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短編集22〜25年  作者: 汪海妹
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7 帰ってきなさい












   7 帰ってきなさい

    2022.03.07

















   このお話は、かみさまの手かみさまの味②  

   が終わってから、

   暎万ちゃんとひろ君が結婚する前のお話です。






   とある冬の夜、中條家と上条家のリビング

   こたつに座ったまま暎万ちゃんが突っ伏して

   眠っています。


   風の強い夜でした。

   清一さんがお風呂から出てきました。



 「暎万ちゃん、暎万ちゃん」


 眠っている暎万ちゃんの肩を掴んで軽くゆする清一さん。


「あ、おじいちゃん」


 目を開いた暎万ちゃん、壁の時計を確認します。


「おばあちゃん……」


 立ち上がって部屋を出て行こうとするのを清一さんが止めた。


「大丈夫だよ。さっき見たけど、もう熱も下がって気持ちよさそうに寝てた」

「ほんと?」

「うん」


 安堵のため息をつく暎万ちゃん。


「昨日の夜、ちゃんと寝てないでしょう?今度は暎万ちゃんが倒れちゃうよ。早く寝なさい」

「うん」


と言いながらこたつに入ったまま、ちょっとダラダラとする。


「お茶でも淹れてあげようか?」

「ココアがいい」


風の吹き荒ぶような夜は、なぜか飲みたくなるのだ。ココア。

珍しく清一さんが台所に立つ。


「おじいちゃん、お砂糖いっぱい淹れて」

「いっぱいって何杯?」

「ティースプーンに3杯」

「そんなにいれるの?」

「そのココアは、そのくらいいれてちょうどいいんだって」

「で、ココアってどこにあるんだ?」

「ああ、もう」


だんだん目が覚めてきた暎万ちゃん。台所に行って清一さんの代わりにココアを淹れることにした。おじいちゃんの腕前がちょっと信じられなかったものですから。


「マシュマロなかったかな?」

「なんで?」

「いれるんだよ。ココアに。おじいちゃん、これ、常識だよ」

「常識なの?」

「ああ、切らしてたな」


マシュマロを常備供えているお宅は日本の標準のお宅ではないと思いますよ。暎万ちゃん。一応言っておきます。


「ああっ、おじいちゃんのはそんなに砂糖淹れないでいいよ」

「ダメダメ。騙されたと思って」


そして、夜中に2人でこたつでココアを飲みます。


「お父さん、遅いねぇ」

「ほんとだねぇ」

「雪、降らないかなぁ」


外を眺める。


「雪か……」


清一さん、故郷の仙台をふと思い出した。清一さんのご両親も夏美さんのご両親も今はいない。もう随分仙台に帰っていません。


「おじいちゃん、雪が見たい?」

「そうだねぇ。子供の頃の風景は見たくなるなぁ」

「おばあちゃんがよく言ってるよ。雪のない冬にはいつまで経っても慣れないって」

「そっか」


もう一度深いため息をついた。暎万ちゃん。


夏美さんがインフルエンザにかかってしまいました。予防接種を受けていた清一さんは軽く済んだのですが、受けてなかった夏美さんは倒れてしまった。それで高熱を出してうんうん唸ってたのです。それが心配でたまらなかった暎万ちゃんでした。


「おじいちゃん、たくさんお砂糖取って、栄養とってね。菌に負けないように」

「はい」


砂糖がインフルエンザの菌に有効なのかどうかいまいちピンと来なかったけれど、とりあえず逆らわずにおきました。


「わたし、結婚してもここに住みたいなぁ」


真夜中のココアパーティーの時に、不意にそんなことを言い出した孫娘。これ、俺が聞いちゃっていいのかなと思う清一さん。


「具体的にそういう話が出ているの?」

「いいや」


とりあえず胸をなでおろした。もし、出ているのだとしたら伝言をしなければならないが、これなら別にそう気張らないでも良いでしょう。


「結婚するとしたら、やっぱり、あの、片瀬君?」

「……」


暎万ちゃんが無言で清一さんを見つめる。何か、聞いてはいけないことを聞いてしまったかもしれない。

いつもなら、夏美さんが必ずいて何かずれたことをしてしまったり言ってしまった時には、変なところに飛んだボールを拾ってくれるバレー選手のように活躍してくれるのですが、今、寝込んでいておりません。


「おじいちゃん」

「はい」

「ここで、実は、隠れて二股かけていた男の人がいましたとか」

「うん」

「ドキドキする展開になるよね?」

「なるね」

「でも、隠し駒はないわ」

「そうか」


会話が終わってしまいました。もうちょっと、何か、気の利いたことを言わなければならないような気がして、久しぶりに株以外のことに頭を使う清一さん。


「でもね、暎万ちゃん」

「うん」

「相手の家族の中に混じって暮らすのは結構疲れると思うよ」

「……」

「お父さんは本当によくやってくれてるけどさ。みんながみんな樹君みたいなわけでもないし」


ひろ君の様子を思い浮かべながら言葉を紡ぐ清一さん。


「でも、ひろ君、おばあちゃんのことも好きだし」

「暎万ちゃん、時々会うのと一緒に暮らすのは違うよ」

「……」

「暎万ちゃんにとっては落ち着く空間でも、さ。相手にとっても同じように落ち着くと思ってはいけないと思う」


暎万ちゃんにとっては自分のお父さんがお母さんの両親と仲良く暮らすのをずっと見て育っているものだから、それは簡単なことのように思えるのかもしれません。


「片瀬君と結婚するなら、遠くには行かないでしょ?」

「うん」

「じゃあ、いつでも遊びに来られるじゃない」


ひろ君ちのパン屋は歩いていける距離なんです。


でも、暎万ちゃん。ちょっと難しい顔をして黙りました。ココアから上がる湯気を見ながら、2人で風の音を聞く。


清一さんにはなんとなくわかってました。


春樹君が出て行ってしまって、家が随分静かになりました。そこから、もう1人、自分が抜けてしまったらもっと寂しくなる。そういう寂しい家に、お父さんを残していくことを気にしているんです。だんだん体の弱くなる祖父母と、父親1人になる。


こんな風の吹き荒ぶ夜は、風の音が昔の自分を連れてくる。寒くて寂しくてたまらない時に、暖かい家の中がどんなに安心したか。

でも、その家族の灯りは、家族が灯すもの。人の減った家からは暖かみが消えてしまう。


そんなところに父親と年老いてきた祖父母をおいて出ていくことが忍びないんです。


暎万ちゃんは優しい子ですから。


「ずっと離れたくないなぁ」


暎万ちゃんがポツンと呟いた時、玄関の方でガチャガチャと音がした。


「あ、おかえりー」


樹君が帰ってきたようです。


「え、うそ」


リビングに入ってきた樹君の様子を見て、ぴょんと立ち上がった暎万ちゃん。


「わ、すごーい」


窓の外を見た。


雪が……降り出してきたんです。東京では珍しい雪が。


「やだやだ、すごーい」


リビングを出て玄関から外に出てった。


「おい、暎万。そんな格好で風邪引くぞ」


お父さんの声が耳に入らない。樹君、呆れた。


「いつまで経っても、子供だな」

「そんなこともないぞ」


何やら含みのある言い方をする清一さん。


「お義父さん、それ、何飲んでんですか?」

「ココア」

「……珍しいですね」

「樹君も飲みたいか?」

「あ、いや、自分は酒の方がいいです」


体の芯まで冷えてしまった。アルコールの力でちょっとあったまりたいものです。玄関の方でバタンと音がする。


「積もるかな?積もるかな?」


ワクワクとした顔で戻ってきた暎万ちゃん。頭にうっすらと雪が載っている。


「どうかな?すぐ止むんじゃないか」

「おばあちゃんに見せてあげたいのに」


窓から外を恨めしそうに見る暎万ちゃん。その様子にちょっと微笑んでから、お酒を用意しようと台所へ向かう樹君。


「お父さん、ココア飲む?」

「要らない」

「だめ、飲みな。ココア」

「ええ?」


そこまで甘党ではないです。樹君は。


「おじいちゃんだって飲んでんだから。ね?座ってな」


強引に押し切られてしまった。しょうがなくこたつに入る。


「はい、どうぞ」


なんだかココアが似合わない2人。でも、暎万ちゃんはバッチリ似合ってます。


「ああ、お兄ちゃんもいればよかったのに。おばあちゃんもさ」


そして、お母さんも。そこは言葉に出さなかった。


「ね、美味しい?お父さん」

「甘い」

「今度、マシュマロ入れたの、飲ませてあげるね」

「……」


だんだんぬるくなってきた甘い飲み物を持て余している男性2人と、お代わりもいけそうな女性1人で、雪の夜が更けていきます。


***


クリスマスイルミネーションが輝く香港のとある小さなマンションの部屋で、女の人がダイニングテーブルでコーヒー片手にノートパソコンで仕事をしています。不意にテーブルの上に置いていたスマホがなる。画面を見てちょっと驚いた女の人。


「なに?すっごい珍しい」

「今、外か?」

「いや、部屋の中」

「1人?」

「部屋に人なんかめったにあげないって。なに?」


千夏ちゃんに電話をかけてきたのは、お父さんの清一さんでした。


「元気でやってるのか?」

「ああ、うん」

「千夏、お前……」

「はい」

「何歳なった?」


無表情のまま、父親の顔を眺める千夏ちゃん。


「そんなん聞いて、どうすんの?」

「お前さ、いつまで今みたいな生活を続けるつもりだ?」

「いつまでって……」


さっきまで集計していた会社のデータや、考えをまとめていたノートの上の内容、明日、明後日のスケジュール。脳の中に色々ごちゃごちゃと置いてあったものが、一旦消えた。少し姿勢を正して、お父さんの顔を見ました。


「どうしたの?急に」

「お前、帰ってきなさい」

「は?え、なに?お母さんが熱出たって言ってたけど、そんな悪いってこと?」

「熱は下がった」

「じゃ、なに?」


清一さんはちょっと黙って、娘の顔を見た。


「行ったり来たりする生活をやめて、ちゃんと日本に、樹君のそばにいなさい」

「なんで、お父さんがいうの?」

「君のご主人が何も言わないからだよ」

「……」

「暎万ちゃんがお父さんが心配で、いつまでもこの家にいるって言い出したぞ」

「え?暎万が?」

「でも、この家にいるのは、本来はお前の役目だぞ」

「……」

「いつまでも家族に甘えて飛び回ってると、最後に帰る場所を失うよ。千夏」


人にはきっと持って生まれた性質というものがある。千夏ちゃんは、一つのところに留まらず飛び回るのが好き。でも、それは、帰れる場所がしっかりあるから。だけど、旅が好きな人は知らない。いつもその旅をしている人が帰ってくるのを、待っている人たちが見ている風景を。


夏美さんも歳をとりました。いつも家にいてみんなを待ってくれていた夏美さんもいつかはいなくなってしまいます。


帰る場所を作ってくれる人がいつまでもそこにいると思うのは間違いなんです。

いつかは自分が誰かの帰る場所にならないと。


役割を交替するときが来ているということに自分でなかなか気づかない娘のために、珍しく電話をかけた清一さん。


「それ、樹君が言ったの?」


清一さん、笑った。


「樹君は言わないだろうなぁ。どんなになっても言わないだろう」

「……」

「だから、僕が見るに見かねて言ってるんだからな」


寂しいと言えないばかりか、きっと気付いてすらないと思うんです。樹君は。自分が寂しいということに。

そして、自分の親ではない清一さんや夏美さんの世話を押し付けられても、嫌な顔をしないで千夏ちゃんの代わりにするかもしれない。

だけど、そうではないでしょうと。

きっと夏美さんもそう思ってる。だから、本人の代わりに周りが、このちょっと能天気な娘に釘をさそうかと。


「そうだ」

「なに?」

「お母さんの体調が戻ったら、しばらく留守にする」

「え?なんで?」

「なつは、家にいるとなんだかんだと気を揉むからな」

「ああ」

「旅に出ようかな」

「お父さんとお母さんが?」

「そうだ。だから、お前はもうさんざん好き勝手したんだから、帰ってこい」

「……」

「返事は?」

「わかった。わかった。でも、すぐには無理」


めんどくさそうに言う娘に向かってもう一言、言いました。


「お父さん、二度は言わないぞ。それでも好き勝手したいなら、しなさい。その代わりどうなっても知らないからな」


***


数日後


パジャマ姿でベッドの背もたれに寄っ掛かっている夏美さん。そばに座って、りんごを剥いてる清一さん。


「今度からちゃんとサボらずに予防接種ぐらい、受けなさいよ。みんなに心配と迷惑かけるんだから」

「行いが悪かったのかしらねぇ」


肩からかけたカーディガンを直しながら夏美さんがいう。


「行い?」

「昔は予防接種なんて受けなくても、インフルエンザなんか跳ね返してたのに」

「……」

「なんか、わたし、悪いことしたっけ?」


頬に片手をあてて小首を傾げて考えている。


「非科学的なことを言うな。老化と共に免疫力は落ちてるんだ。ちゃんと医療の力に頼りなさいよ」

「なんかつまらないわねぇ。歳をとるって」

「はい、どうぞ」

「あら、やだ。あなた、随分久しぶりじゃない。こういうことするの」


剥いてもらったりんごを笑顔で受け取る夏美さん。


「食べさせてやろうか?」

「いや、一生、あなたのお世話にはなりませんから」

「かわいくないな」

「なに言ってんですか。世話をされるのはあなたですよ」


憎まれ口を叩く奥さんを見て、ホッとする清一さん。ちゃんと治ってきたようです。


「そうだ。ココア作ってやろうか」

「ココア?」

「今なら、マシュマロ入れられるぞ」

「え?マシュマロ?」

「そう。マシュマロ」

「やだ。清ちゃん、どうしちゃったの?ココアなんて飲まないでしょ?」


夏美さんが笑ってる。清一さんはその笑顔を眺めました。

今日は日がさした。数日前の寒さが嘘のよう。

結局、あの日の雪は積もることもなかった。


暎万ちゃんは、夏美さんに雪を見せられたのだろうか?


了  

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