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置き去りにされた俺と、血に濡れた君

 獰猛どうもうな魔獣の生息地である黒霧の森に隣接し、隣国との国境の要でもあるリュフト辺境伯領は国にとって重要な場所だ。


 リュフト辺境伯家長男である俺、テオドールは、次期領主に相応しい力を身につけるためにひたすら研鑽を積み、魔力と己自身をとことん鍛えあげていく────なんてこと、するわけがなかった。


 俺は毎日、俺を鍛えようとする人たちからひたすら逃げ回っていた。


 両親、祖父母、弟妹、辺境伯家直属の魔法騎士団の面々など、俺の周りには血の気が多く脳みそまで筋肉に侵された人間しかいない。


 やれ筋トレだ、過酷な訓練だ。

 力尽きるまで走り込み。食事はたんぱく質中心で味より栄養重視。

 自分をどれだけ窮地に追い込めるかに命をかける変態ども。そんな人たちに付き合っていられない。


 俺は自由きままに気の向くままに、のんびり静かに日々を過ごしたいのに。周りがそれを許してはくれない。


 だからひたすら、俺を鍛えようとする人たちから逃げていた。

 俺は逃げ足の速さと隠れることにおいては他の追随を許さなかった。

 隠れて甘味をむさぼる日々。

 とにかくひたすらのんびりと、心ゆくまでむさぼり続けた。

 いつしか身体は丸々と太っていったが、そんなことは別にどうでもいいし気にしない。


 むしろ、これでもう諦めてくれるかなという期待を抱いた。こんな俺を鍛えようだなんてもう思わないだろう。

 弟もいるのだから、辺境伯を継ぐのは彼で良い。


 そんな風に呑気に構えていた12歳のとある日。

 辺境伯である父がブチギレた。

 父はソファーで寝転びだらけていた俺を縄でぐるぐる巻きにして、肩に担いで外に連れ出した。


 向かった先はまさかの黒霧の森だった。

 こんな所に連れて来られたからって、やる気を出したりしないのに。


 父はうっそうとした森を歩き進めながら、道中襲ってくる魔獣を片手剣で難なく仕留めていった。

 俺は縛られていて身動きできないし、動けたところで何もできない。

 暇なので担がれたまま寝ていた。

 どれだけそうしていたのかは分からない。地面にごろんと転がされたところで目が覚めた。


「シザーモンキーの爪を手に入れるまで帰ってきたら許さないからな」


 俺の縄をほどいた後、厳格な顔で父はそう言った。

 そしてこちらの返事など待たずに姿が消える。


「…………は?」


 森の中で1人きり。 

 俺は訳が分からず、しばし呆然と立ち尽くした。


「えっと……」


 足元には短剣がひとつ置かれていて、それを眺めながら今の自分の状況を一つずつ確認する。


 ここは黒霧の森。

 森の入り口からどれほど進んだ所かは分からない。俺は結構な時間気持ちよく寝ていたと思うから、森の奥深くにいる気がする。


 父はシザーモンキーの爪を手に入れろと言った。

 つまり俺はシザーモンキーを探して、見つけて、戦って倒さないといけない。

 そして爪を手に入れたら、自力で森を出ないといけない。


「まじか」


 ようやく自分の置かれた状況を理解した。

 理解したところで結局何もできない。そのまま呆然と立ち尽くすことしかできなかった。



『ギィギィ』 『ギギッ』 『グギギギギ』


 不意に周りに生い茂るばかでかい木が揺れ、複数の不気味な声がこだました。

 声と共に聞こえてくるのは、二本の長い爪を擦り合わせるシャキン、シャキン、という音。


「まじか」


 シザーモンキーがすぐ近くにいる。それも複数。

 探す手間が省けたけど、だからといって何もできない。


 俺は足元の短剣を拾って必死に逃げた。

 伸縮性のある黒いハーフパンツにダボっとした白いシャツという動きやすい格好だが身体はまん丸で重い。

 体力はもちろんない。

 魔力だけは有り余っているので、足に強化魔法を施しながら走り続けた。逃げ足だけは自信がある。



「……はあっ、はあっ……うぅ…………」


 逃げ始めてからどれだけ経っただろう。

 もうどこを走っているのか分からない。いや、最初からどこにいるのかすら分からなかったけれど。


『ギギギー』 『グギャギャギャ』


 シザーモンキーの群れはしつこく俺を追いかけてきた。

 怖くて振り返れないから何体いるのかは分からないけど、十体以上はいそうな気がする。

 逃げ足には自信があったのに、速さは互角で逃げきれる気がしない。

 だけど立ち止まる訳にもいかず走り続ける。


 とにかく必死に逃げて、岩場に差し掛かり、小川をパシャパシャと渡り、対岸に足を踏み入れた。

 瞬間、背筋が凍りつく。


 何かいる。


『ギッ……』 『ギャギャッ』


 シザーモンキーたちは小川の手前で慌てて引き返していった。


(これ絶対やばいやつじゃん……)


 思った通り、すぐに現れたのは見上げるほどに大きな黒い魔獣、ブラックグールベアー。

 どうやら俺はこいつの縄張りに入ってしまったようだ。


 身体が震えて動かない。立っているのがやっとだ。

 恐ろしい存在に出会うと身体が動かなくなることがあると、前に母が言っていたな。だから心身共に鍛える必要があると、口うるさく祖父が言っていた。


 ああ、こういうことか。

 彼らが言っていたことを身をもって体感し、そして諦めた。

 だってこれはもう無理。どうしようもない。



 次の瞬間、目の前の魔獣の首がとんだ。


 俺は何もしていない。

 急にどこからかやって来て、目の前に現れた少女が剣を振るったからだ。

 すぐに俺の存在に気付いた少女は、淡い緑色の瞳を見開いた後、頬を染めた。


 首がなくなった魔獣の切り口から鮮血が噴き出る。

 雨のように血が降り注ぎ、プラチナブロンドの髪が、真っ白な肌が、血に濡れていく。

 そんな中、少女は恥ずかしそうに俺に微笑みかけた。


 悪魔のような天使のような、とてつもなく美しい少女。

 恐ろしいはずなのに一瞬も目が離せなかった。


 これは一目惚れだ。



「えへへ、ごめんなさい。あなたの獲物を横取りしちゃいました」


 あまりの美しさに見とれてぼーっとしているうちに、少女はすぐ近くまで来ていた。

 小さな口から発せられたかわいらしい声にはっとなる。


「っっいや、違うよ。俺は襲われる寸前だったから助かったよ。君は俺の命の恩人なんだ」


 お礼を言うと少女はきょとんとした。あまりの可愛さに胸がきゅっとなる。

 少女の服装は、男性冒険者が着るような紺色の上着に灰色のズボンだ。その上血だらけなのに、何でこんなに可愛いんだろう。


「えっと、あなたは冒険者ですよね? こんなところにいるぐらいだから、ブラックグールベアーなんて難なく仕留められるでしょう?」

「あー、うん。まぁ普通はそうだよね……」


 少女の言葉に俺は苦笑いする。 

 こんな場所に一人でいるなんて、よほどの実力者だと思われても仕方ないだろう。


 魔獣の血で全身汚れた少女は、俺と会話をしながら小川で血を洗いだした。

 目の前で上着とズボンを脱ぎ始めたのでさすがにビックリして、見ないように慌てて後ろを向いた。


「ふふっ、ショートパンツをはいているから大丈夫ですよ」

「……」


 軽い口調でそんなこと言われても無理だから。

 一瞬見えたおへそと太ももが脳裏に焼きついて離れない。


 少女が服を洗っている間、俺はここにいる事情を説明した。

 説明といっても、『頭のおかしい父親に連れてこられて置き去りにされた』と言っただけだ。素性を知られたら恥ずかしいので、家のことは隠しておいた。


「ふふっ、そう。そういうことでしたか。あなたのお父様は面白い方ですね、ふふっ」


 少女から楽しげな声が聞こえる。

 俺、面白い話は一つもしていないのに。どうやらこの子も俺の家族のように、ぶっ飛んだ思考の持ち主のようだ。

 だけど不思議と嫌悪感はない。


 少女が風魔法で服を乾かしている間も、ずっと背中合わせで話をした。


「私の名前はシーラです。あなたは?」

「俺はテオ……」


 名前を言いかけて、寸前で言いとどまった。

 こんな森の中に置き去りにされているのが、辺境伯家の息子だって知られたら恥ずかしい。


「えっと……テリーだよ」

「そう。よろしくお願いします、テリー」

「……っっ、うん。よろしく」


 俺はすぐに後悔した。

 この可愛い声で本当の名前を呼ばれたかったな、って。


 そうこうしているうちに、シーラさんは服を乾かし終わったようで服を着たので、俺はようやく前を向くことができた。


「お待たせしました。それでは帰りましょうか。森の出口まで案内しますね」

「やった! ありがとう!…………あ、だめだ。俺、シザーモンキーの爪を手に入れなきゃ帰れないんだった」

「あら、そうでしたか」


 出会いが衝撃的すぎて普通に忘れていた。あぁでも、シーラさんなら簡単に倒せるはずだ。

 帰り道できっとまた遭遇するだろうし、倒してもらったらいい。

 父は、俺に倒せだなんて言っていない。だから爪さえ持ち帰ればOKなはずだ。


「ねぇ、シーラさんが────」

「それでは、一人で倒せるまでお付き合いしますね」

「え」


 シザーモンキーを倒してほしいとお願いする前に、両手をぱちんと合わせてにっこりと微笑まれてしまい、俺はそれ以上何も言えなくなってしまった。



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