」
リュフトさんはずっと笑っている。
どうやらお気に召していただけたようだ。
楽しんでいただけて何より。だけどそれよりも、一つ気になったことがある。
「名前……」
「え? あー……ごめん。勝手に呼んじゃった。こっちの方が呼びやすくてつい。ごめんね」
「いえ、お好きなように呼んでいただいて大丈夫ですよ」
「良かった。それじゃこれからはシーラさんって呼ぶね。……えっと、できれば俺のこともテオって呼んでくれると嬉しいんだけど……」
リュフトさんはもじもじしながら、恋する乙女のような上目遣いでお願いしてきた。
なんだその可愛い仕草は。
そして可愛さにキュンとなるはずなのに、可愛さではなく色気が半端なくてドキドキさせてくるとはどういうことだろう。
恐ろしい。
こんな風にお願いされて、断れる人なんていないと思う。
「……では、テオさんと呼ばせていただきますね」
そう答えると、ぱあっと笑顔の花が咲いた。
眩しすぎる。
そんなに嬉しそうな顔をされたら勘違いしてしまう。
気を付けないといけないな……
リュフトさんに聞こえないように、小さくため息を吐いた。
* * *
放課後はさっそくクレープ店にやってきた。
もちろんテオさんと一緒だ。
私はいちごクレープとチョコバナナクレープとミルクジェラート入りのクレープを注文した。
まだまだ食べられるけれど、それ以上は持ちきれないので3つで我慢する。
テオさんはチョコブラウニーに生チョコ、チョコアイスなどなど、中身を好きに選んだスペシャルクレープを片手にご満悦。
本当にチョコレートが大好きなようだ。
「私はもちろん大丈夫ですが、テオさんは食べ歩きなんてして大丈夫ですか? 今さらですけど」
「大丈夫大丈夫。うちはそういうの気にしない家だから」
「それなら良かったです」
テオさんは高位貴族なはずなのに全くそう感じさせない人柄で、この人といると私は自然体でいられる。
すごく楽だ。
私と同じ田舎育ちだから感覚が似ているのかなと勝手に親近感を覚えて納得しながら、クレープにパクりとかぶりつく。
「これ美味しいです! このミルクジェラートのミルクの風味が濃厚で、何かとにかくすごいです」
テオさんにとにかく美味しさを伝える。すごいとしか言えないけれど、すごいのだから仕方ない。
「そっか、俺もミルクジェラートを追加したら良かったな」
テオさんはチョコだらけのクレープを片手にそう言いながら、私の手元をじっと見た。
物欲しそうな顔をしている。
「そんな目で見たって、さすがにこれは味見させませんよ」
「ん、残念だなぁ」
「諦めてくださいね」
「はーい」
しゅんとする姿は耳をペタンと垂らした犬のようで、一口どうぞと差し出していたら、躊躇いもせずにかぶりついたのだろうなと容易に想像ができる。恐ろしい人だ。
その後も人目を気にせずに大口を開けてクレープを食べた。
食べ終えてからも町をぶらぶら歩いていると、大きな鞄を抱えた大男が前方から走ってきた。
「そこどけっ!」
ぶつかりそうな勢いで走ってきて怒鳴り声をあげられて、何だコイツとイラっとしながらも、すっと横に避けて道を譲った。
「ひったくりだー!」
大男が私達の横を通りすぎた数秒後、前方から叫び声が聞こえてきた。
(ひったくり……さっきの大男かな)
叫びながら息をきらして走ってきた人に事情を聞くと、大金を入れた鞄を大柄な男に奪われたという。
服の特徴的にも、さっきの男で間違いなさそうだ。
後ろを振り返って状況を確認する。大男はすでに遠く離れた場所にいるけれど、その姿ははっきりと捉えられた。
この程度の距離なら余裕だ。
私は大きな水の玉を右手に作り出し、大男を目掛けて『そいやっ』と投げつけた。
大男の頭に当たった水の玉は、そのまま頭をすっぽりと覆う。
男は慌てて外そうと立ち止まったけど、もちろん外れないように遠隔で固定しているので無駄な足掻きだ。
息ができなくなりもがき苦しむ男に、テオさんが追い付いた。
────ヒュッ、ゴッッ
テオさんの鮮やかな回し蹴りによって男が地面に沈むところを確認すると、私は水魔法を解除した。
さすがに溺死させる気はない。
私はテオさんの元に駆け寄った。
すぐに騒ぎを聞きつけてやって来た町の騎士に男を引き渡して、私たちはその場から離れた。
「お見事でした」
「ありがとう。君こそ容赦のない水魔法がえげつなくて最高だったよ」
「それは最高の褒め言葉です。ありがとうございます」
そう返事をすると、テオさんは楽しそうに笑った。
私が魔法を使うときは、やり過ぎではないかと若干引かれてしまうことが多い。
だけどこの人は全く気にしていないようで、むしろ褒めてくれる。
テオさんとはとても気があって、一緒にいると楽しい。
学園で彼と知り合えて、こうやって一緒にスイーツを楽しめる仲になれて本当に良かったと思う。