第2話、聖女の職場はブラックです⁉
異世界の人たちは、根本的に勘違いをしている。
私たち現代日本人の誰もが、『なろう系そのもののチート主人公』になりたいなんて、思っているわけではないのだ。
特に、単なるブラック企業のアラサーOLごときに、『聖女サマ』なんかが務まるわけが無かった。
──まさに、この私のように。
そう、ある日私は、品川区大井町の安アパートで寝こけていた最中に、突然異世界へと召喚されたのであった。
何だか大きなお城の礼拝堂のようなところへと、瞬間移動させられたかと思ったら、そこにいた神官だか召喚士だかのご老体に、「お待ちしておりました、聖女様」などと、言われてしまったのだ。
………………いやいやいやいやいや。
それはまったく、『お門違い』というものだから。
寝言を言うにしても、もうちょっと、相手を見てから言ってちょうだいよ。
こちとら1年365日1日24時間、極悪会社にこき使われている身なので、『なろう系』の小説も漫画もアニメも見る暇が無くて、自分自身『異世界転生』だか『異世界転移』だかをするような願望は微塵も無いんだよ⁉
一応ネットはやっているし、唯一の趣味として『乙女ゲーム』を嗜んでいるから、『なろう系』が大体どんなものかは把握しているけど、いきなり問答不要で、人を別の世界なんかに召喚したりするなよな⁉
……あのさあ、『なろう系』を作成しているすべてのWeb作家の皆様に、一言言っておきたいんですけど、あなたたち一度も実社会に出たことの無い『ヒキオタニート』には想像もつかないと思いますが、いくらブラック企業の末端のアラサーOLであろうと、至極当たり前に『仕事は大切』なの! 一日たりとて『無断欠勤』はできないの!
それを、本人にはまったく承諾を得ることも無く、仕事どころか生活そのものをぶち壊しにして、無理やり自分たちの言うことを聞かせようとするなんて。
もしも一定期間過ぎて、無事に日本に帰れることがあったとしても、もはや仕事も住み処も残っていないじゃないの?
……ほんま、何ちゅうことを、しでかしてくれてんねん。
普通に就労している30代女性が、よその世界の『お遊び』なんかに、つき合っている暇は無いんだけど?
──ていうか、そもそも、どうして私なのよ?
当然、召喚されてすぐに、その根本的疑問に行き着き、召喚士らしき男性に対して、激しく問い詰めたところ、
──何とこの私こそが、全異世界最大級の、『治癒魔法力』の、潜在的な保有者だと言うのであった。
……何それ?
私これでも、30年日本で暮らしてきた実績があるんですけど、
自分自身はもちろん、他人の怪我なんかを、何か奇跡の力によって治したことなんて、一度たりとて無いのですが?
──しかし、実はそれには、ちゃんとした理由があったのである。
私が暮らしていた世界の物理法則では、魔法の類いは一切実現できないが、この文字通り剣と魔法のファンタジー異世界においては、一定の(ファンタジー的)種族や、一定の素養を持っている者なら、そのレベルに応じて様々な魔法を行使できるとのことだった。
至極大雑把に説明すれば、現代日本が存在する世界を構成している物理的最小単位である『量子』は、ミクロレベルにおいて『波と粒子』という二つの性質を同時に持つゆえに、現在よりほんの一瞬後にどのような形態や位置になるかは、『無限の可能性』を有しており、文字通り『変幻自在』なのだが、それはあくまでも文字通り量子レベルの『微細世界』のみの話で、我々人間が普通に生活している『マクロレベル』では適用されず、万物の構成要素の最小単位である量子を自由自在に変化させることによって、様々な魔法を実現することなぞ、到底無理な話であった。
──しかし、それに対して現在私がいるファンタジー異世界においては、空気から我々人間に至るまでのすべての物質が、かのクトゥルフ神話において高名なる不定形暗黒生物である『ショゴス』によって形成されているために、自分の保有している魔力を使った術式によって、ショゴスにより構成されているあらゆる物質の形態を変化させることによって、いきなり空間に炎や風や水を生じさせたり、自分や他人の肉体を変化させたり等々の、あらゆる魔法を実行することが可能なのである。
それでは、その『術式』とは具体的にどのようなものかと申せば、現代日本が存在している世界における『ユング心理学』の言うところの、ありとあらゆる世界のありとあらゆる時代のありとあらゆる存在の『情報』が集まってくるとされている、いわゆる『集合的無意識』とアクセスして、そこでピックアップした任意の物質の『形態情報』によって、自分の周囲の空気の形態情報を書き換えて、突然炎や氷雪を生み出したり、自分や他の物体の形態情報を書き換えて変化させたり──と、原則的にありとあらゆる魔法の類いが実現できたのだ。
特に膨大な魔法力をこの身のうちに秘めているらしい私は、集合的無意識に対しては最上級のアクセス権を有しており、例えば、戦闘で四肢を欠損した兵隊さんに対しては、集合的無意識からその人の四肢の形態情報をピックアップして、当人の周囲の空気等の形態情報に上書きすることによって、何と元通りの五体満足の肉体にすることが可能であり、度重なる戦続きで完全に疲弊しきっている人に対しては、肉体そのものの形態情報を、万全な健康状態の時点に書き換えることで、疲労を一気に霧散させたり、果てにはとても戦闘に参加できない幼子や老人に対しても、その人が戦闘に最も適している十代から二十代の頃の肉体情報に書き換えることで、『戦闘員』として戦争に投入したりすることすらも可能という、文字通りに『治癒魔法』の使い手としては、万能ぶりを誇っていたのであった。
──そうなのである。
今例に示したように、私の文字通り『聖女』レベルの治癒能力は、主に『戦闘の場』において役立たせるためにこそ、存分に発揮することを期待されていたのだ。
それと言うのも、私を召喚した王国は現在、強大な軍事帝国から侵略を受けており、国民一丸となって徹底抗戦を行っているものの、所詮は『多勢に無勢』と言うことで、瞬く間に絶滅寸前へと追い込まれてしまったのだ。
もはや国土のほとんどは占領されて、わずかに生き残った兵士たちもすでに疲弊しきっており、このまま帝国に滅ぼされるままかと思われたその時、最後の手段として、本来『禁忌の呪術』である、『異世界召喚』に手を出したのであった。
──だがしかし、それはまさに、乾坤一擲の『大正解』であった。
まさしく『治癒魔法』においては、このファンタジー異世界においてもトップレベルの実力を有していた私は、いくら自軍の兵士たちが絶望的に不利な戦場において、疲弊し傷つき死にかけようとも、すぐさま最高級の治癒魔法を施して、常に万全の状態で無限に戦わせることを実現したのだ。
──もちろん堪ったものでは無かったのは、敵方の帝国軍であった。
絶対に死なないどころか、どんな傷もたちまちのうちに癒えて、いくら戦っても疲弊しない敵との戦いなんて、『悪夢』以外の何物でも無く、ついには侵攻をあきらめて、軍事国家の誇りすら捨て去って、全軍一斉に逃げ出してしまったのだ。
それを見た我が王国の支配者は、あまりにも予想以上の戦果に図に乗って、放っておけば(『不死の軍団』に対する)恐怖のあまり二度と攻め込んでこないというのに、むしろこちらのほうこそ帝国の領土を手に入れんと、生き残りの兵士たちをほとんどすべて追撃に向かわせたのである。
……本来なら、いくら敗残兵とはいえ、圧倒的多数を誇る帝国軍に、返り討ちに遭うだけであったろう。
しかし、文字通り不死どころか疲労すらもしない王国軍は、もはや数の不利など度外視した『無敵の軍団』と成り果てており、恐怖のあまり自分たちに対して完全に戦意を失っている帝国兵なぞ、ただ機械的に根絶やしにするばかりであった。
ただしそれはあくまでも、敗残兵の追撃時のみの話で、本格的に帝国領に侵入してからは、事情をあまり知らない本国守備隊との戦闘へと移行し、またしても瞬く間に劣勢に陥り、ほとんどの兵士が疲弊し傷つき死にかけて、私の治癒魔法のお世話にならざるを得なかったのだ。
とはいえ、王国の上層部は、自分たちの勝利を疑ってはいなかった。
帝国の本国軍が優勢でいられるのは、どうせ最初の一、二戦のみなのだ。
どんなに傷つき死にかけようが、私の治癒魔法ですぐさま万全の状態に戻る姿を見て、帝国軍が驚愕し、そして絶望するまで、そんなに時間はかからないであろう。
──しかし、予想外のことに、
帝国軍よりも先に絶望したのはむしろ、絶対無敵の不死の軍団であるはずの、王国軍のほうであったのだ。
それも当然である。
兵士にとって『不死』であることは、実は『福音』であるよりもむしろ、『絶望』そのものなのだから。
毎日毎日朝から晩まで殺し合いをし続けて、疲弊し、傷つき、ついには致命傷を負って、
「……ああ、やっと俺は、この戦いの日々から、『解放』されるのだ」と、
万感の思いを込めて覚悟を決めた、まさにその刹那、
もはや反則そのもののハイレベルな治癒魔法によって、完全に万全の状態に修復されてしまったとしたら、どうであろうか?
もちろん最初は、文字通り『九死に一生を得た』ことに、心から喜んだかも知れない。
けれども、せっかく自国への侵略を阻止して「めでたしめでたし」で終わり、自分も戦争から解放されたと思った矢先に、支配者どもが欲をかいて、身の程知らずにも大帝国へと逆侵攻を開始して、戦闘を無限に続けようとしたのなら、どうであろうか?
しかも、『多勢に無勢』であるのは変わらないどころか、敵の本国に特攻するのだから、より不利になってしまったのである。
支配者が頼りにしているのは、少数ながらも自分たちの兵士が、不死身であるどころか、どんなに深手を負おうともすぐさま修復することが可能で、いつまでも戦わせることができる、『使い捨ての兵士を何度でも無限に使い捨てにする』という、『悪魔の所業』そのもののやり口であった。
──だが、彼らの身の程知らずの企みは、けして成就したりはしなかった。
ついに王国軍が帝国との戦闘を中止するとともに、むしろ帝国軍と勝手に和睦を結び、共に手を携えて、王国領へと攻め込んできたのだ。
帝国への侵攻軍以外には、ほとんど兵を残していなかった王国は、あっけなく滅ぼされて、王族等の支配層はすべて処刑されてしまった。
私自身はどうしたかと言うと、帝国内の戦場において、絶対的に優勢であった王国軍が突然白旗を揚げたのを目にするや否や、そのことを少しも意外に思うことも驚愕することも無く、すぐさま逃げ出したのであった。
それも、当然である。
元の世界で、ブラック企業に勤めていた私だからこそ、重々承知していたのだから。
戦場で実際に戦闘に当たる末端の兵士にとって、唯一の『解放』であり『救済』でもある、『死』すらも奪ってしまった治癒魔法の使い手たる『聖女』なんて、ブラック企業の社長なんか比較にならないほどの、『怨敵』であり『諸悪の根源』と言っても過言では無かろう。
──そう、彼らにとっての私は『聖女』などでは無く、まさしく『魔女』であり『悪魔』そのものであったのだ。